主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。(ヨハネ21:17)
食事を済ませた後、イエスはシモン・ペテロに言われました。「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか」。この「愛しますか」は、ギリシャ語で「無償の愛」を意味する「アガパオ」です。
それに対してペテロは、「私があなたを愛することは、あなたがご存じです」と答えました。この「愛する」とは、ギリシャ語で「友愛」を意味する「フィレオ」です。
イエスがペテロに求めた愛は無償の愛でしたが、ペテロがイエスに答えた愛は、友愛でした。キリストは「この人たち以上に私を愛するか」と比較形を用いました。人間的な概念にとらわれていない、犠牲的な愛を表現しています。
ペテロは、以前イエスを3度知らないと否定したことを記憶していて、無条件の愛は実現できないが、キリストの友愛ならできると答えたのです。自分でさえ知らない自分のことを言い当てるキリストに、自分の判断を委ねました。
「私の羊を飼いなさい」とイエスはペテロに告げました。イエスが無償の愛を要求したのに、ペテロは友愛ならできると答えたことに対し、キリストを信じ、従う羊たちを牧会するようにと示されました。
「イエス・キリストは羊のために命を捨てた、まことの牧者である」と聖書にあります。罪人のために命を捨てたのは、イエス・キリストだけです。そしてキリストはペテロに、誰よりも愛するキリストの弟子であるあなたが教会の牧会者となって、キリストの羊を牧会するようにと言われました。
キリストが求めているのは、神の家族である信仰者への、無償の愛です。イエス・キリストの全能性や、神の愛を信じて疑わなければ、失望させられることはないというのが、永遠の昔から人のために用意された福音なのです。
神は愛ですという真理は、神はおられるという真理の上に成り立っています。神は、「あなたは誰よりもキリストを愛しますか」と、私たちに信仰を求めておられます。救いとは、悪魔に制せられているこの世の中から救われて、私の名前が天に書き記されることです。
結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者の書12:13、14)
主は私たちに、創造主である神を恐れ、「第一に神を愛し、第二に隣人を愛す」という神の命令を守ることを望んでおられます。
すべてのことを裁かれるのは主です。「主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ」(詩篇111:10)。神を恐れ、神の命令を守り、神を信頼して歩むこと、聖霊により、新生と更新をしていくことを、神は私たちに望んでおられます。
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