私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。・・・だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。(ローマ7:22~24)
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ3:23、24)
今日の聖書箇所は、新約聖書の多くの部分を書いた初代教会の大伝道者であり、律法学者であり、ラビと呼ばれる知識の持ち主であったパウロが、頭では分かっている、理屈も分かっているのに、したくない悪をやめることができない愚かな人間だと語った箇所です。
私たちもパウロと同じように愚かで身勝手な人間であることを認め、神の恵みによって初めて救われる者であることを認めましょう。神様の前にへりくだり、救いを頂くための3つのポイントを押さえていきたいと思います。
1. 理屈や建前と本当の自分とのギャップ!
私たちは自分を見つめ直すときに、理屈や建前の自分と本当の自分の間に随分とギャップがあることを認めたいと思います。パウロはしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪を行っていると語りました。律法を学び、理解していたパウロでさえ、自分の中に悪が存在し、罪で汚染されて悪の奴隷のようであると告白しています。
私たち日本人は、パウロ以上に建前と本音にギャップがあります。頭の中では神様に喜ばれる清い行動も分かっているのにそれができないことを覆い隠すのではなく、心が悪に支配されて罪の奴隷であることを素直に認めたいと思います。
2. 値なしに、功績なしに救われる方法
私の知らないところで、代価も支払わず、何の功績もないのに罪深い私が救われる方法が実現したことが、聖書に宣言されています。私たちを愛し救い、主イエス・キリストが私たちの罪の贖(あがな)いの代価として自らの命を捨てて、私たちの身代わりとなって十字架にかかり、死んでくださいました。
この事実によって、私は罪のない者、義なる者とされる、神様からの救いの方法、贖いの事実が実現したことを感謝したいと思います。私が信仰を持つ前、存在する前から神様は私を救うための方法を実現してくださっていたことを心から感謝したいと思います。
3. 義と認められ、救われる者となる!
罪人である私たちは、イエス様を信じる信仰によって義と認められ、神によって救われるのです。愚かな私たちという事実の上に、イエス・キリストがすでにご自分の命で罪の代価を支払われ、私たちに救いを実現してくださるという事実が重なるのです。
世界の戦争はやむことがなく、詐欺や殺人もなくなりません。しかし、それは単に他人の話ではなく、一番の原因は私たちの内にある罪です。滅びるしかない、どうしようもない罪人の私たちが、ただイエス・キリストを信じることによって救われるのです。
私の心に入ってください、共に歩んでくださいと願うことにより、人生が変えられ、例外なく救われるのです。そのことを感謝したいと思います。この夏も思いっきり恵まれ、イエス様の愛を受けて本当の自分を見いだし、イエス様につながって力強く歩んでまいりましょう。
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