宗教改革と西欧社会
ここで、宗教改革について宣教学的な視点から検討をしなければならない。宗教改革は、当時のキリスト教信仰に新しい方法論と新しい前提を与えた。それらを行うに当たり、改革は2つのことをした。
1つは法王無謬(むびゅう)、マリア礼拝、煉獄(れんごく)などの教理を排除したことである。カトリック教会には、十字架の贖(あがな)いの教理とともに、これらの教理が同居していた。煉獄というのは、天国と地獄の中間にある領域で、信者が死ぬと、まずここに送られる。火の苦しみがあって霊魂は清められ、苦難の期間が満了すると解放されて天国に到達できる。
煉獄にいる期間の長さは、受洗以後の本人の行動によって決まる。有徳の人は、短期間の苦難で済み、放埓(ほうらつ)で罪深い生活を送った者は、長期間の苦しみを味わう。
ところが、聖母マリアは徳が高く、煉獄を経ずに直接昇天した。自分の功徳が大きいので、煉獄を経る必要がなかったのである。そればかりか、彼女の功徳は余っている。カトリック教会の機能の1つは、マリアのこの功徳の「管理機関」ということである。教会は、罪人に対してマリアの功徳を振り替え、それによって死者の苦難の期間を短縮するが、法王は何日、枢機卿は何日、大司教は・・・と、それぞれが権限を持っている。
遺族は、故人のためにミサを挙げてもらい、マリアの功徳を振り替えてもらう。すると、本人の苦難の期間が短縮される。教会の歴史の一時期においては、これによる収入が大きな部分を占めていた。免罪符というものは、この死人のためのミサの料金の前払いで、手続きを簡素化したものである。販売者のヨハン・テッツェルは、罪を犯す前にこれを購入しておくように勧めて売ったという。
このようなマリア礼拝、マリアの功徳による煉獄からの救出、それに関する法王や枢機卿の権限などは、カトリック信仰の1つの部分だった。マルティン・ルターは大胆にも、教会の信仰のこれらの重要な部分を捨てても、キリスト教信仰が成立することを示した。ルターの功績は、ここにある。改革主義思想はもう1つのことをし、それにより、さらに進んで広く西欧の社会全体に影響を与えた。それは、信仰の実践の場の問題である。改革主義思想はその「場」について1つの貢献をし、それによって西欧の民主主義的社会の根底を形作ったのであった。
16世紀は、中世が終わりを告げようとする時期であり、ルネサンスが理想とする自律的な人間像が模索されていた。改革主義思想は、このような個人の尊厳と決断とを基礎とする人間像、また、そのような個人で構成される社会を選び、その価値観と倫理を「福音信仰の実践の場」とした。こうして啓蒙時代の「自立し、政治的に自律的な人間像」が、人間像として採用された。
この時期は、政治的には国王や貴族、領主たちによる政治ではなく、富裕な市民(プチ・ブルジョア)による政治の理念が台頭する時期でもあった。改革主義思想は、このような政治的な自律的人間の理念と合体し、社会に有効なイデオロギーを提供し、西欧の近代化を助けた。そのように西欧社会で民主主義が成立するに当たって、改革主義思想の貢献は大きかった。
さらに改革主義思想は、近代化された西欧社会でも、宗教として有効に機能し続けることができた。カルヴァン主義は、スイスの社会で発生したことから、スイスの社会が持っていた先駆的で啓明的な政治思想に受肉し、それにより西欧の近代化の1つの原動力となった。こうして西欧の民主化とカルヴァン主義との間には密接な関係が生じた。やがてほとんどの新教諸派が、この思想を受け入れた。
ルーテル派は中世的な封建領主の権威を受け入れ、中世的な倫理を保存したまま発足した。後に改革主義的な倫理と社会観を取り入れたが、貴族主義的な性格は拭えず、政治的には改革主義とは違って、時流に先んじて先駆することはなかった。
西欧的社会の優越の観念
こうして改革主義は西欧社会に適合し、かつ西欧社会の向かおうとする方向をより明確にし、それが民主主義とまた資本主義社会を生み出す原動力ともなった。その約400年にわたる、政治的な戦いの歴史は感動的である。
特に民主主義は、欧州においては政治的理想を越えない面もあったが、米国の240年の歴史において、これは現実化した。米国の民主化において長老派キリスト教会の思想が果たした役割は大きい。このように改革主義信仰とその実践は、西欧社会において社会適合の輝かしい成功例であったといえる。
