2014年春のナッシュビルツアーは、表題にもあるように「最も小さなナッシュビルツアー」であった。しかし、それは規模のこと(義弟と2人)であって、その中身ではない。むしろ出会いやイベントは、最も濃厚な実りある旅であったと言ってもいいだろう。
今回は、この旅で出会えた方、また訪問した先をコンパクトにまとめてみたい。これは米国南部を知るよい資料にもなるだろう。
1)日本総領事との交わり
2011年9月にナッシュビルへ訪問した際、初めてナッシュビル都心部にある「日本総領事館オフィス」を訪れた。クライストチャーチの教会員の知り合いが、総領事ビルの職員であったことから、このつながりが生まれたのである。2013年には、ジョイントコンサートの際に夕食会などに招いてくれたことは、以前の記事(第32回)で書かせてもらった。
特にこの時にお世話になった加藤総領事は、音楽が大変お好きということもあり、クライストチャーチとの交わりにも積極的であった。そのため、2014年のこの時に、私たちたった2人(!)の訪問にもかかわらず、特別に昼食会を催してくださった。場所はユニオンホテル。かつて大西部開拓時代に大陸間鉄道の駅であった「ユニオン・ステーション」をそのままホテルに改造したそうで、その豪華なたたずまいと共に、年代を感じさせる優雅な雰囲気が醸し出されている。
この会食会は、クライストチャーチのメンバーも含め、来年4月に開催される「桜祭り」の打ち合わせをするためでもあった。残念ながら私はこの祭りには参加できないが、日米の橋渡し的な働きができて、本当によかったと思っている。現在もクライストチャーチはこのイベントに出演している。
2)ライフウェイ訪問
米国の文書伝道の歴史は意外に古い。南部で最初に福音宣教の働きを担ったのが「Life Way(ライフウェイ)」という団体である。今回はこの団体の職員であり、教会員でもあるダニエルさんの紹介で、新装された本部ビルにお邪魔することができた。
中に入ってびっくりしたのは、グーテンベルクが歴史上初めて印刷したという聖書がそこに展示されてあったことだ。単なるレプリカではなく、本当に500年以上前のものだという。しかし驚くべきことに、まったく文字は色あせていないし、イラストの絵もカラフルである。保存には細心の注意を払っているようで、ガラスケース内の温度や室温は常にコンピューター管理がなされているとのこと。さすが「南部初の文書伝道の拠点」である。
3)メンフィス観光
今回の旅で、クライストチャーチ関係とは異なるが、ひそかに楽しみにしていたのがこのメンフィスへの小旅行である。何といっても、キング牧師の命日に亡くなったモーテル(今は改造されて公民権運動博物館になっている)を訪れることができたのだから。
命日当日は地元のテレビ局が特番を組み、リポーターが現地の追悼集会の様子を生中継していた。そこに私たち日本人も参加することになったのである。特に義弟にとってメンフィスは、もちろん初めて訪れる都市であったため、手持ちのビデオカメラをずっと回しっぱなしにするくらい刺激があったようである。
昼の12時になると時を告げるガチョウの一群がホテルに飼われているようで、その様子も目の当たりにすることができた。
4)ルース・クリス(ステーキハウス)
続いて、米国南部らしい食事をご紹介しよう。それはもちろんステーキである。写真をご覧いただきたい。
こんな分厚く、大きなボール状のステーキを今まで食べたことがある方はおられるだろうか? 今回のホスト、ラッセルさんが特別にルース・クリスというステーキハウス(東京にも支店がある)へ連れて行ってくれた。その値段がすごい! こんな大きなステーキにもかかわらず、50ドル程度なのである。日本支店のサイトで値段を比べると、その安さにびっくりさせられる。
5)クワイア練習風景
最後にやはりクライストチャーチクワイアの練習風景を紹介する。彼らは毎週水曜の午後7時半からクワイアルームに集まり、イースターやクリスマス、そして時々のイベント(今回は桜祭り用の日本語の楽曲)のために練習している。そのさまは、結構ハードである。しかしそのハードさを楽しんでいる老若男女が100名近くおられることが、このクワイアの魅力の一つとなっている。その動画を紹介する。
このほかにも、初めてフェニックスを訪れたり(これについては次回からレポート開始!)、在ナッシュビルの日本人の家庭を訪れたりと、内容的には他の年のツアーにまったく引けを取らないものであった。
次回からは、ナッシュビルツアーの姉妹編ともいえる、アリゾナ州フェニックス在住のチャリティ・ロックハートさんとの交わりについてレポートしてみたい。
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