父親は言った。「幼い時からです。この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」イエスは・・・汚れた霊をしかって言われた。「・・・わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度とこの子に入るな。」するとその霊は・・・出て行った。(マルコ9:21~26)
1992年、万代恒雄牧師は日本のリバイバルを目指し、東京において伝道を開始しました。熱烈な歓迎を受けスタートしたのですが、1994年急逝、今日まで私が月に2度上京し、集会を継続してまいりました。自分の無力さを悔いたこともありましたが、主はそんな伝道をも祝福してくださり、この度、常設の礼拝堂を借りることができ、9月23日に献堂式礼拝を持たせていただきました。
21世紀になっても決して色あせることのない、主キリストの福音の輝きを、ビジョンをもってしっかりと宣べ伝えたいと思います。皆さんのお祈りをお願いいたします。
今日開きましたマルコ9章は有名な物語です。イエスが麓で待っている弟子たちの所に帰ってみると、彼らは悪霊を追い出せなくて苦闘していました。幼い時から悪霊にとりつかれ、口もきけず耳も聞こえない息子を持つ父親が、イエスに癒やしてもらおうと連れてきたのです。
イエスは父親に尋ねます。この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。幼い時からです。幼い時から・・・この言葉にどんな意味合いがあると思いますか。この箇所から、私たちの持つべき信仰の要点を押さえてまいりましょう。
1. 弱さや諦めの習慣化の危険
この父親の心根には、もう治らないのではないかという弱さが固定化し、諦めが習慣化しています。私たちの人生には、思いも寄らないことが度々起こります。悪魔はそのスキをつき、その問題を用いて、頑張って神様を信じて歩んでもしんどいだけですよと諦めと不信仰に誘導しますから、十分気を付けなければなりません。
コロナ禍になって3年近く、私たちもこの父親のように、諦めが習慣化していないでしょうか。悪魔はコロナの状況を用いて、人と会わない、しゃべらない、亡くなった人を弔うことさえしない。人としての喜びや祝福を奪い去ろうとしていますから、気を付けなければなりません。
2. 主キリストが癒やしの変化の起点
諦めが習慣化していた父親は、イエスに対して「もし、おできになるなら」と言います。するとイエスは「できるものならと言うのですか、信じる者にはどんなことでもできるのです」と宣言され、悪い考え、習慣に終止符を打たれました。主キリストが癒やし、解放の変化の起点となってくださるのです。
まず、イエス様ご自身が、遣わされた救い主として、神の力を信じて疑わない信仰者でした。イエス様だけではなく、信じる者、私やあなたにも実現するのです。私たちの人生に直接働きかけ、今までの流れと違う新しい恵みの流れを、ここだというところで生み出してくださいます。「信じる者には、どんなことでもできるのです」、この御言葉を心に刻み歩んでまいりましょう。
3. 信仰の成長の選択!
「信じます。不信仰な私をお助けください」と父親は叫んでいます。父親は息子の病気が治ることを願っていましたが、その前に、自分の不信仰が直されねばならなかったのです。問題の根源は自分にあると気付いたのです。
私たちも信仰が成長することを選び取りたいと思います。弟子たちにも、この種のものは祈りによらなければと、信仰の成長を促しておられます。私たちも、より信じ、祈りによって主イエスから、信仰と悪霊に勝つ力を頂きましょう。
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