2011年7月22日、北欧屈指の福祉国家であるノルウェーが震撼(しんかん)した。午後3時17分、首都オスロの政府庁舎近くで爆弾が爆発。周囲のビルのオフィスや店舗も壊滅的なダメージを受け、8人が死亡した。
これだけでも大きな事件であるが、実はこれは単なる「前振り」でしかなかった。同日午後5時過ぎ、オスロから40キロほど離れたウトヤ島で銃乱射事件が発生する。その島では、ノルウェー労働党青年部のサマーキャンプが開催されており、中学生から大学生までの多くの若者たちが集っていたのである。わずか1時間余りの間に69人の若者が命を落とした。
驚くべきことに、これほどのテロ事件を引き起こした犯人は、たった一人だった。名前はアンネシュ・ベーリング・ブレイビク。32歳(当時)の独身男性であった。移民に寛容な政策を取るノルウェー政府に対して、彼は攻撃的な発言を繰り返し、その排他思想の果てにこのような事件を引き起こしたのである。事件後、彼は捕まり、裁判を通して自説を世界に訴えるという行動に出る。しかし誰からも相手にされず、裁判も当然有罪とされ、彼は現在も刑務所に服役している。だが、これで一件落着とはならないし、遺族や重傷を負った若者たちの生活はこの日を境に一変したことは言うまでもない。
あまりに衝撃的で非道な事件であったため、各国の報道機関はこの事件を限定的にしか伝えなかったという。日本も例外ではなく、私もこの事件の詳細は今回の映画を通して初めて知った。
このあまりに衝撃的な出来事をどう扱ったらよいのか――。そんな暗中模索の状態の中、活路として見いだされたのが「映画化」という手段であった。事件から7年がたった2018年、興味深いことに同じ題材でありながら、異なる視点で2つの作品が公開された。
1つ目は「7月22日」。監督は、架空の元CIA暗殺者ジェイソン・ボーンを主役とした「ボーン」シリーズや、米国の9・11同時多発テロを題材とした「ユナイテッド93」などで定評のあるポール・グリーングラス。彼はこの事件を徹底したリアリズムの下に描き出している。
犯人のビレイビクが爆弾や弾薬を用意するところから物語は始まり、政府庁舎が爆破されるシーン、そして彼が警官に化けてウトヤ島にたどり着くところを淡々と見せる。目を覆いたくなるのは、その後に発生する銃乱射のシーンだ。容赦なく少年少女が銃弾によって倒されていく。やがて犯人が逮捕される。驚くべきことだが、犯人は警官隊が近づいてくることを知ると、銃を投げ出し、投降姿勢を取る。そして逮捕。だが映画はここまでで前半の1時間でしかない。その後、カメラワークは一転し、遺族たちの地獄のような日々と負傷した若者たちの葛藤(フラッシュバックやトラウマなど)をエモーショナルな演出で描き出していく。一瞬も息をつく暇もない2時間24分の大作である。
クライマックスは、実際に銃口を向けられた青年と犯人のブレイビクが裁判で対峙する場面だ。この青年は架空の存在だというが、その題材となるエピソードは、すべて聞き取り調査によって生まれているということであるから、リアリティーを十分感じることができるキャラクターとなっている。
彼が発する「ある一言」は、映画のテーマを際立たせると同時に、観客たちのフラストレーションに対し、一気にカタルシスを与えることになる。そしてそれは、ノルウェーが国家としても選択した「気高い行為」の精神でもあった。彼の言動は、グリーングラス監督がどうしてこの映画を製作しようと思ったのか、その意図をはっきりと提示する瞬間でもある。私も観ていて、涙を禁じ得なかった。
「7月22日」は、劇場公開されていない。ネットフリックスで視聴することができる。おそらくこういう形態で公開することで、単なる商業映画ではなく、全世界の一人でも多くの人々に事件を知ってもらい、またその被害者たちが何に寄って立つことができているかを知ってもらえると考えたのだろう。
本作は、ネットフリックスという「いつでもどこでも鑑賞できる」媒体で発信されている。しかし私たちに突き付けてくるものは、決してそんな手軽なものではない。心の奥にドスンと響く衝撃に満ちている。
しかし、一人でも多くの人に鑑賞してもらいたい一作である。そして可能なら、本作を鑑賞した後、次に紹介するエリック・ポッペ監督の「ウトヤ島、7月22日」をご覧いただきたい。そうすることで、事件の全貌を知った上で、さらにこの事件を「体感」できることになるからである。(続く)
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