彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言われると、彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。(ルカ18:39~43)
私たちを主イエス様の救い、癒やしの恵みで覆い、力強い癒やしの恵みをもたらしてくださいますことを信じ感謝します。
先日、元プロ野球の名投手が自宅の火災によって亡くなり、現場から逃げ出す様子もなかったことが報じられ驚きました。亡くなられる少し前に逮捕されるという衝撃的な報道を耳にしていたこともあり、彼が犯した罪について赦(ゆる)してくださる神様に出会えなかったこと、神様に祈る機会に恵まれなかったこと、心の悩みを打ち明ける人々に巡り会うことができなかったことが大変悔やまれました。
私たちの知恵や理屈では、命の重さを理解することができません。たとえ私たちが失敗しても神様の前に祈り、何度でもやり直すことができることを知りたいと思います。まことの神様と向き合って、弱さや不足だらけであっても癒やし立ち上がらせてくださるイエス様の愛を体験したいと思います。
私たちの命は神様から与えられたかけがえのない贈り物なのです。だからこそ、生きること、癒やされることを切に求めたいと思います。このルカの福音書の箇所は、17章から続く幾つかの話の流れにあり、イエスは確かに救い主、癒やし主、恵みを豊かに与えられますが、求める私たちの側の真剣な求めが同時に必要だと強く訴えています。
私たちが癒やされる当事者として恵みを受け止める4つのポイントを学んでいきましょう。
1. 癒やしのチャンスを逃さない!
物乞いをしていた盲人は、周りの様子がいつもと違うことに気付き、何があったか質問しています。すると癒やし主といわれていたイエス様がお通りになることを知り、この機会を逃すまいとこだわりを持って「私をあわれんでください」と大声で叫び立てたのでした。
私たちにも神様から癒やされる機会が与えられていることを喜び、それを逃さないようにしましょう。
2. 癒やしを自ら求めよう!
大声で叫ぶ盲人への周りの人々の反応は冷ややかで、彼を黙らせようとしました。しかし、彼はますます大きな声で叫び、自ら癒やしを求め続けたのでした。
信仰においては、誰かを当てにするのではなく、あなた自身の信仰が何よりも大切です。自らの責任で主に癒やしを申し出て求めてまいりましょう。
3. 具体的に求めよう!
大声で叫んだ結果、イエス様は彼に気付き、何をしてほしいのかと尋ねられました。すると彼は、目が見えるようになることですと明確に答えました。目が見えるようになることこそが、人生が変わる鍵だと確信し、明確に癒やしを求めたのです。
私たちも、曖昧な祈りではなく、明確で具体的な祈りをしましょう。
4. 癒やしへの信仰を持とう!
彼がなぜイエス様の恵みを引き出すことができたか、42節にあります。イエス様は「あなたの信仰があなたを直した」と言われました。私たちも癒やしを受け入れる、癒やされることにこだわる信仰を自分の信仰として持とうではありませんか。
大切なことは、癒やしにこだわること。メッセージを聞いた自分が、イエス様の力によって癒やされることにこだわって祈ることを主は求めておられます。今週も、誰よりも自分自身が癒やしにこだわって祈り、癒やしを体験しましょう。
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