沖縄宣教研究所所長で沖縄バプテスト連盟神愛バプテスト教会名誉牧師の饒平名長秀(よへな・ちょうしゅう)氏が5日午後6時51分、死去した。87歳だった。召天式が8日午後1時から、一般献花が同2時から那覇葬祭会館(那覇市)で行われた。
1934年那覇市生まれ。生後すぐに父親が亡くなり、宮古島で母子4人の厳しい生活を送った。母親の事情により5歳で植民地・台湾に渡り、学齢期のほとんどを過ごした。敗戦後は、沖縄と本土を往復する生活を送り、岡山での大学生時代には、沖縄についての無知無理解からくる差別に何度も出会ったという。
沖縄に帰ってからも、琉球人としてのアイデンティティーをどうしても確立できずに苦しむ中、那覇バプテスト教会牧師の故・照屋寛範氏との出会いを通してキリスト教に出会った。そこで初めて、人間としての自己、琉球人としての自己を発見し、確立できたという。
2014年の著書ではまえがきで、「著者は常にその『運命(さだめ)』に翻弄され、苦しみ、悩みそして自己定位を得たように思います。従って著者には、貧しき者、迫害されている者、差別されて流浪する者の視点を欠かすことは出来ません。そしてどれだけ現実化できたかは別として、常にそこに立つ、立とうと歩んできたつもりです。それが又、キリスト教徒(弟子)の教徒たるゆえんだと信じております」と述べている。
00年設立の沖縄宣教研究所では所長として、歴史的、政治的、社会的に多くの課題を抱える沖縄の現実に立脚した研究を重視し、これからの沖縄宣教の在り方について研さんを重ねた。沖縄キリスト教協議会議長、沖縄バプテスト連盟副理事長などを歴任。著書に『待ちつつ、早めつつ~キリスト道に生きる~』(神愛バプテスト教会、14年)、共著に『祖先崇拝と福音宣教』(沖縄宣教研究所、01年)、『憲法九条を沖縄アジアから見つめる』(いのちのことば社、08年)、『クリスチャンとして憲法を考える』(同、14年)。