皆さん、こんにちは! 続けて京大式・聖書ギリシャ入門を担当しております宮川創、福田耕佑です。3月は全世界が新型コロナウイルスに苦しんだ月でした。宮川のいるドイツでは、幾つかの州で外出禁止令が出、日常生活がガラリと変わりました。大学も閉鎖されました。福田のいるギリシャのテッサロニキでも、大学や図書館だけでなく、さまざまな施設や商店が封鎖となり、街を歩く人も驚くほど少なくなりました。今後もウイルスの影響は続きそうですが、このウイルスのために苦しまれている方々の上に、神様の恩恵がありますようお祈り申し上げます。
今回は、使徒言行録から聖句を選びました。新しい文法事項も学びながら、前回までの復習もできるようになっています。それでは、前回の練習問題の確認から始め、例題15(使徒言行録1章8節後半)を取り上げ、今回は繋辞(けいじ)動詞の未来形について学んでいきましょう。
■ 第19回の練習問題の確認
1)形式所相動詞 ἔρχομαι 「私は~に来る」の現在形の活用を書きなさい。
* ἔρχομαι 「私は~に来る」の現在の活用
単数 | 複数 | |
1人称 | ἔρχομαι | ἐρχόμεθα |
2人称 | ἔρχῃ | ἔρχεσθε |
3人称 | ἔρχεται | ἔρχονται |
2)次の文章を訳しなさい。ただし、αὐτὸν の指示内容は「イエス・キリスト」とする。
ὄψεται αὐτὸν πᾶς ὀφθαλμὸς
ὄψεται | [動詞] | 見る、認める(ὁρῶ(-άω) の未来形) |
αὐτὸν | [代名詞] | 彼を(αὐτός の3人称・単数・対格) |
πᾶς | [形容詞] | すべての~、あらゆる~ |
ὀφθαλμός | [名詞] | 目(男性:-ού) |
前回からの復習ですが、ὄψεται という動詞は変わった動詞でした。現在形の ὁρῶ(-άω) は約音動詞 άω 型の変化でしたが、未来形では ὁρ- の語幹ではなく、ὄψ- の語幹を用い、しかも形式所相動詞のように能動の意味なのに、活用は「中動態」の活用で振る舞いました(未来では、受動態と中動態の形が異なり、未来の受動態・中動態については次回以降で学ぶことになります)。ὄψεται の語尾は -εται になっており、上記の活用表で3人称・単数・未来(活用表では現在形)の活用形であることが分かります。そこで意味は、3人称・単数の主語が「見るだろう」となります。つまりこの動詞は、形式所相動詞のように見かけは中・受動態ですが、意味としては能動になっていますので、注意してください。以上から、ὄψεται は「(主語は)(目的語を)見るだろう」という意味になります。
次に主語ですが、これは主格の πᾶς ὀφθαλμὸς 「すべての目が」が当たります。一番後ろに置かれているのに、文の主語というのは変な気もしますが、ギリシャ語では、名詞が語尾でその名詞の「格」、つまり文の中での役割を明示してくれますので、語順はかなり自由度が高いのです。そして、目的語が αὐτὸν で「彼を(今回は「イエス・キリストを」)」となりました。よって、ὄψεται αὐτὸν πᾶς ὀφθαλμὸς は「すべての目が彼を見るだろう」となります。英語やフランス語に見られるような語順に並び替えてみますと、
πᾶς ὀφθαλμὸς ὄψεται αὐτὸν
(主語) (動詞)(目的語)
のような形になります。このように並び替えた方が、意味が分かりやすいかもしれませんね。前回の復習は以上になります。
■ 例題15(使徒言行録1章8節後半)
「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる」(聖書協会共同訳)
「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となります」(新改訳2017)
ギリシャ語:ἔσεσθέ μου μάρτυρες ἔν τε Ἰερουσαλὴμ καὶ [ἐν] πάσῃ τῇ Ἰουδαίᾳ καὶ Σαμαρείᾳ καὶ ἕως ἐσχάτου τῆς γῆς.
