今までは、「21世紀の神学」ということで連載をさせていただきましたが、今日からは自分の教会でさせていただいているルツ記のメッセージをシェアさせていただければと思います。今年の6月9日は五旬節「ペンテコステ」ですが、イスラエルでは七週の祭り(シャヴオット)となります。イスラエルにおいては、この祭りと関連の深い人物が2人いるようであります。
一人はダビデ王であり、もう一人はルツです。なぜダビデ王かといいますと、伝承によるとダビデ王はこの祭りの時に生まれ、そしてこの祭りの時に亡くなったということです。ただこの伝承に関しては、あまり聖書的なつながりを見いだすことができませんでしたので、とりあえず保留させていただき、ルツ記について、御言葉を分かち合わせていただきたいと思います。
では、この祭りとルツに何の関わりがあるのかといいますと、ルツ記の物語がちょうど、大麦と小麦の収穫の時期、つまりは七週の祭りの時期のことであったのです。
こうして、ナオミは、嫁のモアブの女ルツといっしょに、モアブの野から帰って来て、大麦の刈り入れの始まったころ、ベツレヘムに着いた。(ルツ記1:22)
4月21日の日曜日は、ちょうど初穂の祭りの日でした。その日からイスラエルの民は50日間、大麦の収穫をしたのです。ですから今の時期はまさに、ルツ記の物語と同じ時期なのです。そしてユダヤ人たちは今でも七週の祭りの時に、ルツ記を読むそうです。
さて、「ナオミは、嫁のモアブの女ルツといっしょに、モアブの野から帰って来て」とありますが、彼らに何があったのでしょうか? ご存じの方も多いと思いますが、今日はその冒頭部分を一緒に確認したいと思います。
昔、ベツレヘムという片田舎にナオミという人が夫と、2人の息子と共に暮らしていました。彼らは、豊かに満ち足りた平安な時を過ごしていました。ところが、その幸せな時は長くは続きませんでした。ある年のことです。イスラエル全土をとてもひどい飢饉が襲いました。しかもその飢饉は何年も何年も続きました。そこで彼らは、食べるにも困り始めました。
生きるか死ぬかという状況の中、悩みに悩んだあげく彼らは隣国のモアブへ身を寄せることにしました。ところが、異国の地での心労がこたえたのでしょうか、ナオミの夫は子どもたちを残してあっさりと亡くなってしまいました。ナオミはそのような中でも悲しむ間もなく、息子たちと共に必死に厳しい毎日を生き続けました。
2人の息子たちはやがて成人し、モアブの女性を嫁に迎え、それぞれ結婚しました。2人のお嫁さんたちは、とても気立ての良い娘さんたちで、義母ナオミと自分たちの夫をよく助けました。
ところが、不幸は重なるものです。理由が何であったのかは聖書には残されていませんが、なんとナオミの2人の息子たちも立て続けに亡くなってしまいました。ナオミは胸を差し貫かれるような悲しみを経験しました。
せめてもの救いは、2人のお嫁さんたちが自分たちも悲しみと不安でいっぱいであったであろうに、義母ナオミをよく助けてくれたことでした。お互いに家族を失った彼らは血のつながりもないのに、実の母と娘以上の関係になっていたのでした。
互いに慰め合いながら喪の期間を過ごし、その喪が明けた頃、ナオミはイスラエルの飢饉が収まったことをうわさで聞き、祖国に帰ることを決意しました。その時、ナオミは実の娘たちのようになっていた2人のお嫁さんたちに言いました。
「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜り、あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように」(ルツ記1:8、9)
そしてナオミが2人に別れの口づけをしたとき、彼女たちはたまらなくなって泣き出し、こう言いました。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります」。ナオミはお嫁さんたちの申し出を内心うれしく思いつつも、2人の将来のことを思ってあえて強い口調で「帰りなさい。娘たち」と言い、彼女たちを実家へ帰そうとしました。
義母の心情を察した弟嫁は声をあげて泣きながら、後ろ髪を引かれる思いで義母ナオミに別れの口づけをして、去っていきました。ところが、兄嫁はなおもナオミに泣きながらしがみついていました。そこでナオミは、今度は愛しく諭すようにもう一度言いました。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい」
それでも彼女は頑なに義母から離れようとはせずに、こう言いました。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」
ナオミは、「フー」っとため息をつきました。そして、彼女の決心が非常に堅いのを見て、それ以上何も言わず、一緒にイスラエルに帰ることにしました。このお嫁さんこそが、「ルツ」でした。そして彼女の名前を取ってこの巻はルツ記といわれるようになったのです。
さてこの物語は、非常に絶望的な状況から始まりました。ナオミは、国が飢饉になり隣国へ避難しに行ったのに、そこで夫と2人の息子が亡くなってしまいました。彼女は故郷に戻ったときに、自分の苦しい状況を素直に周りの人々にこう告白しました。
「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました」(ルツ記1:20、21)
