文化と文化の対立
日本宣教が進んでいないのは、実はキリスト教が持ってきた西欧的な文化と、日本の在来の文化とが反発し合っているからである。日本社会のキリスト教アレルギーは、福音そのものに対するものより、西欧文化に対するものであることが明白で、それはもう誰もが本能的に感じていることである。では、どうすればいいのか。
単に対立と摩擦が解消されればいいのかというと、もちろんそうではない。それをやって福音がボヤけてしまっては何にもならないからである。
このような宣教と文化の問題は、日本では未整理のまま放置されているのではないか。なぜそんな重大なことが、いわば放置されているのだろうか。理由の1つは、恐れである。福音が纏(まと)っている「文化の衣」を「着せ替える」ことは容易ではない。先に音楽の例でも述べたように、福音という体と文化という衣服との境界線が明白ではないからである。衣だと思って脱がせていると、実は福音の一部分を捨てようとしているかもしれない。その点について、自信を持てる人はいない。
なぜ、それが難しいのか。その理由の1つに、歴史的な状況というものがある。キリスト教文化は、何世紀にもわたる西欧の歴史のうちに成立している。だから、西欧の伝統の中で、福音と文化はさながら一体をなして千年以上が経過しており、どこまでが文化で、どこからが福音なのか明白でないところばかりである。文化だけをいじり、手直しするなど、口では言えても実際は容易なことではない。
内村鑑三は共同体としての教会を日本的な目で追究し、キリスト教信仰の実践においてユニークな見解を打ち立てた。しかし、鑑三の福音の把握に、ひびが生じたのか、そのグループは一般に孤立的で、セクト的になってしまった。日本的な目で、福音とその実践を検証したのだが、自分たち以外の者とは交わりを持たないという、排他的で孤高を守る態度に変化した。
日本的な目で福音を見直すことは重要である。鑑三と無教会は、よくやったのである。しかし、結果としては孤立、排他に陥ってしまい、日本の福音宣教には、必ずしも資していないように見えるのはどうしたことだろうか。この孤立的態度を見るとき、キリスト教信仰の日本化ということは、やはり軽々しく手は出せないものであると、恐怖感のようなものを周囲に与えている面がなしとしない。キリスト教の見直しとは難しいことである。無教会主義については後ほど取り上げるので、これ以上は触れない。
もう1つの理由は、分析的態度の欠如である。宗教としてのキリスト教が伝統的に前提としているものの検証をしていない。この点は、送り手である西欧の教会にも、また受け手である日本の教会についても言えることである。西欧の教会こそ本場であり、その慣行と実践が常に規範として考えられているのである。この態度は、日本側にも欧米の側にもある。
日本の歴史にしても、これをキリスト者として考えるのに、どういう前提でやるのかが問題である。日本の歴史など、まったく価値がないのか。それとも、日本の歴史には価値があるという前提で行くのか、それが問題である。
日本の社会には、国粋的なものと同時に島国特有の外来文化に対する抜きがたい憧れというものが、ずっと併存してきている。維新後も、大正年間も、また昭和時代もそのような欧米文化崇拝の傾向は強かった。
太平洋戦争初期の1942(昭和17)年4月に、東京が空襲を受けたとき(末期の連続空襲でなく、初期の単発的なもの)、撃墜されたB25型爆撃機(B29は、まだ開発されていなかった)の乗員の捕虜を一目見たいと、サイン帳を持って東京の街頭に黒山の人が集まるという「不祥事」が起こったことがあった!
