京都の花園大学文学部長・教授にして浄土真宗の僧侶である佐々木閑(しずか)氏と、同じく京都の同志社大学神学部長・教授にして日本基督教団の牧師である小原克博氏。両者のある意味ガチンコ対談集が本書である。序章で佐々木氏が読者を「宗教対話」の世界へ誘い、終章で小原氏がまとめをするという、いわゆるオーソドックスな作りになっている。しかし、その内容たるや従来の対談集とは異なる新たな視点がてんこ盛りである。
小原氏自身の言葉を引用するなら、以下のようになる。
本書には、これまでの対決や対話にはない新しさも多く含まれている。第一に、最先端の学問的恩恵を受けながら、仏教やキリスト教の起源史や歴史的多様性を踏まえた上で、自己理解と他者理解を深めようとしている点である。(中略)本書の新しさの第二は、かつての対話では射程に入らなかったような世界の変化、すなわち、インターネットの影響、地球温暖化に代表される環境問題の深刻化、社会の世俗化に伴う宗教の私事化・教団組織の弱体化などを、仏教とキリスト教、両宗教の共通の課題として扱っている点である。(中略)第三に、(中略)宗教とは何かを一般論・抽象論として問うのでもなく、本書は、仏教とキリスト教を比較する中から、宗教が持つ人類史的な意味、その現象全体を知るための手がかりを提供しようとしている。(207~208ページ)
序章、終章を除けば、6章からなるこの対談集は、仏教、キリスト教が交互に話題となり、それとの対話としてもう一方の宗教が比較されるという構成になっている。仏教のことを知らないキリスト教信者にとっては、「そうだったのか!」という新鮮な驚きがあるし、古色蒼然(そうぜん)とした感のある仏教が、インターネット社会の闇を「ネットカルマ」という言葉で見事に射抜いていることに正直驚いた。佐々木氏の慧眼(けいがん)というべきだろう。
著者の一人である小原氏には同志社大学神学部でお世話になったため、本書を読むことは私にとって半ば「必須課題」であったが、読後感としてはむしろ佐々木氏の論理展開に大きな刺激を受けた。特に序章で「宗教について学ぶ機会を奪われた多くの日本人」(14ページ)というフレーズは、思わず「我が意を得たり」とばかり、文字通り膝を打ってしまった。
さらに第1章の「こころ教」という切り取り方は、「宗教」について学ぶ機会を奪われた日本人がどうしてスピリチュアルなものに傾倒するのか、ということを見事に表現しているように思われた。この発想は、キリスト教神学からは出てこなかったと思われる。佐々木氏が言うように、「諸行無常」と「諸法無我」に代表される「どこにも救済者がいない」という前提に立つからこそ、この原則からの変節である大乗仏教の思想を極限まで敷衍(ふえん)することができたと推察できる。
なぜなら、キリスト教はその原点から宣教という観点で「救済者はここにいる」とイエス・キリストを指し示してきたため、それが暗黙の了解となってしまい、対象を徹底して客体化することは難しくなってしまうからである。
私は、キリスト教内の枠組みでいうなら、保守派、福音主義に立つ信仰者(福音派)ということになる。「こころ教」との関連でいえば、まさに佐々木氏が指摘する在り方で「キリスト教(信仰)」を捉えている者である。私たちが「よきもの」としてある意味「神聖不可侵」としてきた領域に、両者の対談を通していきなり別の方向から光が差し込まれたような感覚に陥ってしまったことを正直に告白しておく。
そういった意味で、福音派、保守的なキリスト者を自認する人にはぜひ本書を手に取ってもらいたい。決して己の信仰に疑いを持てというのではない。むしろ私たちが目指していることが、2人が語る「こころ教」となる危険性をしっかり踏まえ、そうならないように私たちなりに考察を深める必要性を感じ取ってもらいたいのである。
同時に、本書は6章末で大きなチャレンジを福音主義信仰者へ投げ掛けていると思われた。それは、現代における宗教の役割ということで、小原氏が次のように語り、佐々木氏も同意している点である。
宗教はやはりニッチな領域に腰を据えてとどまるのがよさそうですね。(中略)宗教の役割や魅力を再発見しに、どうぞ来てくださいというように、あえて控えめに存在していた方が、かえって本来の使命に立ち返ることができるように思います。(204ページ)
また、小原氏は次のようにも語っている。
1%の人たちは、どんなに理解されずとも、信念を貫いていくしかないですね。(131ページ)
資本主義化された宗教マーケットにおいて、信者の数を増やすとか、献金の額を増やすとか、そちらの方向に向かって一生懸命になる場合が多いと思います。(137ページ)
この辺りの理解は、恐らく実際に福音主義信仰を持っている者からすると違和感を抱かざるを得ないだろう。本書のタイトルになっているように、「宗教は現代人を救えるか」という課題に(本人としては)本気で取り組んでいる、という自負を持つ者なら、「ちょっと待った!」と言いたくなるのではないだろうか。
私は本書を否定するつもりは全くない。むしろ刺激的な読書体験となったし、今教えている学生たちにも紹介して、読むことをお勧めしたい一冊である。
と同時に、私を含め福音主義者は、確かにマーケティング意識を持ち、信者の数を増やし、献金を意識するが、それは単にそれだけではない、ということも伝えるべきであると本書を通して痛感した次第である。そのためには、歴史的な背景を踏まえながら、きちんと伝わるアカデミックな言葉で「福音主義者」としてのアイデンティティーを語ることである。もしそのような機会を頂けるなら、喜んではせ参じたいとも思わされた。
いずれにせよ、本書は今までにない「宗教対談集」となっている。そして現代性を意識する中で、宗教の在り方を鋭く問うという意味で、今後も取り上げられるべき一冊であろう。
■ 佐々木閑、小原克博著『宗教は現代人を救えるか 仏教の視点、キリスト教の思考』(平凡社 / 平凡社新書、2020年4月)
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