<語釈>
ἔσεσθε | [動詞] | ~である(繋辞動詞 εἰμί の2人称・複数・未来形) |
μου | [代名詞] | 私の(1人称・単数・属格) |
μάρτυρες | [名詞] | 証人、目撃者(男性・女性:μάρτυς(-υρος) の複数・主格) |
ἔν | [前置詞] | (与格と共に)~で、~において(第3回参照) |
τε | [小辞] | ~と、~も |
Ἰερουσαλὴμ | [名詞] | エルサレム(女性:無変化) |
καὶ | [接続詞] | ①そして、~と(英語の and、フランス語の et)、②~も(英語の too、フランス語の aussi) |
πάσῃ | [形容詞] | 全~、すべての~、あらゆる~(形容詞 πᾶς の女性・単数・与格) |
τῇ | [冠詞] | 女性・単数・与格と(第11回参照) |
Ἰουδαίᾳ | [名詞] | ユダヤ(女性:Ἰουδαία(-ας) の与格) |
Σαμαρείᾳ | [名詞] | サマリア(女性:Σαμάρεια(-ας) の与格) |
ἕως | [前置詞] | (属格と共に)~まで(第6回参照) |
ἐσχάτου | [形容詞] | 最後の~、果ての~(形容詞 ἔσχαστος の男性・単数・属格、名詞として使用) |
τῆς | [冠詞] | 女性・単数・属格と(第11回参照) |
γῆς | [名詞] | 地、世界(女性:γῆ(-ῆς) の属格) |
■ 繋辞動詞の未来形
まずはあらためて、繋辞動詞 εἰμί について復習しましょう。繋辞動詞については主に第5回で学びました。繋辞動詞は英語でいう be 動詞や、フランス語でいう être 動詞に当たるものでした。現在形の活用ですが、-μι で終わっていますし、μι 動詞の仲間に入りはするのですが(μι 動詞については第8回参照)、少々変則的な活用をしました。再度復習のために現在形を確認しておきましょう。
* 繋辞動詞 εἰμί の現在形
単数 | 複数 | |
1人称 | εἰμί | ἐσμέν |
2人称 | εἶ | ἐστέ |
3人称 | ἐστί(ν) | εἰσί(ν) |
となりました。さらにややこしくなりますが、聖書ギリシャ語で「もし~なら」を表す接続詞(英語の if、フランス語の si)は εἰ になりますが、εἰμί の2人称・単数形ととてもよく似ています。しかし、アクセントに違いがありますのでよく確認してください。
それでは、いよいよ皆さんお待ちかねの εἰμί の未来形の活用を見てまいりましょう!
* 繋辞動詞 εἰμί の未来形
単数 | 複数 | |
1人称 | ἔσομαι | ἐσόμεθα |
2人称 | ἔσῃ | ἔσεσθέ |
3人称 | ἔσται | ἔσονται |
ここで確認していただきたいのが、活用の語尾が -ομαι や -όμεθα などになっており、受動態や形式所相動詞のところで学んだのと同じ語尾が接続しています。より厳密な形でいうと、上記で学んだ ὄψεται と同じように、未来形では「中動態」の語尾が接続しています(繰り返しになりますが、未来では、受動態と中動態の形が異なり、未来の受動態・中動態については次回以降で学びます)。意味が能動あるいは能動に準ずるものであるにもかかわらず、能動でない語尾が接続するというのは不思議ですが、ギリシャ語ではこのような現象がしばし見られます。
実は、分量の都合で省略しましたが、使徒言行録1章8節の前半「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」の「~を受ける」の部分のギリシャ語は λήμψεσθε で、語幹の形が変化していますが λαμβάνω「取る、得る、受け取る」の2人称・複数・未来形に当たります。まさしく ὄψεται や繋辞動詞の未来形と同じく、「現在形は能動形の語尾が接続するが、未来形になると中動態の語尾が接続」しています。
また、繋辞動詞の未来形で、3人称・単数が ἔσεται ではなく ἔσται となり、ἔσεται のように ται の前の ε が脱落していることにも注意してください。
■ 本文の解説①
ギリシャ語:ἔσεσθέ μου μάρτυρες
ἔσεσθε | [動詞] | ~である(繋辞動詞 εἰμί の2人称・複数・未来形) |
μου | [代名詞] | 私の(1人称・単数・属格) |