繰り返して言うが、この西欧的な人間像と西欧社会の価値体系は、聖書中には、その類型を発見することはできないのである。民主主義は聖書中にはなく、民主主義的な政治形態をナマな形で聖書の中に発見することは不可能である。
預言者が活躍し、イエスが生き、活躍された舞台は中近東の古代社会である。それは近代の西欧社会からはほど遠い。だから、聖書から民主主義を発見しようとすれば、かなり恣意的な読み込み、また概念のかなり勝手な操作をせねばならない。
しかし福音は、聖書の歴史的舞台とは無縁な西欧社会でも生存し繁栄した。それは、福音が持っている柔軟性のためである。福音がさまざまな社会の、種々の価値体系と組み合わさってキリスト教信仰を成立させ得るという多様性の一例が、ここにある。
すなわち、封建的な領主制と合体して出来たプロテスタント・キリスト教も可能である。領主の権限を大きく認め、農民側の要求や運動を武力で弾圧する福音的信仰もあり得る。また他方には、資本主義・市場経済と合体したキリスト教信仰も成立が可能である。そうして、どちらも直接には聖書からその存立の枠組みを取り出すことはできないのである。
もし仮に、直接に聖書中の例証を得たいということなら、むしろ絶対君主制の方が聖書に豊富に例証を発見できるのである。
福音の生まれた舞台からは遠い西欧の社会で、キリスト教が宗教として成立するためには、聖書のさまざまな事例から原則が抽出され、それがあらためて西欧社会に適応されるという操作がずっと行われた。西欧社会では、聖書の事例(中近東的な出来事)をそのままモデルとして実行することなどできないわけで、そのためには聖書的な事例からある原則を抽出し、あらためてそれを西欧社会に適用する、そういう操作をした。
それは、妥当な作業であった。新約聖書においても、イスラエル史の中から抽出された原則がローマ的社会の生活に適応され、異邦人教会が成立していく実例が見られる。
西欧のキリスト教信仰を見ると、福音理解は聖書の叙述そのままを忠実に受け入れた。しかし、信仰の実践(倫理)においては、西欧社会に適応するため、このような「組み替え」を行った。繰り返して言うが、それは西欧社会に伝道するためには極めて順当なことであり、他の文化もすべからくこれを模倣すべきだった。
16世紀のプロテスタント宗教改革は、福音の把握については「聖書のみ」を原則としたが、信仰の実践については、当然「各個の事例からの原則の抽出、その適用」を行い西欧社会に適合させた。その時、単に当時の西欧社会への適合を図ったのみならず、西欧社会が目指したその先を、つまり資本主義的な社会の実現へのイデオロギーも提供したのである。
ところが、宗教改革から何百年もたつうちに、「福音」ばかりでなく「実践の場」の方も聖書から直接に由来しているかのように思われるようになった。原則の抽出と適用があり、それを通して「組み替え」があったなどということは忘れられてしまったのである。
そこで問題が2つある。問題の1つは、西欧的価値観とその人間像が何百年かのうちに絶対的な位置を占めるに至った結果、西欧的な価値体系が福音信仰の本質的な一部と見られるようになったということである。
問題の2つ目は、西欧社会の優越の観念の問題である。それは、西欧の人間観と西欧社会の価値観が最も優れており「進んで」いるとし、それ以外の世界は「遅れ」ているとするものである。第1は第2によって補強され、そのために、ほとんど絶対的な地位を獲得した。
例えば、フランシス・A・シェーファーの『それでは如何に生きるべきか』(稲垣久和訳、いのちのことば社、1979年)を見ると、著者は西欧的な自律的人間像以外のものがあり得るなどとは考えていないことが分かる。これは、現代の西欧人クリスチャンの自己理解の書である。立派で素晴らしいものである。しかし、これをアジア人の我々が、全面的に受け入れようとするとサル真似になる。
この「西欧的なキリスト者の自己理解」からすると、アジア的な精神、社会制度、慣行は「遅れ」ているとされる。問題はこの「遅れ」が単なる素朴さと見られず、未開で野蛮なものと見られ、さらに邪悪で滅ぼされるべきものと考えられているところにある。
そのような人種的な優越感と知的傲慢(ごうまん)が、西欧的なプロテスタント・キリスト教の中心近くに、いわばDNAのように居座っているのが現状である。そのことを、実例から考えてみたい。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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