このような「軽佻(けいちょう)浮薄」なる東京市民の行動を怒って軍部が叱責と警告を発した。戦時中でさえもそうである、特に敗戦後には、欧米的な価値観が「正論」となったのだから押して知るべしである。
日本社会の中の諸機能や人間関係は、決して欧米的な価値観によっては動いていない。しかし、この「正論」は日本社会の中のそれらを律する「建前」として受け入れられているのである。
そうして日本のキリスト教信仰は、それらの「正論」を鵜呑(うの)みにし、それに沿って伝道と教会建設を行おうとしてきた。解決は、どこにあるか。1つ言えることは、宣教の使信を伝えるものの根底に日本文化の否定、西欧文化をよしとする態度があっては、伝道は難しいことである。なぜなら、福音という玄関に入ってもらう前に、門の前にある西欧文化というバリケードを越えてもらわねばならないからである。
井戸垣彰
井戸垣彰は『このくにで主に従うー日本人とキリストの福音』(いのちのことば社、1985年)のあとがきに「日本伝道において、福音と対決すべきものは『日本的なもの』そのものであることを発見した」と言っている。
本文を見ると、彼が「日本的なもの」と言っているものすべての根底には、日本人の集団性ということがある。特に「家」、また「イエ」の継続性(先祖代々の家)がそうである。
彼はさらに進んで、日本の会社も国家も、つまるところは「家」をモデルにしており、それは天皇制に集約されており、これらと対決するのが福音宣教の務めであると言う。こうして日本人の集団性の中心には、天皇制があるという立場を取っている。
つまり、天皇制が福音宣教の真の障害で、これと対決せねばどうにもならない、というのが彼の立場のようである。対決とは、義理とお返しでなく、心からの恵みの業としての贈り物を実践する。黙っていても分かってくれる集団を求めない。言葉を積極的に使う。ウチ、ソト、ヨソモノ的な区別でなく、愛による交わりを築く、などのことを述べている。
このようにして教会の中に「日本的なもの」を超克した交わりが、キリストの恵みによって成立する・・・。
彼の主張の要点は、以上のようである。日本宣教のために、天皇制との対決ということが前提とされているように見える。彼の主張は、いまでは定説となっている、日本文化の根っこに天皇制があって、それが日本の集団性の真の原因であるという観念をそっくり受け入れているように見える。
また、西欧文化(とくに個人主義)を福音の一部として受け入れているようで、伝統的キリスト教信仰のうちの、西欧文化の個人主義的な性格を、福音の本質的な一部であるとして受け取っているようである。だから日本文化は、福音に対して異質であるとされており、信仰者の成長とは「日本的なもの」からの脱却であるとする。
だから、宣教における文化のアレルギーをどうやって回避するか、という発想は彼にはない。日本人は西欧的なものにアレルギーを起こすから、それがいけない。天皇制と対決する気構えにより、アレルギーを克服し体質を改善する。それが日本人の生きる道であるとする。
井戸垣には、西欧文化と福音の境界などはないようで、両者は一体のままでよいとしている。むしろ、その一体性こそ、福音を純粋に受け入れている証拠であるとしているようである。彼は、その意味で伝統的な態度の典型であるといえよう。(なお、同氏は茨城で堅実で誠実な牧会をしておられた。著書を取り上げて批判的に分析するのは忸怩(じくじ)たる思いがするが、すでに著書として発表され、広く読まれていることでもあるので取り上げた)
日本人と日本文化
日本の社会は自国の独立を大切にし、自国の独自の文化を守ろうとする気持ちが強い。文化が深みを持っており、世界的な価値も豊かに持っており、余計に国民の愛着も深い。
日本の文化は、前に述べたように全体が緻密に組み合わされており、生活の全般に及んでいる。平均的な日本人は、日本文化がないと生きていけないのである。つまり、普通の日本人にとっては、日本文化は非常に「居心地」 がいい。
梁石日(ヤン・ソギル)が2002年に朝日新聞のあるコラムで言っていたことには、ニューヨーク周辺には30万人の韓国人が居住しているが、ほとんどが米国に永住を希望している。
それに反して、日本人は5万人だけ。ほとんど商用の出張者か研究者で、数年のうちに帰国する者ばかり。米国への永住希望者はほとんどいない。そのように言っている。この数字は我々が米国で暮らしたり、見聞きしての実感と合致する。
日本の人口が韓国の約3倍であることを考えると、この数字はかなりの衝撃を持っている。
これは一般の韓国人にとって、儒教の習俗や儒教倫理の支配する韓国文化はあまり居心地がよくないということかもしれない。韓国でキリスト教は広く迎えられているが、自国の文化に対する執着が薄く、そのためにキリスト教文化に対するアレルギーも少ないということであろうか。
また、2004年1月7日の朝日新聞の朝刊によれば、韓国では「遠征出産」といって、妊婦が米・加に行って出産するという例が増えているとのことである。生まれる子どもには、自動的に米・加などの国籍が取れるので、のちに家族としても米・加への移住が容易になる。それが2003年には7千件あった、という。
戦後に韓国は、漢字を大幅に廃止し、ハングルを多用することにした。その傾向はますます強くなり、25年前はまだ新聞の見出しなどは漢字が使用されていたが、どんどん減少しているようである。これも過去の文化に対して愛着が薄いということであろう。または愛着を持つべき過去の文学作品が無い、ということなのだろうか。朝鮮語の古典文学、古典思想書などで日本語に訳されているものはないし、英訳されているものもない。翻訳に耐える作品がないということだろう。
日本でも、戦後に過去の文化遺産が軍国主義と結びついているというので、漢字の制限が連合国総司令部より指導され、国語審議会では、それ以前からあった当用漢字が強調され、その前文には「将来においては漢字はこれを廃止し・・・」という方針が明白に打ち出されていた。また、難しい漢字のために、ルビを振ることも禁止された。やがて廃止すべきものであるから、読めないものを読ませる努力をする必要はなかったのである!
