元ヤクザの伝道団体「ミッション・バラバ」のメンバーによる「命やりなおし講演会」が、1日から6日まで、米東海岸の各所で行われた。5日には、ミッション・バラバ設立メンバーの一人である中島哲夫牧師が、ニュージャージー州の家庭集会でメッセージを伝え、同行した高田亮牧師が証しを語るなどした。
ミッション・バラバは、ヤクザからクリスチャンに転身した8人によって、1995年に設立された。中島牧師は、その設立者の一人だ。当時いた元ヤクザのクリスチャン8人は、その後全員が牧師となり、今はそれぞれの宣教の働きに邁進(まいしん)している。彼らの中にある救いの喜びは疑いようもなく、彼ら自身はまさに、全能者なる神が変えることのできない人はいないという「生きた証し」である。
1950年に北海道で生まれた中島牧師は、中学校卒業後、極道の兄に憧れて上京。19歳で指定暴力団「住吉会」に入会した。バブル全盛期には、ヤクザとして数十億円のお金を動かしたという。極道稼業と酒、権力、快楽、覚醒剤に溺れる日々の中、1988年にクリスチャンの韓国人女性で、後に妻となる李盛愛さんと出会う。李さんと教会の懸命な祈りが聞かれ、中島牧師は結婚を機に教会に通い始めるようになる。
住吉会の相談役にまで上り詰めた中島牧師が、クリスチャンになった経緯や、救われた後に経験した霊的な戦いの話はとても興味深いものだった。しかし今回は、中島牧師がプロデュースし、2001年に公開された映画「親分はイエス様」の製作秘話にスポットライトを当てて紹介したい。
ミッション・バラバの8人は1998年、それぞれの自叙伝をまとめた『刺青(いれずみ)クリスチャン』を出版した。それを読んだグルーヴキネマ東京の高橋松男会長が、映画化の話を持ち掛けてきたという。中島牧師は当時をこう振り返る。
「自分たちは、一人でも多くの人がこの本を読んで、イエス様を信じてくれることを願って出版したのです。自分たちは人生で何もいいことはしてこなかったし、褒められるようなことも何一つしてこなかった。しかし神様は、こんな私たちを赦(ゆる)してくださった。しかし今もなお、大勢の人たちからは赦され得ない者として見られており、自分たちは恵みにより、ただ生かされているだけの存在にすぎない。それなのに映画で面白おかしく描かれるなんて冗談じゃない、断る!と言ってミーティングの席を立とうとしました」
しかし高橋氏は、「あなたたちは、イエス・キリストを伝える伝道師じゃないのか。私はあなたたちが伝えたいイエス・キリストを、この映画を通して伝えるつもりだ。これは立派な伝道じゃないのか」と問い掛けてきたという。そしてとうとう、高橋氏の熱心に押され、映画を製作することに決めた。しかし実は、そこから映画の製作をめぐる大きな挑戦が始まるのだった。
映画の製作費は5億4千万円と試算された。しかし、キリスト教映画ということで、スポンサーがまったく付かなかったのだ。そこで高橋氏は、「応援してくれるスポンサーが誰も付かないから、自分たちで映画製作会社を設立しよう! 中島さんは『神様は存在する。イエスが神だ』と言うのだから、それを証明するためにも僕と一緒に映画製作会社を立ち上げて、その神様の奇跡を見せてくれないか!」と頼んできたという。
「これはイエス・キリストの名誉がかかっている」。中島牧師はそう思い、当時関わっていた神学校の生徒たちと共に懸命に祈った。すると今度は「キリスト生誕2千年を記念して、クリスチャンたちに1口20万円で寄付を募ったらどうか」と、高橋氏が持ち掛けてきた。「何を言っているんだ。日本のクリスチャンは生きるために皆、必死なんだ。映画製作のために1口20万円もささげられるわけないじゃないか!」 中島牧師は否定的だったが、「ダメ元でやってみよう」と説得され、キリスト教の新聞3紙に「イエス・キリスト生誕2千年記念映画『親分はイエス様』の献金募集」という3万円の広告を掲載した。すると驚くことに、1週間もしないうちに教団教派を超えて、教会や個人から1口20万円の献金が500口近く寄せられ、1億円が瞬く間に集まったのだ。「主がやりなさい、と背中を押してくださったようでした。主の働きに協力したいという心あるクリスチャンは、実は大勢いるということを教えられたのです」
また中島牧師は当時、中国人と韓国人向けにビザ発給を支援する会社を経営していた。それまではビザを申請しても毎年20人から30人ほどしか許可が下りない状況だった。しかし映画を製作した年は、250人近い学生にビザの許可が下り、会社にも多くのお金が入ることになった。それにより、自身の会社からも7千万円を製作費として捻出することができた。脚本、監督が決まり、俳優の渡瀬恒彦や奥田瑛二にも、出演料を無事支払うことができ、いよいよ本格的な映画製作がスタートした。
それでも5億4千万円には、3億7千万円が足りなかった。ところがある芸能プロダクションの会長から、これからデビューする新人に映画の主題歌を歌わせてほしいと依頼があり、宣伝費1億円を支払ってくれることになった。さらに、名古屋にあったDVD製作会社がこの映画のうわさを聞いて連絡してきた。それは映画の版権を譲ってほしいという依頼だった。そうして、残りの製作費2億7千万円は、そのDVD製作会社が契約金として支払うことになり、あっという間に5億4千万円が奇跡的に集まったのだった。
