あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)
イエスは、最後の晩餐に入る前に12弟子の足を洗った後、新しい戒めを弟子たちに与えました。それは「互いに愛し合いなさい」という教えです。洗足で、御言葉によるきよめの教えを表し、新しい戒めを与える最終段階になったことを示されました。弟子同士が互いに愛し合う時が来たことを教えられたのです。
これまではイエスの御言葉による教えに従う戒めでしたが、イエスがいなくなるこの時には、弟子同士が御言葉に従い、神の愛を示すという新しい戒めが与えられたのです。
「もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです」(ヨハネ13:35)
主を求め続け、もし互いの間に神の愛があるなら、イエスの弟子であることをすべての人が認めるのです。その人は、神の子であるイエスの弟子として、主キリストの栄光を反射させながら、信仰が成長してキリストの似姿に変えられていき、自分の中にキリストを見ることができます。
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」(2コリント3:18)
赦(ゆる)すという愛が、一番深くて偉大なことです。人は弱い存在です。恐れや不安から、誘惑にのってしまうような場面はたくさんあります。しかし、偉大な存在である神に愛され、その偉大な方から罪を放免されていることに感謝し、人の罪を赦すことです。なぜなら、裁く方は罪のない神お一人だけであり、神の裁きはことごとく正しいからです。私たちは罪を持っている罪人なので、先走った裁きをせずに、神に委ねてお任せします。
「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません」(マタイ6:14、15)
「また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい」(1ペテロ1:17)
神は人のしわざや、その行いに従って正しく裁き、報われます。
「わたしが、定めの時を決め、わたしみずから公正にさばく」(詩篇75:2)
天の父は、イエス・キリストを裁き主と定められました。主の裁きはまことであり、ことごとく正しいのですから、神の定めの時まで主を恐れ、悔い改め、身を慎んで生活し、公正な裁きをされる神を人々に証しして過ごしましょう。
「主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい」(詩篇19:9)
死から復活されたイエス・キリストの福音により、私たちも死んで主によってよみがえり、主と共に御国で永遠に生きることができます。私たちの信仰と希望は、神にかかっているのです。
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