それで、ペテロはもう一度否定した。するとすぐ鶏が鳴いた。(ヨハネ18:27)
ペテロが師であるイエスを否定したこの時、イエスは大祭司の手下や役人、兵隊に捕らえられ、大祭司の宮殿で宗教指導者たちによって裁判にかけられていました。イエスはご自身の十字架刑が父なる神のご計画であることを受け入れ、覚悟しており、大胆な信仰で行動しました。イエスの十字架刑が父なる神のご計画にあったので、イエスは敵対する人々に弁解したり反論したりしなかったのです。
イエスの信仰は、天の父なる神の御心に従順し、語るべきときには語り、黙するときには黙し、行動するときには大胆に行動するものでした。自分の気持ちに左右されることなく、父なる神の御心に従うように行動されました。
自分の命に危険があっても、父なる神のご計画に従うことを優先し、恐怖に支配されませんでした。キリスト者の目指す信仰の手本を、イエス・キリストが見せてくれています。
一方ペテロは、「あなたもあの人(イエス)の弟子ではないでしょうね」と言われたとき、自分の身を守るためにイエスを否定しました。イエスの弟子として見ると、ペテロは不信仰な行動を取ってしまいました。
ペテロの信仰には熱心さや情熱があるので行動力はありますが、恐れによって気持ちが大きくブレてしまい、神の御心に反した行動に出てしまいました。ここでは、愛する師であるイエスを否定したことで、自分の弱さを知り、男泣きをしてしまいました。
キリスト者の目指す信仰の手本は、イエス・キリストにあります。
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