聖書の物語で人々に広く知られているものと言えば、旧約聖書の天地創造物語、失楽園物語、ノアの大洪水、出エジプトの物語などが挙げられる。一方、新約聖書ではどうかというと、恐らく放蕩(ほうとう)息子の物語が上位に食い込むことになろう。
多くの芸術家は、ルカによる福音書15章で描かれる放蕩息子の物語にインスパイアされ、それをモチーフにした絵画や映画、小説などを世に送り出してきた。最も有名なのは、絵画ではレンブラントの「放蕩息子の帰還」である。映画では「エデンの東」(1955年)を、兄弟が父親をめぐる葛藤を吐露する物語として見ることができよう。小説では、マリオ・プーゾの『ゴッドファーザー』(69年、72年に映画化)における末っ子マイケルと父親ビトの関係に、放蕩息子の物語が透けて見えるといわれている。
今回紹介する「ベン・イズ・バック」も、これら傑作群の一つに加えられる一作となるだろう。特に次の一節の意味が、観る者の心に強烈に突き刺さる作りになっている。
だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。(ルカ15:32)
主人公は19歳のベンという青年。彼は常習的な薬物摂取により、過去にとんでもない事件を引き起こしていた(劇中では、そのあたりは間接的に語られるのみである)。そして現在は薬物依存症の更生施設に入所している。その彼が突然、クリスマスの前夜に家族の元に現れるところから物語は始まる。愛する息子の突然の出現に、戸惑いを隠せない母親(ジュリア・ロバーツ演)、そして異父妹弟たち。ベンは果たして本当に更生しているのか。それとも施設を逃げ出してきたのか。そして何よりも、もう過去の過ちを繰り返さないという保証が果たしてあるのか。疑心暗鬼になる家族をよそに、好青年として立ち振る舞うベン。しかしある事件が起こったことで、ベンは家族の前から失踪してしまう――。
ルカによる福音書15章で語られる放蕩息子の物語は、一筋縄ではいかない家族の愛憎劇も描いている。それは兄の存在である。弟は勝手な振る舞いをし、親に反抗して家出し、すっからかんになって家に戻ってくる。それを見た父親は、弟息子の帰還にもろ手を挙げて喜び、彼のために牛を屠(ほふ)って宴会を催そうとする。ここで兄がキレる。そして多くの日本人は、案外この兄の言い分に共感を示してしまう。
このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦(しょうふ)どもと一緒にあなたの身上(しんしょう)を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。(ルカ15:29~30)
本作でこの役割を担うのが妹のアイヴィであり、義父のニールである。そしてニールの一言は、現代米国の社会的実情を見事に言い当てているだけに、重い現実を私たちに垣間見せてくれることになる。
「ベンは白人だから更生施設という選択肢が与えられた。でももし黒人だったら、こうはいかないぞ。今頃、刑務所送りだ」
アフリカ系米国人であるニールは、妻の連れ子であるベンのために多額の賠償金と保証金を出してやり、しかもかなり手厚いケアを施す更生施設の入所費用も工面している。しかし彼の心はベンから遠くにあった。まさに放蕩息子の物語の兄を象徴する人物である。
本作の監督、ピーター・ヘッジズは、名作として名高い「ギルバート・グレイプ」の原作小説と映画の脚本を手掛けた人物である。彼は牧師の息子として生まれ育った経験から本作を思いついたという。ただし、明確な答えを提示するのではなく、「誠実なストーリーから自然にいろんな感情が湧き上がってくる」ような、「人生のもろさと美しさを思い出させるような物語」を目指したという。
この試みは成功しているといえる。ベンが失踪するところから、物語はサスペンス色が次第に強くなっていく。それに伴い、家族の中に沈殿していた彼らの本音が浮かび上がり、ベンが薬物をめぐってどんな人間関係を築いてきたか、またその結果引き起こしてしまった事件にどんな思いでいたかが、次第に観客に伝わるような構成になっている。そしてラストの「衝撃」がここに付け加えられることで、タイトルの真意が明らかになる。
ここで観客が受け止めるメッセージは、決して単線ではない。実は、本作は観客である私たちを映し出す鏡のようなものである。特に放蕩息子の物語をよく聞いて知っているキリスト者であればあるほど、この鏡の透明度は高くなるといえよう。
失踪したベンを探すため半ば狂気じみた言動をする母親、ベンを悪の世界に引き戻そうとする無責任なかつての仲間たち、そして何より、取り返しのつかないことをしでかしてしまい、人に決して言えない心情を抱えるベン自身――。これらキャラクターのどれかに、感情移入させられるような作りになっている。そして登場人物の誰かと一体化したまま、あのラストシーンにたどり着いたとしたら、そこに赤裸々な自分の姿を見いだすことになるだろう。
私の場合、冒頭の聖句の意味がまた深みを増して迫ってくることとなった。特に、
お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
という部分である。私の聖書の読み方がいかに浅いものであったかを、ヘッジズ監督に教えられた気がした。兄のような気持ちに共感する傾向にあった私にとって、それがいかに愚かな選択であったかを示されることとなった。
さて、ご覧になった皆さんは何を、どう思われただろうか。ぜひ語り合ってみたいものだ。
■ 映画「ベン・イズ・バック」予告編
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