バンド「クイーン」のことはあまり知らない。1968年生まれの私は、どっぷりハマった世代から少しずれており、そもそも洋楽に興味を持ったのは高校生の時に洋画のサントラとして聴き始めたときからであるためだ。クイーンやフレディ・マーキュリーという名を知ったのは、私の年代の中では比較的遅い方だと思う。そもそも「フレディ」と聞いて真っ先に思い出すのが、「かぎ爪」を手にはめて米国の若者たちを追い回すホラー映画(「エルム街の悪夢」、映画に登場する殺人鬼がフレディ・クルーガー)であるということからも、私の「素人具合」が分かるだろう。
そんな素人の私も、本作「ボヘミアン・ラプソディ」には大興奮だった。客層も幅広く、私よりも少し年上のご夫婦(クイーンのTシャツを着ていたことから、かなりのガチ)から、明らかに10代のバンドマンたちまで、多くの方が来場していた。
物語は、主人公のフレディが英国でマイノリティーの悲哀を感じるところから始まる。彼は出自(インド系移民)をバカにされ、出っ歯に象徴される容姿を笑いものにされ、厳格な父親と反りが合わないという鬱屈(うっくつ)とした青春時代を送っていた。やがてひょんなことから、とあるバンドのボーカルに抜擢(映画では、半ば志願)され、ギタリストのブライアン・メイ、ドラマーのロジャー・テイラーと運命的な出会いをする。これが伝説のバントとなる「クイーン」誕生の瞬間であった。
その後、ベーシストのジョン・ディーコンも加わり、その楽曲の奇抜さ、大胆さ、そして人々に与えた影響は、彼らのファンであり、「クイーンマニア」と呼ばれる玄人の方々にお任せしたい。私はあくまでも「クイーンの素人」として、フレディ・マーキュリーの伝記映画である本作を評してみたい。
本作のテーマの一部となっているものだが、1970年代から90年代にかけて、世界はセクシャリティーに関する知識がほとんどなかった。そのため、英国では「同性愛は罪」として断罪されていた。ここで言う「罪」とは、キリスト教に基づいた宗教的罪性だけでなく、刑法に抵触する「重大犯罪」と見なされていたということである。ヘンリー8世時代の1553年に制定された同性愛禁止法(いわゆる「ソドミー法」)により、英国は400年以上にわたって、同性愛を死刑を含む「重大犯罪」として裁き続けてきたのである。
1967年に法的なペナルティーは課せられなくなったが、人々の間に有形無形の「差別意識」が残存していたことは想像に難くない。フレディが活躍していた時代は、そういう時であった。
劇中、最も痛々しいのは、彼が当時の基準で「正しくあろう」としながらも、どうしても内に宿る違和感を解消しきれずに、とっぴな行動に出てしまう数々のシーンである。
「友人」として仲良くなった女性メアリーとの結婚によって、このひそかな(間違った)思いが打ち消されることを期待するフレディ。しかし、コンサート後に場末なモーテルで男漁りをしてしまうフレディ。「取り巻き」をはべらせ、連日行われる半ば狂乱パーティー・・・。しかし彼が本当に欲していたのは、自分の苦しい胸の内を理解し、寄り添ってくれる「HOME(家・友)」であった。
今回、メロディーラインだけ知っていた数々の名曲が披露されるシーンで、初めて歌詞を知ることができた。物語をフレディ視線で観るように方向付けられた観客は、歌詞の背景をも知っているため、余計にその言葉が心に響く。同時にフレディがどうしてあそこまでエモーショナルに各曲を歌い上げることができたのかを理解することになる。
物語がクライマックスに向かうにつれ、なぜか聖書の「放蕩息子の物語」が頭をよぎった。これはとても有名な物語で、よくキリスト教会の伝道説教で引用される箇所である。
とても厳格な家系に生まれた男子2人。兄は真面目に父の言うことを聞いているが、弟はまったく逆。そしてついに父の家を離れ、一人暮らしをするようになる。そこでスッテンテンになった弟は、初めて「父の家(HOME)に帰ろう」と思いを新たにする。そして父もそれを快く受け止め、彼は元の鞘(さや)に収まる。
本作「ボヘミアン・ラプソディ」はこの有名な「放蕩(ほうとう)息子の物語」を、現代的な味付けで語り直しているように思える。聖書の強調点と少し異なるのは、彼が帰っていくのは「父」の元ではなく、「HOME(家・友)」であったことだ。そこには音楽仲間がおり、彼を支え続けてくれた元妻がおり、バンドが生み出したクイーンの楽曲があった。そこにこそ、彼を「フレディ・マーキュリー」たらしめるすべてがあった。セクシャリティーをも含めたすべてを受け止めてくれる「HOME」に、彼は最終的に帰還する。
フレディはご存じのように、1991年にエイズの合併症により、45歳で亡くなってしまう。当時、エイズは同性愛の結果、神によって下された裁きだ、という論調が宗教界を席巻していた。英国もキリスト教国であるため、そのような論調が強かった。しかしその後の研究によって、その関連はまったくの思い込みであったことが分かっている。そして現在、エイズは治療不可能な病気ではなくなりつつある。
映画のクライマックスは、1985年に行われた20世紀最大のチャリティーコンサートといわれる「ライブエイド」での出演シーン。21分にわたり、実際の映像をそのまま使ったのではないかと思わせるような圧巻のステージを再現して見せる。そこで歌われる名曲を、映画の鑑賞者たちは「単なる歌」としては聴かない。余命いくばくもないフレディが、どうしてアフリカの飢餓対策を訴えるコンサートでこれらの楽曲を選んだのか、をきちんと説明する作りになっている。
彼は、自分を理解してくれない父親の元を離れ、友を求めさまよう。そして実は自分が今までいた場所、仲間こそ自分が帰るべき「HOME」であることを発見する。そして文字通りの「HOME(実家)」を訪れ、父と再び向き合う。彼ははっきりと言い放つ。「父さんが言っていたように、これ(ライブエイドに出演すること)は正しく、善い行いだ」と。父は息子の言葉を受け入れ、家族に「(ライブエイドを放送している)テレビをつけろ」と指示する。息子の活躍を期待し、応援するのは父親としては当然の思いだろう。直接的ではないが、父子の和解もこの時に成立したことを暗示している。聖書的な意味で見れば、放蕩息子が父の家に帰ってきた瞬間である。
本作は確かに、クイーンファンにとってはたまらない作品だろう。懐かしく、また熱狂した「あの時」を熱く思い起こすひとときとなるからである。だがその底流には、自分を受け入れてくれる場所を探し、もがき続けた一人の人間の魂の葛藤があったのである。
同じような苦しみを抱えた人間は、この現代にも多く存在する。果たしてキリスト教界は、彼らの「HOME」たり得るだろうか。
聖書の「放蕩息子の物語」に登場する父親は、息子を無条件に受け入れた。無条件ということは、現代的に言うならセクシャリティーをも含めた、その人のアイデンティティーに敬意を持って接することを意味するのだろう。これには覚悟がいる。エイズであることを知りながらも、激しいパフォーマンスを決断したフレディと同等の覚悟が。
もしこのことにキリスト者が気が付き、彼らを「HOME」にと導けるなら、フレディはきっと喜ぶだろう。彼が歌った「伝説のチャンピオン」が世界で高らかに鳴り響くことになるだろう。本作を観終わって、劇場を後にしてから数日がたつが、あの「ドン・ドン・ダン!」のリズムが私の中で今も鳴り響いている。
■ 映画「ボヘミアン・ラプソディ」予告編
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