「主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは分別の初め」(箴言9:10)
「人は何度でも立ち上る。立ち上っては倒れ、立ち上っては倒れ、その足元はおぼつかないかもしれない。けれども、立ち上ったことは、一生忘れることのない、かけがえのない記憶となる」(『ガンディー魂の言葉』から)
去る2月24日、辺野古埋め立ての賛否を問う沖縄県民投票は投票率52・48パーセント、反対が72・15パーセントで43万4273票、有権者の4分の1超えという結果となりました。沖縄の人たちと心ひとつにして支援してくださり、お祈りくださったすべての人たちに心からの感謝を申し上げます。
当初から投票率50パーセントを超えるか非常に不安と危機感がありました。そんな中、私たちは、あの県民投票全県実施への戦いの力と、玉城デニー知事を誕生させたあの力をバネにして、心ひとつに短期間を走り抜きました。私は体力にも限界があり、小さなことしかできませんでしたが、交差点で朝立ち、夕立ちをし、「埋め立て反対に〇を」の旗を掲げて一生懸命呼び掛けました。投票日当日には、時折雨が降る中、投票所の入り口に立って、「反対に〇を」のウチワをかざしながら呼び掛けました。反応がすごく良く、手応えを感じる中、夜に県民投票成功の知らせを受けたとき、どれだけ安堵(あんど)したことでしょうか。私たちはみんな抱き合い、手を取り合って喜び、お互いの労苦をねぎらいました。
翌々日、私は辺野古ゲート前に行きました。工事は休むことなく強行され、300台以上のダンプカーが、座り込む私たちを排除してゲートから入っていく、いつもの光景がそこにありました。初めから期待できないことは分ってはいても、せめてデニー知事と話し合いをするまでの間ぐらい工事を休止することはできないのか、一滴の涙も情もないその政府の非情さにやりきれない悲しみを抱きつつ泣きながら抗議しました。私の隣に立っていた女子学生があふれる涙をぬぐいもせず、じっとプラカードを掲げている姿に思わず、「悲しいね」と言って一緒に泣いてしまいました。名護市安和の土砂搬出港では、1日3船が土砂を積んで辺野古の海を埋め立てています。
毎週水曜日は集中行動日です。朝6時に地元のうるま市石川をマイクロバスで出発して、安和港のダンプカーの出入り口で抗議行動を午後3時まで頑張っています。この日はカヌー隊(辺野古ブルー)が土砂を満載して出港する運搬船の進路に立ちはだかり大活躍。海上保安庁に強制排除されるまで船は出港できませんでした。この日は半分しか土砂搬出ができないという、すごい働きをしてくださいました。カヌー隊の一人一人の勇ましさ、青い青い海に浮かぶ一見か弱いカヌーに乗る一人一人の勇姿に感動しました。ここまでやっても一顧だにしない政府、国とは何者なのでしょうか。県民投票で民意を示しても、虫けらのように沖縄の民を踏みつぶしていく国は、もはや私たちの国とは言えません。
大浦湾の軟弱地盤は70~90メートルあり、くいを7・6万本打つことになり、工事は不可能との専門家の意見もある中、政府はあくまで可能だと言い切り、強行姿勢です。工事費は、国民の税金にもかかわらず、沖縄県の試算で2兆何億をはるかに超える青天井に拡大。期間も何十年にもおよぶとされ、予想もできません。その上、現在も警備費だけで1日2千万円が消えているのです。
多額の税金で苦しんでいる国民がたくさんいるのに、本当にこんな税金の使われ方をなぜ許しておくのでしょうか。こんな無責任な工事は今すぐやめるべきです。県民投票で示された民意は沖縄の人々の平和を願う心の叫びです。本土の人々に向かって「日本は戦争する国、武力によって立つ国になってもいいのですか。憲法9条を捨てても本当にいいのですか」と必死で問い掛けているのです。
今回の県民投票では、自民党、公明党の中からも多数の人たちが埋め立て反対に〇をしてくださいました。これが沖縄の人々の正直な心だからです。もう政府によって二分、分断されないように、故翁長雄志前知事が言われた「オール沖縄」を取り戻さなくてはならないと強く思っています。
投票日、入り口に立って呼び掛けていたとき、トボトボと自力で一生懸命歩いているお二人のご老人にお会いしました。手を貸そうと声を掛けても「大丈夫」と言われ、長い時間をかけて投票をされて帰っていかれました。そのお姿は「戦争は絶対にダメ」と、一票を必ず投じるのだとの強い強い意思がみなぎっていました。そのお姿を見て、私は涙が出ました。平和を願うこのような老人の一人一人こそは、一粒の麦となって死に、次の時代への実りを生み出し命をつなぐ存在だと強く思いました。
テレビなど、マスコミは平成天皇退位のイベントを大々的に伝えています。お茶会に招かれたスポーツ選手や、平成時代に活躍した多くの著名人が感激の言葉を語り、「一生の宝ものです」「栄誉にあずかり感激」などと語っている姿から、天皇制にからめ取られた日本人の精神構造の貧しさ、思考停止の状態を見て、紙一重で天皇が神となってしまう恐ろしいマインドコントロールの現実を突き付けられた思いがしました。天皇陛下のために、と死んでいったあの若者たちの死は一体何だったのですか、何が起きても反対の声も上げない精神が天皇制の中ですでにつくられているこの現実は、まるでかつての開戦前夜のような恐ろしい空気がこの日本を被い始めているのではないかと私は感じるのです。天皇・皇后主催のお茶会に招かれ、お声を掛けていただいて、それを栄誉として喜び誇る人々の中に、原発や沖縄、そして朝鮮半島の人々に心を寄せる人がいるのでしょうか。
安倍政権は、天皇行事やオリンピックなどで国民の目を上手にそらしながら、自分のうそ、偽りを平然と言葉たくみにすり抜けて延命を図り、目的としている憲法改悪、日本列島軍事大国化を、美しい日本として実現しようと画策しているのでしょう。簡単にだまされる日本人の姿、沖縄を踏みつぶしても何も感じはしないことでしょう。すでに石垣、宮古、南西諸島に防衛ラインが引かれ、住民の反対を押しのけて自衛隊の基地建設が強行されています。
「イエスは言われた。『剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる』」(マタイ26:52)
戦後74年の今、私たちは経済的には豊かになり、飢えの時代は忘れ去られ、今や膨大な食べ物を捨てる国になりました。一方で深刻な孤独死は、沖縄でもこの3年間で431人と報じられています。また幼児虐待、学校でのいじめや自殺は後を絶ちません。どこかで私たちが生きるこの社会は、内側からガタガタと崩れ始めています。政治家、官僚などリーダーたちは自己保身のために平気でうそ、偽りを語り、もはや言葉への信頼は地に落ちてしまいました。このような時代に私たちはいかに生きるべきなのでしょうか。嘆いているだけでは始まりません。
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石原艶子(いしはら・つやこ)
1942年生まれ。16歳で無教会の先生との出会いによりキリスト者となる。全寮制のキリスト信仰を土台とした愛農学園農業高校に奉職する夫を助けて24年間共に励む。1990年沖縄西表島に移住して、人間再生の場、コミュニティー西表友和村をつくり、山村留学生、心の疲れた人たちと共に暮らす。2010年後継の長男夫妻に委ね、夫の故郷、沖縄本島に移住して平和の活動に励む。無教会那覇聖書研究会に所属。