米国の黒人キリスト教会
米国の黒人キリスト教会は、独自の発展を遂げている。奴隷制時代には、黒人は書くことを禁止されており、手紙を書いたり、日記を付けたりできなかった。読み書きができると黒人間のコミュニケーションが成立し、反乱の原因になる。こうして黒人の団結の手段となるものは、すべて禁じられていた。奴隷は白人の教会には出席せず、自分たちだけで礼拝を守っていた。
そうしているうちに、黒人たちの間に説教者が生まれ、自分たちの賛美が生じた。インディアンとは違って、黒人は自分たちでキリスト教信仰を消化し、独自の信仰と倫理を成立させた。
これは、黒人は文化的に程度が高く、白人と文化的背景が似ていたからであろう。アフリカの文化を背景に持っている黒人は、農園という組織体における自分の役割を理解することができて、責任遂行の観念があった。だから、奴隷として使役することが可能であった。そもそも黒人奴隷を使っての農園経営が成立したのは、白人と黒人の間の文化的な同質性のためであると考えられている。
インディアンを捕らえて、奴隷として使役しようという試みは初期からあった。アフリカから連れてくるのは高価である。周りにいるのを捕らえれば、安く手に入るのである。しかし、うまく行かず失敗した。インディアンは狩猟民族であり、耕作の文化を持っていない。農園という状況の中の共同作業などというものは、彼らの文化の伝統の中にはなく、彼らは命令の内容を理解せず、命令に服従するという意識がない。農園労働における、主従関係などというものは把握できない。
彼らは自由児であって、畑に出ればスキとクワをすぐ放り出して小動物を追いかけて行ってしまい、そのまま帰って来ない。小動物を追いかけるのはインディアンの血と文化であった。森は友であり住居であるので、原野に野宿することは喜びである。インディアンにとっては星空の下で、屋根なしに寝るのが自然であり、屋根の下で寝るのは病的なのである。
黒人はこれとは違い、はるかに高度の文化(文化の高低などという言葉は、これまでの論議に反する単語だが、話を分かりやすくするためにあえて使用している)を持っていた。このような文化の相似のために、黒人にはキリスト教信仰が伝わった。ところが、何百年間にわたり、読み書きと教育が禁じられていたので、見習い制度によって牧師の養成がなされた。やがて黒人説教者の大きな群れが形成された。このように神学校教育によらぬ牧師養成が行われ、そういう事情から非常に特異な性格の教会が生成されている。
その習慣はいまでも続いており、黒人の教授陣による黒人のための神学校というようなものは、70年代に小生が留学したときには存在していなかったようである。そういう黒人神学校のようなものがあるのか留学中に教授たちや学生たちに聞いて回ったが、「ある」とか「知っている」という答えはなかった。
(注:現在もそうであろうか。そのあたりの事情を調べるのは、そんなに容易なことではない。黒人神学校などという表示がしてあるわけでない[差別に当たるから]。学長や教授の名前を見ればドイツ系か、チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)系か、ユダヤ人かなどはどうやら推定できるが、黒人かどうかは分からない。噂(うわさ)を拾うしかないのである)
元WBC・WBC統一世界ヘビー級の黒人チャンピオンで、のちにイスラム教に改宗したモハメド・アリの『ムハマッド・アリ自伝』(改宗と同時に改名)の中で、米国の黒人キリスト教会は牧師のほとんどが自分免許であり、その7割は女を囲っている、と言っている。
アメリカ黒人のキリスト教信仰は、その倫理面において、一般のキリスト教信仰とは違っている。学者のいないところで、従来の伝統的な教会の神学思想を伝えてくれる者の不在の中で、ただ聖書を頼りにして教会が発生した。教科書や参考書なしで、見習いで伝道者の養成がなされた。このように、黒人キリスト教会の神学思想は書物によらず、より直感的で、 黒人社会のエートスに密接している。
この黒人キリスト教会が、伝統的なキリスト教会とどう違うのか、誰もはっきりとは把握していない。
米国内では、白人キリスト教会と黒人キリスト教会は相互理解ということについては、どちらもあまり互いに努力を払っていないように見える。リベラルな教派では、福音派に比べれば、まだそのような試みがなされているようである。しかし、福音の把握の在り方、また教会形成の在り方に関する相互理解の努力というよりは、むしろ差別、都市荒廃などの問題についての共闘という面が強いように見えるのである。
現在、ほとんどの黒人の生活は「殺すか、殺されるか」の戦国時代の中にある。黒人の若年男性の殺人被害の率は非常に高い。高校進学率は低く、文盲が多く、仕事がなく麻薬の売買に走ってしまう。
一般的な黒人の家庭では、父親と呼べる存在がいないのが普通である。母親と数人の子どもで生活しているが、子どもの父親は全部違う。その時、男がいても長続きはせず、たいてい生活保護で暮らす。それが標準の形態である。保護費が来る日だけ男が戻って来て、殴る蹴るの暴行を女に加えて金を取り上げ、金を持って行ってしまい、飲んでしまう。米国内には、そういう状態の中で暮らしている数千万の黒人がいる。
