旭川に転任してすぐに三浦夫妻を表敬訪問したとき、綾子さんのエッセー集『風はいずこより』(いのちのことば社)を1冊頂きました。その中に「苦難と不幸」というエッセーがありました。それには、綾子さんが敬愛する岸本紘(ひろし)牧師から、川越聖書教会での講演にお招きを受けたときのことが記されていました。講演の後、綾子さんは星野富弘さんと対談するために、群馬県の星野宅に向かわれました。綾子さんも、星野さんの詩画に感動を受けていましたので、星野さんにお目にかかりたいと願っていましたが、いざお会いするのはつらいという思いを持っておられたようです。
1988年5月20日、32度もある暑い日、綾子さんは、星野さんにお会いするなり感動の涙があふれ、思わず星野さんを抱擁されました。この時の対談が『銀色のあしあと』と題して、いのちのことば社から出版されました。既に多くの方がご存じのように、星野さんは70年に群馬大学教育学部を卒業された後、中学校の体育教師になりましたが、同年、クラブ活動指導中に頸椎(けいつい)を損傷し、首から下の体をまったく動かせなくなってしまいました。体育教師で登山大好きなスポーツマンであった星野さんにとって、寝たきりになったことは、絶望以外の何ものでもありませんでした。そのような闘病中にキリストに出会った経緯が、『銀色のあしあと』に次のように記されています。
『塩狩峠』の本を持って来てくださったのは、病院で検査技師をやっていたクリスチャンのかたです。その前には米谷さんという大学の先輩がいて、聖書を持って来てくれた。それが、そもそもの初めなんですね。でも、あれですねぇ神さまというのは、時には遠回りをさせて、いつの間にか味なことをされるなあと思いますね。
本にも書いたことがあるんですけど、裏の畑の土手に小さな十字架が建ったんです。それに、『労する者、重荷を負う者、我に来たれ』という文句が書いてあって、それを、高校1年生のとき見つけたんですね。豚の肥やしをかごでしょい上げているとき、いきなり目の前に現れて、それが聖書の言葉との最初の出会いでした。たまたま豚の肥やしという重荷を負ってましたから、その『労する者、重荷を負う者』という言葉は印象的でした。(笑) うまいところに建てたなあと思いました。
(中略)ええ、ちょうど坂を登る途中の小さな墓地にあるんですけどね。真っ白の十字架で。ただ、『我に来たれ』というのが、そのときはどうもわからなかったんです。でも、わからないままに、なんだろうなあっていうふうに何年もずっと思ってました。この東村(あずまむら)に教会がないので、神さまはそんなふうなかたちで、おれを聖書に出会わせてくれたのかもしれません。(44、45ページ)
星野さんは、闘病中に聖書と共に三浦作品を読むことによってキリストと出会い、前橋キリスト教会の舟喜拓生牧師から洗礼を受けました。以後、星野さんは、綾子さんを「北極星」に例え、綾子さんを目標に生きるようになったと、講演で直接聞いたことがあります。星野さんの詩画集は、国内外で非常に多くの人々に愛され、生きる勇気と励ましを与え続けています。故郷、東村(現みどり市東町)に建てられた富弘美術館には、現在までに数百万人の人々が来館されています。さらに国内外各地で詩画展が開催され、多くの人々が星野作品に感動を受けています。
私が旭川に転任して数年後、教会員で体の不自由な姉妹が「旭川でも星野富弘さんの詩画展を開きたい」と口にされました。この一言がきっかけで、旭川市内の多くのキリスト教会が協力して、1997年11月に旭川駅前の西武デパートで「星野富弘 花の詩画展」を開催することになりました。開催期間6日間で約7400人の来場者があり、大盛況でした。そのオープンセレモニーのテープカットに、三浦夫妻も来ていただけたのは幸いでした。綾子さんが召される2年前の秋でした。
詩画展開催の実行委員長は旭川六条教会の芳賀康佑(しが・やすすけ)牧師、事務局長は私が務め、開催前後には、芳賀先生と2人で群馬県の星野さんにごあいさつに伺いました。星野さんとも直接お会いし、交わりをいただけたことは大きな恵みでした。当時は、三浦綾子記念文学館の建設に向けて募金を集めている時期で、星野さんは詩画の使用料全額を文学館建設のために寄付してくださいました。
多くの人々に感動と生きる希望を与え続けている星野さんの詩画。その背後には、星野さんと三浦文学(作品)の出会があったのです。
大学の後輩である星野さんに聖書を贈った米谷信雄牧師(美唄福音キリスト教会協力牧師)は、次のように記しています。
あなたは私が 考えていたような方ではなかった
あなたは私が 想っていたほうからは来なかった
私が願ったようには してくれなかった
しかし あなたは
私が望んだ 何倍ものことを して下さっていた (当てはずれ)星野さんの新しい詩画集『あなたの手のひら』の中に、「当てはずれ」と題する詩を見つけた。そして、これまでの星野さんのことを振り返って思った。あの時、私は何を願い、何を期待していたのか、ほんとうは何も知らなかったのではないか、と。でも、一粒の麦がいま、何百倍もの実を結んでいるようにも思った。
(中略)聖書に「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです」(ローマ人への手紙11章36節)ということばがあるが、私からではなく、「神から」、私にではなく「神に」、星野さんのことを振り返ると、ほんとうにそう思う。そして星野さんが、「まむしぐさ」の絵に添えた詩の結びのことばを、私も忘れないでいようと思った。「すべて神さまのなさること わたしも この身を よろこんでいよう」と。(2000年冬号「クォータリー」No.35)
絶望のふちにあった星野さんをキリストに導き、生きる希望と使命に目覚めさせるために用いられた三浦文学(作品)。ここにも三浦文学の底力があることが証明されています。(続く)
◇