時は冬であった。・・・ユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで言った。「あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください。」イエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。・・・わたしが父の御名によって行うわざが、わたしについて証言しています。しかし、あなたがたは信じません。それは、あなたがたがわたしの羊に属していないからです。わたしの羊は・・・わたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。・・・わたしと父とは一つです。」(ヨハネ10:23~30)
天地宇宙を造り、私たちにいのちを与え、生きるのに必要なものを豊かに与えられる恵みの神様から、とびっきりの恵みの秋を頂きましょう。
どれほど屈強そうに見える人も、いのちに関しては神様に委ねないと平安を得られません。たとえ病弱であっても、神様が常に共におられるなら、揺るがない人生となります。パウロは語ります、「むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(2コリント12:9)。私たちは、人生の中で最大の問題の答えがすでに与えられているのです。
罪赦(ゆる)されて神の子どもとされ、神の愛を豊かに注がれ、弱い私たちを支えるために聖霊まで注がれています。神の知恵が与えられ、導かれます。必要な戦いの時には、勝利が与えられます。聖霊によるしるし、不思議、奇跡、神による力あるわざ、永遠のいのちまで与えられているのです。それを素直に受け止めることで、幸せで充実した毎日を送れることを学びましょう。
今日の聖書の箇所で、イエス様は律法を重んじるユダヤ人たちと語り合います。ユダヤ人は、「メシアならはっきりと言ってくれ」と詰め寄り、イエス様は「わたしはすでにそう言ったし、奇跡も行ったが、あなたがたは信じないのだ」と言われました。23節に「時は冬であった」とあります。これは、ヨハネ特有の表現で、季節を表すとともに、心が冬のように頑なに閉ざされたユダヤ人たちを表しているようです。
1. すでに示されている答えを受け入れよう!
答えはすでに出ているのに、私たちは頑固でひねくれて、目の前に示されていることを素直に受け止めることができないときがあります。それでは恵みを受け損なってしまいます。救い主イエス・キリストを信じて礼拝し、賛美し、感謝し、お言葉を頂きたいという、クリスチャンとしての答えを受け入れましょう。
2. 主キリストに結びつき御声を聞こう!
まことのいのちの与え主である神様は、常に私たちに語りかけてくださいます。イエス様は、ご自分を羊の牧者に例えます。羊は牧者の声を聞き分けます。信仰をもって歩む私たちも、今年残り3カ月間、神様の語りかけられる御声を、聞く耳をもって心のスイッチをオンにして聞き分けましょう。
3. 主キリストの恵みに感謝しよう!
イエス様が与えてくださる永遠のいのちは、世界中どこにも売っていないし、どんなにお金を払っても買えません。しかし、イエス様を信じる者には惜しみなく与えられる恵みであることを感謝しましょう。
豊かな時代に生きる私たちはともすると、この世の恵みや都合のいい祝福ばかりを求めて永遠のいのちというとてつもない価値をないがしろにしてしまいます。死が全ての終わりではなく、キリストによって永遠のいのちへと招き入れられるのです。
聖書が繰り返し語っている約束は、「神はあなたと共にいる」という恵みの人生です。イエス様は「わたしと父とは一つです」と語られ、人としての姿をとって来られたイエス・キリストを信じることが、天地宇宙の創造主である神を信じることであると言われたのです。
今日、もう一度イエス様に結びつき、心の冬の時代を寂しく一人で歩むことなく、イエス様を見上げて祝福された日々を歩みましょう。
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