現地時間3日に行われた「スーパーチューズデー」。共和党の結果はもちろん、現職大統領のドナルド・トランプ氏支持で終結だが、直前まで候補者が乱立していた民主党は、バーニー・サンダース氏とジョー・バイデン氏の一騎打ちという様相を見せている。
さて、現在までの結果を米国市民はどう考えているのだろうか。特に筆者が関心を寄せているのは、熱心に教会に通い、宗教的な視点で物事や世界を眺める福音派陣営の動向である。今回の結果を踏まえ、彼らがどんな考え方に進むのか、3つのポイントに絞って考察してみたい。
1. 福音派は4年前と同じくトランプ支持で結束するか
2016年の大統領選では、白人福音派層が87パーセントもトランプ氏を支持するという結果であった。もちろんこの「支持」という中には、熱心に彼を支持した者から、「ヒラリーよりはまし」と消極的な理由で支持に加わった者までいる。とはいえ、既存主流派であるWASPの支持がトランプ氏に集まったことは否めない。
では、今回はどうか。この判断材料として最も大切になってくるのは、誰が民主党の代表候補として名乗りを上げるかである。
(白人のみならず)福音派と称される集団は、基本的に変化を嫌う。例えば、トランプ氏が共和党内で「泡沫候補」と言われていたときは、彼のことを悪しざまに語っていたとしても、一旦大統領に就任すると、手のひらを返したように彼を称賛するようになる。それは、ローマの信徒への手紙13章1節の「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」を、そのまま字義通りに信じ受け入れているからであろう。
この考え方からすれば、彼ら福音派が再びトランプ氏に投票する可能性は大いにある。しかし、彼の言動に愛想をつかしている福音派層も存在している。彼らにとって、トランプ氏はやはり「クリスチャンらしくない」「大統領らしくない」のである。
そういった層は、今回の選挙で共和党から離れ、民主党候補に興味を示すだろう。どれほどの数になるかは分からないが、白人福音派層が前回のような高い割合でトランプ氏に投票するとは考えにくい。
2. サンダース氏とバイデン氏、どちらが福音派に受け入れられやすいか
ここにもう一つの要素を加えなければならない。それは、民主党を支持する福音派層である。かつては「ソージャナーズ」などを主宰したジム・ウォリス氏などは「福音左派」などとマスコミから言われたが、そういった層が確かに存在する。
彼らにとって、サンダース氏とバイデン氏なら、どちらを支持するだろうか。これは明白である。当然バイデン氏だろう。なぜなら、サンダース氏の公約を見ると一目瞭然だが、彼は自他ともに認める「民主社会主義者」である。既存の米国政治にとっては、トランプ氏同様に異端児の一人である。従来、大統領選で党の代表候補に指名されるということは、長年同じ党に所属し、そこでの貢献を踏まえて指名を獲得する、というのが慣例であった。しかし、トランプとサンダースの両氏は、そのような既存の体制に牛耳られた政界に、ある種ポピュリズム的な人気で乗り込んできた一匹オオカミであった。
つまり、もしもサンダース氏が民主党の代表候補として指名されるなら、それは「トランプ」VS「裏トランプ」の争いとなり、もっと対極的な視点で見るなら、政治的しがらみから自由な異端児同士の戦いとなり、既存の政治機構が完全に崩壊させられる可能性が高まる、ということなのである。
そうであるなら、福音派からは、「まだトランプの方がマシ」と決め込むか、「どちらもイヤ」と、選挙放棄を選択する者も出てくるだろう。
民主党が怖がっているのは、このようなモンスター同士の戦いに持ち込まれ、既存の政治体制そのものが機能不全に陥ることであり、そして中道派がバイデン氏で一本化しようとしているのは、それを避けたいがためである。
では、バイデン氏が指名獲得した場合はどうだろうか。おそらく、それはトランプ氏の言動に不満を抱える福音派にとっては、民主党支持にソフトランディングしやすくなるだろう。そもそも共和党=保守、民主党=革新という明確な構図が機能していたのは、1980年代くらいまでだろう。それは、ビル・クリントン氏が民主党内で中道路線をとったことで大統領になったことからも分かる。結果、色は赤(共和党)と青(民主党)だが、両党はどちらもが米国の多様性に対処するために「中道路線」をとらざるを得なかったのである。
つまり、バイデン氏が予備選で勝利してトランプ氏と対峙することになり、さらにトランプ氏に不満を抱く共和党内の層からも支持を集め、大統領選で勝利するようなことになれば、それは従来の政治劇が展開されるということである。米国は再び逆説的な意味で「安定期」に入る可能性が高まる。トランプ氏は4年間で大統領としての任期を終え、新たな民主党大統領が誕生し、そしてそれは「中道路線」という名の、共和党、民主党どちらもが何となく受け入れられる路線で進むのだろう。福音派はそこで初めて逡巡(しゅんじゅん)することになろう。
3. 新たなカウンターカルチャー勃発か
しかし、単なる「政治」という枠だけで今回の問題を片づけてしまうのは早急だろう。福音的な信仰を持ちつつも、目の前の現実的な必要のために、宗教的な見地のみで候補者を判断しない層もいるだろう。例えば、支払えないほどの「奨学金という名の借金」を負わされ、一度インフルエンザや新型コロナウイルスにでも罹患(りかん)するなら、その医療費を支払えないほど、経済的に困窮している若者層(ジェネレーションZ)にとって、やはり必要なのは、実際的な支援だろう。それをトランプ氏とサンダース氏、はたまたバイデン氏の誰が与えてくれるというのか。そんな観点から候補者を選択する可能性も十分ある。そうなるともはや、これまでの米国政治で重要視されてきた「福音派」というカテゴリーそのものがメルトダウンしてしまい、こういったくくりで考察を加えることが無に帰してしまう。
今回の大統領選は、そういった意味で米国にとっての大きな分岐点になる可能性がある。それは単純に「トランプ氏が再選するか」ということだけではない。米国が築き上げてきた政治体制そのものが、異端児たちによって崩壊することを支持する人々が、既得権益にしがみつく人々よりも多くなりつつあるのか、ということである。もし、既存体制に「否」を突き付ける人が上回るのであれば、米国は内部からその体質が変化しているということを示すだろう。
そういった意味で、民主党の代表候補指名をサンダース氏が取るか、バイデン氏が取るか、という問題は、そのまま米国にとって、現行のシステムそのものを維持できるか、変革すべきかを図る試金石となる可能性は否定できないところであろう。いずれにせよ、現時点では「神のみぞ知る」である。(終わり)
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