キリスト教界に長くいると、いつしか自分たちの文化や世界観が「あらゆるものの中で一番素晴らしい」と思いがちである。そう思うこと自体は決して悪いことではない。自分に対してOKを出すことで、今の在り方に肯定的に向き合える。
しかし一方で、その文化や世界観を「真理」とか「摂理」というレベルまで引き上げ、他者に押し付けるようになると、これは困ったことになる。そう受け止める母集団内で「真理」や「摂理」を認めることは問題ないが、そう思っていない者たちにとって、異なる世界観を押し付けられることほどイヤなことはない。
一方、宿命的にそのような集団に属さざるを得ず、教え込まれた「真理」や「摂理」を身近な人間関係へ「伝えるよう強要される側」にとっても、これは苦しいことに変わりない。いや、もしかしたら「押し付けられる」以上に「押し付ける」側はもっとつらいのかもしれない。それはまるで中間管理職が上司と部下との板挟みにあうようなものである。
そんな閉塞感を抱く「クリスチャン・ジュニア」は多い。かく言う私もその一人である。少年時代(あったんですよ、私にも)から現在に至るまで、教会内では威勢のいい言葉が飛び交うが、教会外(社会)ではその存在すら無視されてしまうキリスト教会の現状がある。その現状にあまり変化がないように思うのは私だけではないだろう。
特に保守的(福音派的、とあえてここではぼかしておきます)なキリスト教会は、聖書的「真理」という名のもとに教会内を「神の国」、社会を「この世」と峻別(しゅんべつ)し、後者から前者へシフトチェンジする一方向性を強調する。いわゆる「救われる」ことを第一義とする。
しかし近年、この在り方に対して、積極的に異なるベクトルを示そうとする流れを感じる。キリスト教会内から社会に向けてメッセージを発信し、しかもそのメッセージが社会で一定の有効性を獲得していくという流れである。このような取り組みの最先端に位置し、しかもそれを意図的に生み出したといえるのが、今回紹介する『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』である。
まず注目したいのは、これがキリスト教系の出版社からではなく、講談社から出ていることである。もちろん出版社に優劣はない。しかし後者であることの意味は大きい。ちなみに私は本書を私鉄構内の売店で購入した。このことがすべてを示していると思う。つまり、社会が彼ら(上馬キリスト教会のツイッターを運営する「まじめ担当」と「ふざけ担当」)を受け入れたからこそ、本書が出来上がったということである。本が作られる最大の目的は何か。それは一人でも多くの人に読まれる、ということだろう。本書はその条件を他の一般作家とのコンペで勝利していると言えよう。
では、中身はどうだろうか。「はじめに」の後に「『聖書』をほんとうにざっくり紹介します」というコーナーがある。そこに本書の特色が表れている。
出エジプト記が終わっても「レビ記」「民数記」「申命記」と、この出エジプトの旅についての書が続きますが、退屈なので飛ばしていいです。(18ページ)
新約聖書のはじめは、アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ・・・と、恐ろしく退屈な系図が語られます。これ、旧約聖書に精通した人が読むと「前回までのあらすじ」の役割を果たすらしいですが、精通していない人にとってはただの退屈な系図ですから飛ばしてしまってOKです。(21ページ)
ここに「まじめにおふざけ」の真骨頂がある。
彼らがその後語っていく「聖書入門」は、あくまでも「聖書ビギナー」「キリスト教いちげんさん」の視点から離れることがない。言い換えると、従来の「この世」から「神の国」へのシフトチェンジを迫るベクトルから、逆に「神の国」が「この世」に歩み寄ることによって、「私たちの間に差異はあまりないんですよ」と訴え掛けるようなスタンスを徹底しているということである。
これを「徹底」しようと思うなら、前提となるものが2つ必要である。一つは「神の国」側に全幅の信頼を寄せていること。もう一つはその信頼を表現するときに、あえて平易な用語、身近にあってターゲットとする年代が普通に使用している言葉に置き換えていることである。
本書は、上馬キリスト教会がツイッターで発信する内容が人々に面白いと思われ、フォロワー(読者)が増えていく中で一般の出版社の目に留まり、生み出されたものである。SNS時代では、誰もが発信者になれる。その時、彼らは「教会のことを知ってもらいたい」と思い、情報を発信した。そこには情報コンテンツへの信頼がなければできないだろう。
そしてこれを「分かりやすく、平易な言葉で」行うことに専心している。真剣に知恵を絞って(はたまた現代的な本能に従って?)言葉を選んでいるように思われる。本書からうかがい知れることは、「ふざけ担当」がとても「まじめにおふざけ」している様子である。むしろ単に「まじめ」であることの方がたやすいだろう。
私はこういった風潮を肯定的に受け止める者である。皆さんはいかがであろうか。一度は手に取って、じっくり読まないで、パラパラめくってもらいたい。その方が彼らの言わんとすることがしっかりと伝わるような気がする。
■ 上馬キリスト教会著『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』(講談社、2018年11月)
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