カトリック教会の聖職者から性虐待を受けた被害信者たちが6月21日、長崎市内で集会を開き、「カトリック神父による性虐待を許さない会」を発足させた。集会には約40人が参加し、性暴力被害に詳しい精神科医・臨床心理士の白川美也子さんが講演。仙台、東京、長崎の各地で被害を受けた男女3人がそれぞれの体験を語った。
竹中勝美さん(東京)
両親の離婚により、物心つく前からカトリック系の児童養護施設で育てられた竹中勝美さん(63)=東京都在住=が、性虐待を受けたのは小学4年生の時。当時の施設は児童間のいじめや暴力がひどく、いじめられる側だった竹中さんを慰めてくれたのは、親代わりの存在であったドイツ人のトマス・マンハルド神父(故人)だった。最初は、いじめで受けた傷跡を見せるよう言われるだけだったが、次第に性的な行為に及んでいったという。「誰にも言わないように。言うと地獄に落ちるよ」。そう口止めされた。暴力で命を落とす子もいるほど、いじめが深刻な状況で、竹中さんは複雑な心境を抱えながらも、毎週指定された日に神父の部屋を訪ねた。
マンハルド神父はそれから約半年で異動となり、被害は突然終わった。しかし中学生の時、不良少年による執拗ないじめに悩み、ふと異動先の施設を訪ねたところ、そこでも再び被害に遭ってしまう。自らマンハルド神父の元を訪ねて被害に遭ったことから、「自分には訴える資格はない」と、強い自責の念にとらわれるようになったという。
大人になり就職した後も、人間関係をうまく築けず、トラウマに悩まされた。そして強烈なフラッシュバックが襲ったのは、結婚後、お風呂で子どもの体を洗っているときだった。当時の記憶が鮮明に思い出され、大きな叫び声を上げてしまった。
その後、竹中さんは個人のホームページを立ち上げ、養護施設での体験を、実名を伏せて書きつづるようになる。そこに届いたのが、竹中さんが育った養護施設の職員からの告発だった。「被害は今も続いている。被害者は自分だけではなかった」。被害の事実を伝え調査を求めようと、2001年にカトリック教会や養護施設を運営する修道会などに手紙を送った。だが、謝罪の言葉を添えた手紙は数通戻ってきたものの、被害の調査など具体的な動きを取ろうとする姿はまったく見えなかったという。
カトリック聖職者による性虐待問題を取り上げた映画「スポットライト」が16年、日本でも公開されたが、映画最後に表示される性被害が報告されている国のリストに、日本の名前はなかった。日本における被害がまったく認知されていないことを痛感させられた。
そうした中、カトリック教会のトップであるローマ教皇フランシスコの来日を控えた19年2月、月刊誌「文藝春秋」の誌面上で日本では初めて実名で被害を告発。同年4月には東京で性虐待被害を訴える緊急集会を開催した。そして教皇来日前日には、複数のテレビ番組で、被害を訴える竹中さんの声が全国に放送された。来日当日は、教皇が降り立った羽田空港で、教皇の目に留まることを祈りつつ、日本にも被害者がいることを、ラテン語、英語、日本語で伝えるプラカードを掲げた。
東京での緊急集会には、日本のカトリック教会トップである髙見三明大司教も出席。「すべての性暴力被害者に寄り添う」との約束を取り付けた。日本カトリック司教協議会は今年4月、国内の聖職者による児童性虐待に関する調査結果を発表。虐待の訴えは16件あったことなどをホームページで公表している(関連記事:日本のカトリック聖職者による児童性虐待、訴えは16件 司教協議会が調査結果を発表)。しかし、竹中さん自身への調査報告などは一切なく、誠実さを感じられるものではなかったという。そうしたところに、髙見大司教が管轄する長崎大司教区の女性信徒から性虐待被害を訴える連絡があり、今回、長崎で緊急集会を開催するに至ったと説明した。
鈴木ハルミさん(仙台)
鈴木ハルミさん(67)=仙台市在住=は24歳の時、夫からの家庭内暴力(DV)について相談していた神父から性虐待を受けた。「神の代理人のような立場の人が、なぜあのようなことをしたのか理解できませんでした」。幼い頃から自分を責める性格だったこともあり、性虐待にあったのも「私が悪いことをしたから悪いことが起きた」としか考えられなかったという。
記憶がよみがえる度に、自殺願望が込み上げてきた。そんな中、鈴木さんが唯一安心できた場所は、一人で祈ることのできる自宅のトイレか、夫も殴りに来ないパチンコ屋だった。だがパチンコでは借金が膨れ上がり、2度も自己破産。離婚も4度経験し、家庭でも職場でも人との信頼関係を築けず、「どうして自分の人生が壊れていくのか理解できませんでした」と語る。
