私が10代の後半、朝日新聞1千万円懸賞小説で、北海道の旭川市にある小さな雑貨店を営むごく普通の主婦、三浦綾子さん作の『氷点』が入選したというニュースが大々的に報道されました。三浦さんは、日本基督教団旭川六条教会に通うクリスチャンで、『氷点』のテーマが「原罪」ということも人々の大きな話題となりました。入選後の新聞連載、単行本発行、『氷点』を原作とした内藤洋子主演のテレビドラマは大変な人気となり、日本全国に「氷点ブーム」が沸き起こりました。
この『氷点』から取られて命名された「笑点」というお笑い番組は、今も続いています。この一つを見ても、当時の「氷点ブーム」のすさまじさを知ることができます。『氷点』入選後、このようなストーリーを素人の平凡な主婦が書けるわけがないという疑惑も起こりましたが、三浦さんご本人は、ひどく心傷ついたに違いありません。昔も今も、確かな根拠もなく憶測で事実を歪めるような事柄は、あらゆる分野で起こっているように思われます。
この『氷点』を読んで、キリスト教月刊誌「信徒の友」の編集長をされていた佐古純一郎氏は、早速、三浦さんに連絡して小説の執筆を依頼しました。この要請を受けて三浦さんは、所属教会の大先輩で旧国鉄職員の長野政雄氏を主人公にした小説『塩狩峠』を執筆しました。この『塩狩峠』は当初、クリスチャンの読者を念頭に書いたものでしたが、不思議なことに、この小説を読んで教会に導かれ、キリストを信じた人々が非常に多いことに驚かされます。その中には、花の詩画作家で著名な星野富弘さん、作家で幅広く活躍されている佐藤優氏、三浦綾子読書会を創設した長谷川与志充氏などがいます。
この他にも三浦文学を通じて信仰に導かれた人は数えきれません。
三浦さんは、その後も次々と『道ありき』『ひつじが丘』『光あるうちに』などの新作を発表し、圧倒的な数の読者を獲得して一躍ベストセラー作家となり、77歳で召されるまで活躍を続けました。このような意欲的な作家活動の原点は、三浦さんが戦後、人生のどん底状態からキリストによって救い出されたという感謝と感動にあります。この素晴らしい救い主を一人でも多くの人々に伝えたいという燃える情熱です。
1991年4月、私は千歳福音キリスト教会から、旭川めぐみキリスト教会に転任しました。以前から旭川めぐみキリスト教会は、医師や看護師、旭川医科大学の医大生など、医療関係者が多い教会と聞いていました。しかもその教会は、三浦夫妻の旧宅を譲り受けて誕生し、三浦夫妻とも関わりが深いことで良く知られていました。さらに初代の岸本紘牧師、前任の正田眞次牧師のお二人は、共に学識や行動面で優れた方々でした。そのような教会に、私は相応しくないのではないかと恐れ、尻込みしていました。葛藤を覚え祈っていたとき、創世記12章1〜2節の主がアブラムに語られた言葉が強く響いてきました。
あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしょう。あなたの名は祝福となる。
私は、室蘭市生まれですが、生後1年で家族が千歳市の新川という寒村に移り住み、そこで育ちました。そのため、実質、千歳市が私の故郷であり、実際そこに「父の家」がありました。そこを出て、主が示される地、旭川へ行くと祝福されるという約束を握って転任を決断しました。慣れ親しんだ故郷を離れることは、非常に寂しい気持ちに襲われたことを思い出します。大きな期待と不安を抱えて旭川に向かいました。
旭川に転任してすぐ、教会の近くにある三浦夫妻の自宅を家内と共に表敬訪問しました。著名な三浦夫妻に初めて個人的にお会いするということで非常に緊張していました。秘書の方を通じて和室で待っていると、三浦夫妻がにこにこと入って来られ、その第一声が「まあ、素敵なご夫妻ね」というものでした。
これには内心びっくりしました。私たち夫婦は常日頃、いろいろな面で未熟な夫婦だと強く自覚していたからです。まして他者から「素敵な夫婦ですね」などとは一度も言われたことはありません。
誰からも言われたことのない褒め言葉を、三浦さんから頂きました。後日、三浦さんは、出会った人々に対して誰にでも、必ず「励まし」と「愛情」を表す褒め言葉を惜しまれないと聞きました。ですから、三浦さんから頂いた第一声を「褒め言葉」というよりも、「素敵な夫婦になってくださいよ」という励ましの言葉として受け止めました。
「何がお好きですか」と問われ、「自然が好きです」と答えました。それに対して三浦さんは「私も自然と人間が大好きです」と答えられました。この答えに、私は三浦文学の魅力の秘訣を発見した思いでした。また一方で、私は、自然は好きだが、人間はあまり好きではなかったので大いに反省を迫られた一言でもありました。
さらに、私が「著名な三浦先生ご夫妻を前にしてとても緊張しています」と打ち明けると、三浦さんの眼光が鋭く光り、少し厳しい表情で「著名ということは、くだらないことです。そんなことで恐れないでください」と強く言われました。しかしその直後、笑顔で「私など人を食って生きていますよ」と冗談を言われましたので、ほっとしました。
この初対面以来、三浦夫妻とは、近所ということもあり、何かと親しい交流をさせていただき、励まされ、祈っていただいたことは、私にとっては非常に大きな祝福でした。その後、綾子さんとは召されるまで8年間、夫の光世さんとは22年間親しい交流が与えられました。初対面の時、綾子さん69歳、光世さん67歳、私は43歳でした。(続く)
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