それがここ数年は、人名用の漢字から始まって徐々に制限漢字が「緩和」され、増大してきている。ついに朝日新聞では2003年3月の夕刊からルビ付きのコラムを始めるに至った。04年からは、本文中にもルビを振った記事を発見することがある。
また、2004年6月には、法務省の方針として人名用漢字として600余字が新しく加えられた。このような多量の人名用漢字の解禁は「漢字は将来廃止される・・・」という方針そのものが「廃止」されたことを示しているようである。
日本人にとっては漢字を廃止して、過去の文化遺産と断絶するなど、まったく考えられない。日本の文化や社会が、徐々に変化を示しているのは事実であるが、それは直ちに日本的なものを捨てる、という道ではないであろう。
明治維新の開国後に、日本は多くの俊秀を欧米に送った。北里研究所の志賀潔は赤痢菌を発見、そのため赤痢菌属は Shigella と命名されている。ノーベル賞候補になったが、アジア人に贈った前例はないというので見送られた。約120年前のことである。これらの人々はほとんどそのすべてが帰国し日本で活躍した。
幕末から開国にかけて、欧州や米国で学んだ日本人は欧米の繁栄に圧倒されたが、日本を脱出して外国で暮らそうとはしなかった。いずれも帰国して研究に教育にと励んだのである。戦前の例外といえば、パリで活躍した画家の藤田嗣治(つぐはる)とロックフェラー医学研究所で活躍した野口英世くらいであろうか。あとはタカジャスターゼ、アドレナリンを発見した高峰譲吉か。
現在、第三世界の問題として医師、学者の多くが自分の研究のために欧米に移住する。貧しい国の優秀な頭脳は流出して、さらに貧しくなっていく。日本には、それはなかった。
日本人は和風を好む。食べ物も、人間関係も、住居も職場環境もそうである。男は、和服を着た女性を世界で一番美しいと思う。そこに日本人としてのアイデンティティーが存在し、帰属感が存在する。日本人がそれらを「愛している」などと言えば、気障(きざ)で日本人は好まないだろう。「居心地がいい」くらいがピッタリである。
また、外の世界で研鑽(けんさん)を積んだ人間を大切にし、活躍の場を惜しみなく提供している、そういう社会なのだ、ともいえるだろう。日本は第三世界の中で頭脳流出が一番少ないのである。ごく貧しかったときでさえ、そうだったのだ。
小生も、大学院に13カ月いただけで修士論文のアウトラインを出して、口頭試問に通るとサッサと帰ってきて、日本で論文を書いて送った。アジア人でお前ほど早く帰るヤツはいない、とも言われた。38歳であったし、どうも米のメシと煎茶のない生活は毎日が拷問であった。いろんな水を買ってやってみたが、緑茶の味が出ない。やはり軟水でないとダメらしい。人によってこだわり方は違うだろうが、日本人がなかなか米国に居着かないことの貧しい一例かもしれない。
誤解のないように言わねばならないが、自分の国の文化に帰属感を持ったり、あるいはその反対に自国の文化を嫌悪し、外国で暮らす方を好んだりするのを、どちらが良いとか、悪いとか言うつもりはない。それはその個人の自由である。他人がとやかく言うことはない。
ここで言いたいのは、要するに日本人はコスモポリタンでないということである。また、自国の文化に対するこだわりが強い人種である。敗戦直後に、すべての日本人が乞食のような生活をしていたときでさえ、留学生のほとんどが帰国した。そのように、日本人は非コスモポリタンである。そういう日本人に宣教する、ということについて我々は考えているのである。
その際に日本人よ、もっとコスモポリタンになれ。これからはそれではダメだ、日本人はもっと変わらねばならない。そのように日本人を叱責して、その上で西欧的な味付けの福音を伝える。そういう伝道法もあるだろう。
それがうまく行けば、それでいいのである。それに立派に応えて堂々と日本人離れした人間になり、そこで福音を受け入れた人もあるだろう。それはそれで、その個人に対しては宣教が成功したのである。
ただ、日本の教会は、それを100年以上やってきたのであって、それがうまくいっていない。なぜなら、日本人というのは極めて少数の例外を除いて頑固な人間ばかり、どうにも仕方のない、国際性に欠けた人間ばかりなのである。
そこで、もう1つの選択肢として、日本人はそのままでいい、国際性がなくても、そのままでいいという伝道法はないものだろうか。日本人を変えようとせず、日本人はそのままで受け入れる。その上で、日本人クサい日本人にもピンと福音が来るように伝えるにはどうしたらよいか。それを分析し追究したいのである。これがここに述べている日本宣教論なのである。
このような日本であるから、当然、福音宣教において文化的摩擦が強いのは予期されることである。であるから「文化の着せ替え」を試みるにも厳密であることを要求される。日本とは、そのような国土である。先にも触れたが、日本におけるそのような試みは、世界の各地での宣教に大きな利益となるに違いないのである。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
ご注文は、全国のキリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
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