3月2日の火曜日に仙台市若林区にある塩釜聖書バプテスト教会の仙台港南エクレシア(家の教会)で、東日本大震災追悼記念礼拝が開催されました。この家の教会の礼拝は、集まる人たちの都合を考慮して、月1回火曜日の午前中です。家の教会のリーダー夫妻は、かつて海から1・2キロ離れた仙台平野の小さな集落に住んでいました。この集落の約100軒のほとんどの家は津波で破壊され、38人が犠牲になりました。リーダー夫妻は震災前から農業を営み、地域の人々に証ししていました。震災後、みなし仮設住宅に住みました。自分たちの生活がままならない中、かつての知り合いを訪問して教会からの支援物資を配布し避難所の人たちを励ましました。また、サマリタンズ・パースの津波修繕プログラムに協力して、60軒の被災した家を住めるまでに回復させました。仮設住宅ができると、支援物資配布や国内外からのクリスチャンボランティアと一緒にさまざまなイベントを開いてつながりを続けてきました。
復興住宅ができて被災者が終(つい)の棲家(すみか)に引っ越すと、お土産を持って定期的に訪問し、時間を使って相手の話をよく聞くようにしてきました。震災の3年後に海から5・5キロ内陸に一軒家を建て、家の教会をスタートさせ礼拝を始めました。この礼拝に支援活動でつながり続けてきた人や近所の人たちを誘うようにしました。コロナ禍の前は礼拝後に昼食が振る舞われ、楽しい時間を過ごしていましたが、今は感染予防で中止しています。毎回20人以上が集っています。
毎年3月の追悼記念礼拝には、顔見知りで身内を失った人たちを招いています。今年は16人に声を掛けましたが8人の出席でした。礼拝の中で牧師が一人一人に手を置いてお祈りし、私たちクリスチャンは被災者の皆さんを忘れないよとのメッセージを書いたカードと大きな花束をプレゼントします。欠席した人たちには訪問してお祈りし手渡します。欠席者の中には心の整理がつかない人もいますが、これからもつながり続けていきます。
この家の教会が関わっている被災者は仙台平野の農家の年配者で、これまでキリスト教について聞いたことのない人たちです。震災がなければクリスチャンと出会うことはなかっただろうし、キリスト教に触れることもなかった人々です。南三陸、石巻や牡鹿半島の漁村も同様です。津波で被災した人々のところにクリスチャンボランティアが支援物資を届け、被災者の声に耳を傾け、肉体労働で手助けしました。それでキリスト教についての評判はとても良いものとなり、クリスチャンの温かさ、誠実さは好意をもって受け入れられました。ところがボランティアは滞在期間が短いので、せっかく仲良くなっても関係は切れてしまいます。それで宣教ネットワークが機能しました。宣教ネットワークが、関わっている被災者に関する情報を分かち合うことで次のボランティアにつなぐようにしました。そうすることで被災者への対応が一本化することになったのです。しかしながら年ごとにボランティアの数が減ってきて、せっかく認められたキリスト教が下火になったように見受けられます。でも、耕された心を持った被災者やみ言葉の種を宿した人もいるはずです。
農村、漁村ではキリスト教に初めて触れて良いものだと分かっても、地域の目を気にしてすぐに信仰告白やバプテスマに導かれるのはまれです。救い主イエス様が分かると、イエス様にお祈りをするようになりますが、先祖にもお祈りします。イエス様を唯一の救い主と信ずるまでには年数がかかります。ですから諦めないで忍耐して関わり続けることが重要になります。被災地は異教の地であり、福音が実を結ぶにはあまりにも荒野すぎますが、クリスチャンボランティアによってずいぶん耕されたと思われます。
仙台港南エクレシアでは関わり続けた結果、これまでに被災者15人がバプテスマを受けました。日本のキリスト教会には高齢化の波が押し寄せて魂を獲得するのが難しくなってきています。伝道して魂を獲得するには、キリスト教が良いものであることを知ってもらわなければなりません。東日本大震災の被災地には今でもそのような評価はありますが、いつまでもそうはいかないでしょう。それ故に被災地の人々と関わる働き人を必要としています。
津波でわが家の田んぼがどこか分からなくなるほどに海水が満ち、海岸の防風林だった松の木が抜き取られ無残な姿で流れついていました。自動車や農機具、家の屋根など、あらゆるものが田んぼを埋め尽くしていました。その時、誰もが田んぼはもう使えないのではないか、たとえ田んぼで米作りを再開したとしても塩水に浸かったのだから完全回復は無理ではないかなどと思いました。ところが丁寧に田んぼのがれきを撤去し、除塩作業を繰り返した結果、数年のうちに震災前と同じ米作りができるようになりました。どんなひどい場所であっても、荒れ地のようなところであっても、時間をかけて丁寧にがれきを取り除き、悪い土壌を改良して耕せば、種を蒔(ま)いて作物を収穫できることを見させられました。
震災前のことですが、因習が強く新しい人を受け入れない固い人間関係で結ばれている農村、漁村は伝道が難しいと思われていました。そんなところに東日本大震災は多くの被害をもたらし、たくさんのクリスチャンボランティアが支援活動に遣わされてきました。そこでキリスト教の良さが証しされ、み言葉の種が蒔かれてきました。しかし、多くの働き人は実を見ることなくそこから去ってしまいました。東日本大震災の被災地は今でも働き人を求めています。被災者の心を耕し、福音の種を蒔き、救いの実を刈り取るのに10年間は短か過ぎます。10年後も救霊の思いを持って被災者につながり続けるなら、きっと多くの魂を主に導くことができるでしょう。
「ですから、『一人が種を蒔き、ほかの者が刈り入れる』ということばはまことです」(ヨハネ4:37)
「そこでイエスは弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい』」(マタイ9:37~38)
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