μάρτυρες | [名詞] | 証人、目撃者(男性・女性:μάρτυς(-υρος) の複数・主格) |
今回は解説で本文を区切る位置がいびつになってしまいますが、ἔσεσθέ μου μάρτυρες から見ていきましょう。まずは ἔσεσθέ ですが、これは上記の繋辞動詞の未来形の表で確認しましたが、繋辞動詞 εἰμί の2人称・複数・未来形に当たります。次に μάρτυρες ですが、これは第3変化名詞 μάρτυς(-υρος) の複数・主格に当たる形です。第3変化名詞ですので少々曲用がややこしく、次のようになります。
*第3変化名詞 ρ 幹の曲用(ただし、主格有語尾で例外的な曲用)
単数 | 複数 | |
主格 | μάρτυς | μάρτυρες |
属格 | μάρτυρος | μαρτύρων |
与格 | μάρτυρι | μάρτυσι |
対格 | μάρτυρα | μάρτυρας |
曲用語尾など第3変化名詞の一般的な情報に関しては第10回を参照してください。この表より、μάρτυρες は複数・主格であることが分かります。ちなみに μάρτυς という言葉は、この単語の別形が英語とフランス語の martyr(殉教者)の語源になっています。
次に「私の」を表す所有の代名詞 μου ですが、詳しい使用法は第16回で学びました。「私の~」や「あなたの~」を表す言葉が英語の my やフランス語の mon のように前から修飾している方が分かりやすい面もありますが、現代ギリシャ語や聖書ギリシャ語では、所有の代名詞は名詞の後ろから修飾するのが一般的でした。しかし今回は例外的に、英語やフランス語と同じく、所有の代名詞が修飾する名詞の前に来ており、ἔσεσθέ μου μάρτυρες で「あなたたちは私の証人になるでしょう」という意味になります。
■ 本文の解説②
ギリシャ語:ἔν τε Ἰερουσαλὴμ καὶ [ἐν] πάσῃ τῇ Ἰουδαίᾳ καὶ Σαμαρείᾳ καὶ ἕως ἐσχάτου τῆς γῆς.
ἔν | [前置詞] | (与格と共に)~で、~において(第3回参照) |
τε | [小辞] | ~と、~も |
Ἰερουσαλὴμ | [名詞] | エルサレム(女性:無変化) |
καὶ | [接続詞] | ①そして、~と(英語の and、フランス語の et)、②~も(英語の too、フランス語の aussi) |
πάσῃ | [形容詞] | 全~、すべての~、あらゆる~(形容詞 πᾶς の女性・単数・与格) |
τῇ | [冠詞] | 女性・単数・与格と(第11回参照) |
Ἰουδαίᾳ | [名詞] | ユダヤ(女性:Ἰουδαία(-ας) の与格) |
Σαμαρείᾳ | [名詞] | サマリア(女性:Σαμάρεια(-ας) の与格) |
ἕως | [前置詞] | (属格と共に)~まで(第6回参照) |
ἐσχάτου | [形容詞] | 最後の~、果ての~(形容詞 ἔσχαστος の男性・単数・属格、名詞として使用) |
τῆς | [冠詞] | 女性・単数・属格と(第11回参照) |
γῆς | [名詞] | 地、世界(女性:γῆ(-ῆς) の属格) |
次に後半部を見ていきましょう。この部分は、「あなたたちが『どこで』私の証人になる」のかの「どこで」の部分を表しています。まずは ἔν τε Ἰερουσαλὴμ καὶ [ἐν] πάσῃ τῇ Ἰουδαίᾳ καὶ Σαμαρείᾳ です。なるべく分かりやすくなるように、立体的に並び替えてみると、
① ἔν τε Ἰερουσαλὴμ
καὶ
② [ἐν] πάσῃ τῇ Ἰουδαίᾳ
καὶ
Σαμαρείᾳ
のように並べることができるでしょう。大きく見ると①と②になります。①の ἔν τε Ἰερουσαλὴμ ですが、前置詞の ἔν は与格を伴って「~で、~において」を表す前置詞でした。「エルサレム」を表す名詞 Ἰερουσαλὴμ は無変化の名詞ですので、見かけ上は与格の形になっていませんのでご注意ください。そして「~と、~も」を表す小辞の τε を伴って、① ἔν τε Ἰερουσαλὴμ は「エルサレムでも、エルサレムにおいても」となります。