プロテスタント教会にも足を運んだが、自分の状況を理解していない牧師から掛けられた言葉は、鈴木さんを断罪する言葉だった。アルコール依存症や双極性障害(躁うつ病)にもなる中、被害から約40年をへて、主治医にこれまで誰にも話したことのなかった過去を告白。「あなたは悪くない」と言われたことで、被害体験の詳細なフラッシュバックがあり、初めてそれが自ら望んだ行為ではない「虐待」であったことを認識した。
教会側にも被害を申告。しかし、調査報告を受けに教会を訪れた際、信頼していた司教から告げられた言葉は、鈴木さんのそれまでの生涯を全否定するものだった。涙声になりながら、鈴木さんは力を振り絞って語った。
「合意でやったと言われたのです。合意でやったと言われたとき、悲しみと怒りで全身が震えました。教会を守りたかった。こんな話がもれたら、教会の信者さんは失望するのではないか、求道者は希望を失って死んでしまうのではないか、と本気で思ったのです。だから、私は神様に誓いました。私は棺桶(かんおけ)に入るまで言いません。沈黙が私の十字架ですと」
「本当につらい長い人生だったけど、今は自分を褒めたいと思っています。ゾンビになってでも子どものために生きると言った、人間としての愛情を持ったことを誇りに思うのです。そして信仰共同体を命懸けで守ろうとした自分で褒めたい。だけど、合意でやったと言われたとき、どう思ったか。私の十字架だと思って生きてきたことを全否定されたのです」
竹中さんと同じく、日本で16年に公開された映画「スポットライト」を観た鈴木さんは、聖職者による性虐待被害者(サバイバー)の世界的ネットワーク「SNAP(スナップ)」の存在を知る。自身もサバイバーであるSNAP創設者のバーバラ・ブレインさん(故人)は、教会内で経験するさまざまな2次被害(セカンドレイプ)に苦しんでいた鈴木さんを支えてくれた。
同年、鈴木さんが代表となり日本のSNAPが設立。現在は、パートタイムで看護師の仕事をしながら、SNAPの日本のリーダーとして、またアジアの窓口として、日々忙しく活動している。
「被害者が、ビクティム(犠牲者)からサバイバー(生き残った人)になるためのお手伝いをすることは、ものすごく生きがいがあるのです。話せば話すほど、力が与えられる。真実を語ることが、自分の人生を変えていく。そして他の人の人生も素晴らしいものに変えていくのです。私自身が今日この一日を生きるために、立ち上がり話すのです。これが本当に大切です。でも、無理矢理に話してというわけではありません。準備ができたら話してほしいのです。そして人生をサバイブしてほしい。『私は悪くなかった』と言ってほしいのです」
50代女性(長崎)
集会では、長崎大司教区の神父から2年前に性虐待を受けた50代の女性も出席し、初めて公の前で自身の体験を語った。女性は18年5月、家族ぐるみで約17年にわたって付き合いのあった神父から被害を受けた。この神父はもともとアルコールに絡む問題があり、女性は被害を受ける前年には、他の神父にも付き添ってもらいながら、神父のアルコールの問題について髙見大司教に相談していたという。
被害を受けた後、女性は心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症した。加害神父は聖職停止処分とされ、今年3月に強制わいせつ容疑で書類送検されたが、不起訴処分となった(関連記事:女性信徒への強制わいせつ容疑で書類送検の神父、不起訴に 長崎大司教区)。女性は「加害神父が不起訴になり、怒りと不信感しかありません。加害神父が、心に痛みもなく、これからへいへいと生活を送ることは絶対に許せません」と訴えた。
一方、被害を教区側に伝え対応を求める中で、「信者は神父の言うことを聞くことが当たり前」などと言われたこともあると述べ、「カトリック教会は弱い人や苦しんでいる人を救うのではなく、神父を守るところになっています」と批判。「被害者は教会に行くのも、ましてや神父に会うのも恐怖でしかありません」「もっと被害者の気持ちになって考えてください。どうか加害神父が平等に審査され、正しい判断が下されることを願っています」と訴えた。
「神父による性虐待を許さない会」発足
被害者3人による体験が語られた後、竹中さんが呼び掛け文を読み、「神父による性虐待を許さない会」の設立が宣言された。設立時の会員は、この日の集会で体験を語った3人と、和歌山県内の被害者1人を含めた4人。被害者ではなく、働きを支援したいと希望する人も加入可能で、今後会員が増えていけば、規約なども整えていくという。問い合わせは、メール([email protected])で受け付けている。