前回は「神の存在証明」という連載をさせていただきましたが、今回は「律法と福音」をテーマに書かせていただきたいと思います。福音とはキリスト教の用語です。クリスチャンでない方には、なじみのないという方もいるかもしれませんが、福音を英語にするとなじみのある言葉になります。
福音を英語にするとゴスペル(Gospel)となります。『天使にラブソングを』という映画をきっかけに、日本ではゴスペルブームが起こりました。ウーピー・ゴールドバーグのウィット溢れる演技や力強い歌声に感銘を受けた人は多いと思います。
それ以降、日本のあちこちのカルチャーセンターで多くのゴスペルチームが誕生し、今に至るまで心の底からダイナミックに歌うということを楽しんでいるようです。そうです、日本においては「ゴスペル=音楽」のジャンルということで定着しているようです。
しかしゴスペルというのは、その音楽性もさることながら、その歌われている歌詞の内容の方が重要なのです。日本人である私たちは英語の歌詞ということもあり、特にその内容を深く考えない場合もあるかもしれません。
そこで本連載では、福音(ゴスペル)の真意すなわち、なぜ世界中の多くの人が昔から今に至るまで福音の内容に感銘を受け、魂の叫び(シャウト)として、ああも心の底から歌うのかというのをテーマしてみたいと思います。
読み続けていただけたら、多くの人を魅了してやまない福音の真の価値(内容)に触れることになるかと思います。そしてそれはゴスペル音楽に興味のある方やクリスチャンだけでなく、ぜひとも全ての人に知ってほしいメッセージです。
本連載は最近教会に通い始めたという方、またキリスト教に興味があるという方にとっても、聖書の中核メッセージである「律法と福音」を深く理解する機会になればと思いますし、既に教会に長い間通われて、「福音」のメッセージを毎週聞いているというクリスチャンの方にも、「目からうろこ」の内容が含まれていると思います。
実は、長年教会に通っている方にとっても「律法と福音」とは何ですかとあらためて問われると、色々な概念が入り組んでいて、簡単なようでも、明確に答えることは意外と難しいものです。
例えば、もう一つのテーマである「律法」という言葉は狭義・広義の少なくとも二つの概念を含んだ言葉です。一つは「律法=戒め」という概念であり、もう一つは「律法=モーセ五書(トーラー)」という概念です。これ一つとっても整理されないまま何となく「それは律法的だ」というような言葉の使われ方が教会においてはされがちです。しかし、この「律法」の意味と役割を深く正確に知ることは、明確に「福音」を知るために絶対に欠かせないこととなります。
もう一つの例としてクリスチャンの方に質問させていただくと、「互いに愛し合いなさい」という聖書の有名な言葉は「律法的なメッセージ」でしょうか、それとも「福音的なメッセージ」でしょうか。
ちょっと唐突な質問で申し訳ありません。しかしこの教会において繰り返し語られるメッセージもまた、とても重要なテーマであると同時に非常に混同されやすい要素を含んでいます。
他にも、「原罪」「律法の完成者であるキリスト」「ダビデの告白」「ヨブの告白」「罪とは?」「なぜ収税人や遊女が先に?」「身代わりの犠牲」「契約の箱と贖(あがな)いのふた」「贖いのふたを見つめる者」「贖いのふたに注がれるもの」「50デナリと500デナリの例え」「借金とは?」「多く赦(ゆる)された者とは?」「福音に似て非なるもの」「自由の律法」「義の奴隷」「新しい戒め」といったような小テーマをつないで、「律法と福音」という大きなテーマを深く広く皆様と共に再確認していけたらなと願っています。
なぜこのような連載を始めさせていただくかと言えば、「福音」というのは、先ほども少し言いましたが、現在クリスチャンであるなしにかかわらず全ての人にとって「永遠の魂の行方」を左右するとても重要なメッセージであるからです。
またクリスチャン向けに言えば、私自身幼い頃からクリスチャンであり、幾つかの神学校で学ぶ機会が与えられたのにもかかわらず、「律法と福音」について明確に知ることが長い間できずにいたからです。また、命と励ましを与える「福音」のメッセージが語られ合うべきクリスチャン同士の会話の中に、「律法」がそれとは知らずに入り込むことが多々あることに気付いたからです。
稚拙な文章と知識を晒(さら)してしまうことにはなるのですが、この連載が「神様の計画」と「イエス様の深い愛」を皆様と共有できる場になれば幸いです。
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