こんな状況は、アフリカのジャングルにもない、世界の他のどこにもない。そういう社会を黒人は形成している。だから黒人は、ノーマルな社会を構成できない、いわば動物的な特殊な存在のように見られる。どうしてそうなのだろうか。
たぶんその起源は、次のようなものであろう。奴隷制時代には、黒人は白人のキリスト教会で結婚式が挙げられず、また黒人キリスト教会というものは、もちろん、公式には教会と認められていなかった。
そこで黒人の男女関係は、家畜のオスとメスを掛け合わせたのと同じ扱いを受けた。だから黒人の男女は、一緒に暮らしていても家庭とは見なされず、時が来れば男女は引き裂かれて別々に売り飛ばされる。子どもも、どこかに売り飛ばされる。字を習っていないから手紙で連絡することもできない。こうして黒人には、親の権利も義務も、夫婦の情愛も、子どもに対する責任も認めてもらえない、そういう状態が200年以上も続いた。
これは黒人ももしかしたら人間かもしれない、と思えば、そんなことはできないのであるが、家畜だと思えばできることである。これが「キリスト教国アメリカ」の実態であった。このような恐ろしい状況が2世紀以上続き、その結果、現在の黒人の社会が成立したと思われる。
米国の黒人は、このようにスラムでの、いわば旧約聖書の戦国時代のような中で、その倫理のうちに生きている。そういう「殺すか、殺されるか」という中で暮らしながら、そこでイエスを信じて、神の栄光を現すのである。それは、いわばダビデの前半生に似ている。
こういう「殺すか殺されるか」というスラムの生活にいるままで、神の栄光を現すことはできるのだろうか。答えは然りである。まさにそのような生活のただ中でも、神の栄光を現すことができるのである。彼らこそ、最もイエスの救いを必要としている人たちである。
このような状況の中で暮らしている黒人にとっては、救われ、神の栄光を現すということは、白人のライフスタイルを取り入れるということではなく、白人の倫理を実践するということでもない。まして、スラムの生活から抜け出すということでもない。ギャングの仲間の1人であって、殺し合いの毎日を送っているとしても、そのただ中で神の栄光を現すことができる。
福音を信じたら、そんな境遇から足を洗うということでもない。そういう中に居続けたままでよい。そこで救われ、神の栄光を現すのである。それはダビデが生きていたのと同じ状況である。
黒人たちの生き生きした信仰について見聞きすると、この人たちは主イエスの恵みを持っている群れであることに疑いをはさむことはできない。一方、その生活を見るとメチャクチャである。生活保護で暮らし、男は金を取り上げて持って行ってしまい、飲んでしまう。
礼拝も泡を吹いて倒れる者があり、騒然として神がかり状態が繰り返される。日常のやりきれない生活からの逃避、カタルシスの部分が多い。我々の考える礼拝とはかなり違う。
このような黒人のライフスタイルが妨げとなって、白人キリスト教会と黒人キリスト教会との間には、交わりがないのが実情である。ただこの20年ほどの間に、黒人学生で白人神学校で学び、正規の神学教育を受ける人数が増大している。彼らが架け橋となり、変化が起こるのだろうか。
小生が留学した70年代初期には、米国東部の神学校(大学院レベル)では黒人学生はほとんど見られなかった。
米国内異文化宣教の評価
まとめると・・・このように米国では、国内に2種類の異文化伝道がある。
1つは、先住米国人(インディアン)伝道である。歴史的には、相手の文化を絶滅させようという動きと、キリスト教伝道が一致した。すなわち、福音宣教と共に、アメリカ的ライフスタイルを教えようとした。
宣教は前進せず、教会は育っていない。部族出身の牧師はほとんどいない。日本伝道より進んでいないのである。つまり、失敗例である。
もう1つは、アフリカ系米国人伝道である。これは米国における奴隷生活の文化と結び付いて、非常に独特な宗教の形態を形作った。ごく初期には、白人の教会に雇い主と一緒に出席する者もあったが、じきに自分たちで集会を始め、白人の干渉のないところで、自分たちだけで聖書の使信を消化し、米黒人キリスト教という極めて独自の信仰を形成していった。
これら黒人キリスト教会は排他的であり、閉鎖的である。米黒人以外の教会に対して信仰を説明し、信仰の喜びを表現し、互いの信仰を確認し合うことは少ない。つまり、交わりへの方向性が少ない。
そもそも教会とは、個人が主にあって交わりをする場であると同時に、それ以上の交わりがある。教会を通して異なった群れが、教派の枠を越えて交わりをするのである。黒人教会の交わりの欠如は、この点で成熟性に欠けると言わねばならない。
こうして米国本土における2つの異文化伝道は、双方ともに正常な果実を生んでいるとは言い難いのが実情である。
黒人キリスト教会の信仰思想、その信条について、はっきりしたことは分からないのが実情である。黒人の側で発言するものは少ないが、ジェームズ・コーン(黒人神学者)は例外である。彼の著書からその思想を紹介する。しかし、コーンの思想が、黒人キリスト教会の草の根レベルの信仰の意識と同一であるかどうかは確かではない。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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