ナオミという名前は、「快い」という言葉に由来しており、彼女にはもうその名前がまったく自分にはふさわしくないように感じられたのです。そこでむしろ「苦しむ」という意味に当たる「マラ」と自分のことを呼んでほしいと願ったのです(聖書注釈参照)。
嫁のルツはといえば、同様に夫を失った未亡人であり、しかもイスラエルの人々からは決して良くは思われていなかったモアブ人という他国人でしたので、義母ナオミ以上につらい立場でありました。彼女たちは働き手である夫を失ってしまい経済的にも、精神的にも非常に苦しい立場に置かれてしまったのです。
ナオミは他に帰る所がなかったので自分の故郷に帰ったのですが、ルツはなぜ、義母ナオミについていったのでしょうか? ルツがナオミについていったのは、義母に対する責任と愛情によるものだったのですが、それだけではなかったようです。
ルツはモアブ民族でしたが、モアブ民族とは、アブラハムと共に主に対する信仰を持っていた甥のロトの子孫のことです。ロトはソドムとゴモラが滅ぼされたときにも、特別に神様によって守られるほど、篤(あつ)い信仰を持っていた人でした。
しかし彼の子孫であるモアブ民族は、いつしかケモシュという軍神を崇拝するようになっていました。ルツの時代よりは後の時代ですが、モアブの王はケモシュに人身を燔祭としてささげるようなこともするようになります。
モアブの王は、戦いが自分に不利になっていくのを見て・・・彼は自分に代わって王となる長男をとり、その子を城壁の上で全焼のいけにえとしてささげた。(2列王記3:26、27)
モアブがケモシュに仕えていたことに関しては、1868年に発見されたメシャ碑文にも書かれていたそうです。この碑文は今から3千年ほど前に造られたものだそうで、聖書考古学の中でも、ひときわ顕著な地位にあるとのことです(参照:ウィキペディア「メシャ碑文」)。
さて、ルツはナオミや夫との生活の中で、自分たちが間違った神に仕えていたこと、姑ナオミや夫が仕えている主こそが真の神であることに気付き、先祖ロトが持っていた信仰を回復したのです。だからこそ、彼女は貧しさや苦しさが自分を待ち構えていようとも、義母ナオミの元を離れようとはしなかったのです。もしもルツがモアブに一人戻ったら、主に対する信仰を持ち続けることは難しかったでしょう。周りの家族が皆、ケモシュに仕えていたからです。
だからこそ、ナオミに対して、ルツはこう言ったのです。
ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」(ルツ記1:16)
ルツは年老いた義母ナオミを助けたいという真実と共に、主に対する信仰を持ち続けたいと願いました。だからこそ彼女は、自分の故郷を捨て、安定した所で生活する権利を放棄してまでナオミについていったのです。
絶望的な状況の中、ルツがこのように主への信仰を持ち続けたことは、彼女にとっても、イスラエルにとっても、またこの物語を読む私たちにとっても、大きな意味を持つことになります。何度もいうようですが、ルツはモアブ人です。そしてイスラエル人はモアブ人を忌み嫌っていました。それは信仰の違いだけではありませんでした。2つの民族の間に何があったのでしょうか?
イスラエル民族がエジプトの苦役から逃れてエジプトを脱出し、荒野をさまよっていたときに、その一番の苦境にいたときに、モアブは兄弟としてイスラエルを助けるどころか、占い師を雇ってイスラエルを呪って滅ぼそうとしたのです。だから、モーセは律法の書の中でこのように言っています。
モアブ人は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ、決して、主の集会に、入ることはできない。これは、あなたがたがエジプトから出て来た道中で、彼らがパンと水とをもってあなたがたを迎えず、あなたをのろうために・・・ベオルの子バラムを雇ったからである。(申命記23:3、4)
このようにモアブ人は、律法によって、主とイスラエルの交わりに加わることが禁じられていました。しかしそれにもかかわらず、ルツはナオミに対して「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」と告白し、イスラエルの神、主を、自分の神としたのです。
そしてその結果、モアブの娘であるルツは、イスラエルの家系に名を残すことになります。しかもただイスラエルの家系に迎え入れられたというだけでなく、ルツ記の最後の部分を読んでいただければ分かりますが、彼女が生んだ子は有名なダビデ王の祖父に当たるのです。つまり、本来イスラエルに迎え入れられるはずのないモアブ出身のルツは、信仰によって、イスラエルの王家の祖先となり、キリストイエスがこの地に来られる血筋を紡ぐのに用いられました。
ダビデが七週の祭りの時期に生まれたかどうかは聖書に書かれていませんので、定かではありませんが、確かなことは、この祭りの時のルツの信仰と真実により、ダビデ王が生まれ、そしてキリストは人としてはダビデの子としてこの地に来られたということです。
新約時代になると、この七週の祭りの時に聖霊が下り、聖霊に満たされた人々は異邦人伝道を始め、クレネ人や使徒パウロなどの働きにより福音は私たちにも届けられ、私たちも主の集会に加えられる者となりました。
古(いにしえ)の時代、ルツが信仰によってイスラエルの神を自分の神としたことを通して、主は異邦人(敵)であってもキリストに連なり、主の集会に参与することができることをあらかじめ私たちに見せてくださっていたのです。
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