次に、毎度おなじみの「そして」を表す接続詞 καὶ が登場し、①と②を結びます。②の [ἐν] πάσῃ τῇ Ἰουδαίᾳ καὶ Σαμαρείᾳ も、構造的には①と同じです。エルサレムに当たる部分に πάσῃ τῇ Ἰουδαίᾳ καὶ Σαμαρείᾳ「すべてのユダヤとサマリアに」が入っているだけです。②は①と違って、「すべての、全」を表す形容詞 πᾶς の女性・単数・与格形が置かれていることと、Ἰερουσαλὴμ と異なって τῇ Ἰουδαίᾳ καὶ Σαμαρείᾳ が定冠詞を伴って与格に活用しています。こうして、②全体で「すべてのユダヤとサマリアにおいて」となります。
最後に後半部分の後半、まさに ἔσχαστος(「最後の~」)に当たる部分を見ていきましょう。καὶ ἕως ἐσχάτου τῆς γῆς ですが、ここも同様に「そして」を表す接続詞 καὶ が、前の部分と ἕως ἐσχάτου τῆς γῆς を結んでいます。第6回でも学んだ前置詞 ἕως は、後ろに属格を伴って「~まで」という意味を表します。「どこまで」なのかと申しますと、ἕως ἐσχάτου で「果てまで、最後まで」となります。この ἔσχαστος は本来「最後の~、果ての~」を表す形容詞で、英語やフランス語に eschatology あるいは eschatologie「終末論」という単語として入っています。今回は「終末論、世の終わり」のような時間的な用法ではなく、τῆς γῆς に修飾されて「地の終わり」として空間的用法で用いられています。ἐσχάτου はここでは名詞として実詞的に用いられています。ですので、καὶ ἕως ἐσχάτου τῆς γῆς 全体で「そして地の果てまで」という意味になります。
■ まとめ
最後に例文全体をもう一度見てみましょう。
「ἔσεσθέ μου μάρτυρες ἔν τε Ἰερουσαλὴμ καὶ [ἐν] πάσῃ τῇ Ἰουδαίᾳ καὶ Σαμαρείᾳ καὶ ἕως ἐσχάτου τῆς γῆς.」の直訳は、
「あなたたちは、エルサレムにおいても、そしてすべてのユダヤとサマリアにおいて、そして地の果てまで私の証人となるでしょう」となります。今回の例文は全体としては長めでしたが、新しい文法事項は前半の3語に集中していました。
■ 練習問題
1)繋辞動詞 εἰμί の未来形の活用を書きなさい。
* 繋辞動詞 εἰμί の未来形
単数 | 複数 | |
1人称 | ||
2人称 | ||
3人称 |
2)次の文章を訳しなさい。
ἔσεσθέ μου μάρτυρες
今回の講座は以上になります。定冠詞が付いておらず、特定を受けていない「地の果て」とはどこなのでしょうか。私たちの各々は一体どこで証人となるのでしょうか。次回は、中動態の解説を行いたいと思います。次回もお楽しみに!(続く)
◇
宮川創(みやがわ・そう)
1989年神戸市生まれ。独ゲッティンゲン大学にドイツ学術振興会によって設立された共同研究センター1136「古代から中世および古典イスラム期にかけての地中海圏とその周辺の文化における教育と宗教」の研究員。コプト語を含むエジプト語、ギリシャ語など、古代の東地中海世界の言語と文献が専門領域。ゲッティンゲン大学エジプト学コプト学専修博士後期課程および京都大学文学研究科言語学専修在籍。元・日本学術振興会特別研究員(DC1)。京都大学文学研究科言語学専修博士前期課程卒業。北海道大学文学部言語・文学コース卒業。「コプト・エジプト語サイード方言における母音体系と母音字の重複の音価:白修道院長・アトリペのシェヌーテによる『第六カノン』の写本をもとに」『言語記述論集』第9号など、論文多数。
福田耕佑(ふくだ・こうすけ)
1990年愛媛県生まれ。現在、テッサロニキ・アリストテリオ大学訪問研究員。専門は後ビザンツから現代にかけての神学を含むギリシャ文学および思想史。特にニコス・カザンザキスの思想とギリシャ歴史記述とナショナリズムに関する研究が中心である。学部時代は京都大学文学部西洋近世哲学史科でスピノザの哲学とヘブライ語を学んだ。主な論文に「ニコス・カザンザキスの形而上学と正教神学試論 ―『禁欲』を中心に―」(東方キリスト教世界研究〔1〕2017年)、またギリシア語での主な論文に "Ο Καζαντζάκης και ελληνικότητα(カザンザキスとギリシア性)"、"Ο Νίκος Καζαντζάκης απω-ανατολική ματιά(カザンザキス、極東のまなざし)"(2019年)など。