国体の本義
最もよく日本の神道ナショナリズムを表現しているのは、1937(昭和12)年の文部省編纂(へんさん)のこの書であろう。
当時の文部大臣は林銑十郎(せんじゅうろう)陸軍大将で、この人は陸軍大学の学長も務めた。その前年に総理大臣となったとき、神・儒・仏の三教をまとめて国教としようとして失敗し、その他の失政もあり、野党の反対で内閣は4カ月で辞職、次の内閣では文相を務めた、いわゆる皇道派の人間である。
『国体の本義』は、神がかりの日本主義を表現するまさに代表的なもので、これが発表されたのは軍部の圧力で天皇機関説が廃止になり、ちょうど天皇の神格化が推進された時期でもあった。
戸村政博の『神社問題とキリスト教』には、『国体の本義』のうちの「祭祀と道徳」の項の一部分が転載されている。それによると、次のような内容の文章である。
・日本国は、その起源において神国である。
・天皇は祭祀において天の神に奉仕し、祭祀において神と一体になる。
・神社は国家的存在であり、国民も神に奉仕するとき、天皇が皇祖皇宗に奉仕するところに帰一する。
・神社は国家的存在であり、教派神道とは違う。
・その故に、日本においては政治と祭祇と教育は、その根源において一致する。
・これが西洋の神話と違う点は、日本という国家と密接に結び付いていることである。
「我が国の神は、天や天国や彼岸や理念の世界における超越的な神の信仰ではなく・・・国家的であり、実際生活的である」(カギ括弧内は原文)(戸村政博、前掲書・本文26ページ)
これらの内容をいま見ると、まことに荒唐無稽としか言いようがないのであるが、ただこの『国体の本義』の中の最後のポイントは見逃がせないところである。それは西洋の神話とは違い、「超越的な神や、それに対する信仰」は意味してはいないと最後に断っているところである。つまり、神道イデオロギーは、非神話化されているのである。
確かにこの書は、日本民族と国家の優越性を主張し、神がかった用語を多用しているのは事実である。しかし、文部省には大変な知恵者がいたらしく、最後の章でチャッカリと神がかり的な言語が「非神話化」されているのである。このところは、見落とせない重要な点である。このところを読み落とすと、滑稽なことになるのではないか。
神道イデオロギーは、確かに1940~45(昭和15〜20)年にわたって荒れ狂った。
末端の教師や役人たちの中の言動の中には、激越を通り越して狂愚とでも言うものがあった。であるから、『国体の本義』の中に、このようなただし書きがあることを意識していた人はほとんどいなかっただろう。
小生は終戦が小学校の6年生であるが、配属将校の訓話など聞いていると、どの教師の話よりも漢語の形容詞がきらびやかであって感心したことを思い出す。「白髪三千丈」ではないが、漢語の表現には、人を巧みに酔わせるものがある。漢字の豊かなイメージと造語能力が現実を美化し、また現実から遊離、浮遊させる。
当時の小学校という世界で、子どもの目から見ても学校内で発言が活発なのは人格的に優れた教師というより、形容詞の使い方が上手で、誇張と激越の中にも、神代さながらの幽玄な表現なども絢(な)い交ぜてしゃべれるような教師たちだった。子どももそういう教師に対するときは、その種の用語を使わねばならないような雰囲気だった。
また「お国の役に立つ男子」というのは、そういう漢語使用アジテーターになれる、またいざというときには、静かに国のために死ねることだと思っていた。チョッピリと男に生まれて損したなどと思っていた。女は、戦争に行かなかったからである。
一方、悪童仲間や町内会のおじさんたちとは、「テンノウが便所でクソ垂れて・・・」の世界で、こっちの方がホントだと思う面もあった。もちろん、批判力などない、軍国少年クリスチャンであったのだが、形容詞の少ない、目立たない教師の方が好きだった。
D・C・ホルトムの報告をどう考えるか
彼は、やはり時代の制約の中にある。西欧世界による有色人種世界の支配、また搾取の体制を容認している。その意味でD・C・ホルトムには、有色人種に対する加害者性の自覚などはまったく欠如している。
天皇の神格化が強行されたのは、天皇機関説が排除されて以後、つまり1935~45(昭和10〜20)年の10年間である。この時代はいわば日本が最も自暴自棄的な態度を取っていた段階である。その時代の文献で、英訳されたもののみから論じている。
だから、彼の論議の中には、明治年間における政府の神道政策の揺れ、また天皇機関説の長期間の継続などに関する記述などは不在である。印刷された言葉を寄せ集めて文章を作るのは、誰でもできる。それらの発言や言葉の歴史的な背景と、成立事情を考えなければ価値は少ない。
ごく不用意にではあるが、「神社は結婚式をし、葬式を行い・・・」などと述べ、神社神道の現実について無知であったことを暴露している部分もある。もちろん、『国体の本義』中の「西洋的な超越的な神のことを主張しているのではなく・・・」というような非神話化的な文節も見落としている。これは読み落としたのか、それとも自分の頭の中のスキームに合致しないので気付かなかったのだろう。
ホルトムの著書は、戦争のさなかに外国人が書いたものである。日本人と対話や討論をしながら書かれたのではないであろう。不正確、不的確、資料の偏りなどはあって当然である。あまりキツい点をつけるのは不親切というものである。
もちろん、一番大きな問題は西欧によるアジア・アフリカ支配は断罪せず、日本による支配のみを断罪している点である。アジアには、すでに西欧の支配を拒絶し、アジア人の尊厳を主張する動きが、ガンジーをはじめとして盛り上がりつつあった。
ホルトムも、時代の子である。我々の思考は、大なり小なり自分の属する時代の思潮により影響され制限される。誰もそれらを越えることはできない。だから、ホルトムが西欧によるアジア支配について疑問を差し挟んでないことを責められない。
しかし問題は、戦後70年を過ぎても、日本のキリスト教界の神道イデオロギーに関する論議がホルトムのそれを越えていないように見えることである。これは大問題である。一般に日本のキリスト教界は、日本社会の体質の分析がおざなりであり、またアジアについての世界史的な把握が無い。だから、外国人が70年前に行った不十分な分析を越えていないのだ。日本の福音宣教の不毛の一因は、ここにも露呈しているような気がする。
日本は、生存のために戦った。座して西欧の奴隷となることは、日本人のプライドが許さず、むしろ戦って死ぬことを選ぼうとした。そのような戦いのため、民心の統一と鼓舞のために神道イデオロギーを使用したのである。
神道イデオロギーが、いかに噴飯ものであったとしても、それはむしろキリスト教の悪徳が呼び起こした悲しい工夫であった、と言った方が正しいのではないか。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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