「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」 しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。(ヨハネ12:5、6)
イエスが政治的指導者にはならないと予知したユダは、イエスを裏切ろうとしていました。金入れに収められたものをいつも盗んでいたユダは、貧しい人に施すという偽善で、自分の不信仰をカモフラージュしていたのです。
それに対してマリアは、イエス・キリストの葬りの時のために、大切に取っておいた自分の嫁入り道具である貴重な香油をイエスにささげました。マリアは、イエスをキリストと信じる信仰と、自分と家族に良くしてくださった主への感謝の思いを、献金と献身という形でささげたのです。
「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です」(ローマ8:5、6)
信仰によるささげ物は、天において神に覚えられています。永遠に朽ちない宝物として天に積まれています。
神は、私たちに信仰があるかどうかを見られます。信仰による行いは、神が覚えてくださり、永遠に朽ちることなく天に積まれています。信仰者として、信仰によるささげ物を神におささげする人生へと変えられていきましょう。
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