出来上がった映画は、全国104の劇場で公開され、チケットは前売りで65万枚を売り上げた。ただ、その半数近くは教会が伝道用に購入してくれたもので、教会からチケットを受け取っても、「宗教映画」を理由に実際に映画館まで足を運ばない人も多くいたという。「神はこの映画を用いようとされておられたが、敵も必死に邪魔をしたのでしょう」
しかし、それでも65万枚のチケットを売り上げたことで「少々調子に乗ってしまった」と中島牧師。今度は韓国で映画を公開する挑戦をしたのだった。韓国人女性と日本人男性の実話を基にした映画であるため、多くの人が観てくれるともくろんだが、韓国で劇場公開した2002年は、サッカーの日韓ワールドカップの年。韓国中がサッカー熱に覆われている最中の公開だったこともあり、劇場に足を運んでくれた人はほとんどいなかった。宣伝費と劇場への支払で、今度は2億円の赤字を出してしまう。結局、この映画の収支はプラスマイナスゼロとなった。
「こんなに苦労して製作したのに、プラスマイナスゼロでは納得がいかない」と、神に不平を言い、しばらく引きこもっていた時期もあったという。しかし、一面的には失敗のように見えても、実はその裏で映画を通して救われる人が多く起こされていた。
今回、同行した高田牧師もその一人である。
「親分はイエス様」を観た後、高田牧師は中島牧師の元を訪ねた。しかし「最初、高田に会ったとき、『ああ、コイツは変われないだろう』と正直思った」と中島牧師は振り返る。当時の高田牧師は、今とはまるで別人のような顔つきだった。「神が変えることのできない魂はないという生きた証しだね、彼は。映画には5億4千万円という大金がかかったけれど、それで彼が救われたと思うと、映画を作った価値はあったね」。そう言って中島牧師は豪快に笑った。
その「5億4千万円の価値のある男」と言われた高田牧師は、まだ現役ヤクザで未信者だったころ、町中を車で走っていたとき、街頭に張られた映画のポスターに目が留まった。そのポスターには驚くべき言葉が書かれていた。「親分はイエス様」。ポスターに近寄ってみると、笑っている刺青姿の男たちの写真の横に「誰でも人生やり直すことができる」と書いてあった。そうしてやっと、自分と同じような境遇の人たちが、極道の世界を抜け出ることができた話の映画だと分かったという。妻に頼んで一緒に映画を観に行くが、それはもはや単なる娯楽映画ではなかった。そこには、これから始まる高田牧師自身の人生の未来が描かれていたからだ。
映画を観た後、教会を訪ね、自分の置かれているすべての状況を牧師に正直に明かした。「このような自分でも、ヤクザをやめることができるのでしょうか」。牧師は「自分の力ではどうすることもできないけれど、自分を救ってくれた神様だったらできるから、今日これから一緒に祈ろう」と励ましてくれたそうだ。まさに神にしか希望を置けない状況だった高田牧師は、それからヤクザとして組の事務所に通いながら、週に3日は教会に行って祈るという二重生活を半年間苦しみながらも続けた。
そんなある時、組織の親分から呼び出しがあった。そして驚くことを言われたのだった。「もうお前にはヤクザはできない。やめるために一つの条件がある。自分の家族を愛せ。それがやめる条件だ」。親分に忠誠を尽くせと言われることはあっても、家族を愛せという命令は、この世界で聞いたことがなかった高田牧師は本当に不思議だった。そして去り際には死を覚悟で、「実は自分は教会に通っています。今おっしゃられた『愛せ』という言葉は、本当に教会で教えられていることと同じです。これから私は、家族を愛し、まともな生活をします」と伝えることができた。このような条件でヤクザをやめられるのは、本当に神が働いたとしか思えない奇跡の出来事だったと振り返る。
救われた後も、さまざまな困難はあったが、キリストによって得た救いと喜び、癒やしと解放には代えることができないと高田牧師は言う。今回の講演会では、自ら進んで参加者にスリッパやクッションを差し出したり、集会後の食事の時にはコーヒーを入れたりと、常に仕える姿勢だった。そこには、サーバントリーダー(仕える指導者)としての姿があった。
中島、高田の両牧師が何よりも重視しているのは、まだイエスを知らない人たちに福音を伝えること。「世の中は、地震などの災害がどんどん増え、また凶悪で悲しい事件も増え、ますます殺伐としてきている。魂の救済は最優先事項」と中島牧師は言う。今は特に、日本人による日本人のための大きな伝道集会を目指し、祈っている。
中島牧師の主イエス・キリストに対する情熱は、救われて30年余りがたった今も、弱まることなく熱く燃えている。今、開催のために祈っているという伝道集会も、きっと実現するに違いない。その背後には、息子をいとおしそうに見守っている偉大な父なる神がついているのだから。
中島、高田の両牧師への支援を希望する人は、ナオス国際キリスト教会(電話:080・7950・4072、メール:[email protected])まで連絡を。