死後儀礼のない宗教
葬儀もなくて、死後儀礼のない宗教というものがあり得るのか。宗教学的に見て、これでは宗教としての要件を備えているとは言い難い。
確かにキリスト教徒は、軍部の意を受けた警察権力により迫害された。そこで使われた論理は国家神道のそれであり、その圧迫はかなりのものであった。しかし、この迫害はあくまで神道から出てきたものではない。もっぱら軍部からのものであり、戦争の継続を正当づけるために神道イデオロギーが使われたにすぎないのである。神社の神職が積極的に迫害に関わった、などということはなかった。神社神道はそれだけの宗教的エネルギーを持ってはいなかった。神道は、どう見ても宗教としての十分な要件を備えた存在ではなかった。
神社神道について論じるとき、キリスト教側からはこの点、葬儀権の不在の分析や発言はあまりないようである。これは、実は看過できない重要な点のように思う。これでは事実上、神社神道の側からの降伏宣言である。「葬儀と死後儀礼を欠く宗教」などとは、それ自体の中に矛盾を孕(はら)んでいると思う。
神社神道という「宗教」は葬送については、これをまったく他の宗教に頼っていた。そのような彼らには排他的真理の主張などあり得ず、優越性の主張も不在である。死後の世界についての主張や思想を捨てたということは、形而上の事柄は放棄したということでもある。徳川時代の神社のほうが、まだ離壇運動を展開し「葬儀権」を獲得しようとする「宗教エネルギー」を持っていた。もう国家神道には、それは皆無だった。
これは神道イデオロギーなるものを考えるとき、かなり重要な要素のように思う。政府は神道の非宗教論を律義に守り、葬儀なしの線は崩さなかったことが分かる。なお、戸村政博編の『神社問題とキリスト教』は重要法案、諸通達、宗教法関係の国会委員会議事録、キリスト教会の刊行物中の神社関係の記事などが網羅されており、貴重な資料であるが、神社神道と葬儀という点についての論議の記述はない。キリスト教側からも、神道側からも、これについての発言の記録がないのは不思議である。どうしてだろうか。そういう議論はなかったのか、それとも省略したのか、誰か研究してほしいものである。
復古神道の祖である平田篤胤(あつたね)はどうか。平田には超自然や、死後の世界について並々ならぬ興味があるので、臨死体験や神隠しのようなものを調べ、体験者を取材し、聞き書きを作っている。そうして神葬も考えたという。このように、復古神道には宗教としての活力がある。(自分は平田篤胤を直接読んだわけでなく、折口信夫全集中の平田篤胤についての論文による)
明治政府の国家神道は、大筋は平田派神道を取ったが、また多くのものを捨てた。捨てた中には形而上的なものがあり、また葬儀を備えた「十分な宗教」への方向性も捨てたことが分かる。
葬儀がないことは、このように神道の長年の伝統である。だいたい現在の日本でも、新興宗教は創価学会を除いては葬儀と公式の死後儀礼は寺院の領域であるとして、自分たちが葬儀と死後儀礼を持っていない。そうして、そのことの奇妙さに気が付かず、また疑ってもいない。
キリスト教の側から国家神道について論じるときに、いかに軍部が横暴だったかがしばしば述べられるが、葬儀に問する点はだいたい触れられていない。これは国家神道の脆弱(ぜいじゃく)性の問題を含む非常に重大なポイントである。それにまったく触れないのはおかしい。まさか、その重大さに気が付いていないということではあるまいが。もしかしたら、そうなのかもしれない。
人工宗教としての神道
明治政府が考え出した神社神道は、人工宗教である。それも政府がいじり、こねまわして作った奇形である。明治政府の手垢と指紋がベタベタ付いている、まったく奇妙な代物である。
この時、日本は近代国家として存在を始めようとしていた。日本が取ろうとしていた航路には、危険が満ちていた。非白人国家のうち、アフリカはすべて植民地となっており、アジアはタイと日本を除いてすべてが白人のために国を奪われ、植民地となっていた。西欧人の奉ずるキリスト教はカトリック、プロテスタントを問わず、欧米の列強による植民政策を既存の秩序として受け入れていた。有色人種側からの、この秩序に対する反逆的行為は容赦なく弾圧された。
アジア・アフリカにわたって存在していたこの既存の秩序は、日本にとっては悪であり、受け入れられぬものであった。西欧の奴隷となって便々と生きることはプライドが許さず、これには、生命を賭けて刃向かわねばならない。その既存の秩序のまさに中心にあったものは、キリスト教であった。またキリスト教国からすれば、日本の態度はまさに神の秩序への反逆であった。
アジアから見て、また誇り高い日本から見て、キリスト教という宗教の道徳的な低劣さは目を覆うものがあった。それに比べれば、神道はずっと道徳的である・・・それが日本人の偽らざる認識であった。日本では、維新までに宗教戦争は300年ほど起こっていなかったのである。
D・C・ホルトム
連合国司令部(GHQ)は1945(昭和20)年の日本占領に当たって、太平洋戦争の原因は神道ナショナリズムのイデオロギーであった、とした。そのイデオロギーが日本を神国とし、日本が他国に優越するとの観念を鼓吹した。その邪悪なイデオロギーが戦争の原因であったとした。アメリカ人は、常に明快な答えを求める。あらゆる問題には単純で明快な原因があり、また単純な解答があると考える。(これはもうほとんど病気と言ってよい)
そうして「国家神道指令」を出して、神社神道を「国教」の地位から引き下ろし、これで日本は平和国家になる、とした。
ハーグ陸戦条約(1899年)によれば、戦勝国は占領地の人民の財産に手を付けてはならず、また宗教についても、これに触れてはならないとしている。敗戦国ドイツについては、国教のルーテル教会については、ほとんど何等の干渉も行われなかった。もちろん、キリスト教国同志のことであるので、日本とは同列には論じられぬことは当然であるが。
連合国側から見れば、日本の国家神道というものは他に例を見ないほど邪悪な宗教であり、総司令部は神道だけは例外であるとして、この施策を発表した。
その施策を実行するに当たって、基礎となったのはD・C・ホルトムによる、Modern Japan And Shinto Nationalism で、これは戦争中の1942(昭和17)年にアメリカで出版された。日本語訳は1950(昭和25)年に『天皇と神道と日本』(D・C・ホルトム、深沢長太郎訳、逍遥書院)という題で出されている。この本は、日本の占領政策の基本を形成したものであって、その意味でも重要な著書である。
彼は日本側の資料で英訳され出版されたものを丹念に拾って、近代日本における国粋主義と神社神道との関係を論じている。この書は、主として昭和期の日本政府や要人の発言をよくまとめてある。
ホルトムの著書の内容はだいたい以下のようなものである。
2千年前の原始的な宗数的概念が復活して生きているのが近代日本である。神社神道は、「陸軍、文部省、神社」の3つによって保持されている。日本の体勢は、祭政一致という言葉によって表現されている。それによれば、日本の天皇は神的な起源を持っており、王朝の交代がなく、1つの家系が続いている。それは、日本の天皇の神聖さの証拠である。この神聖な天皇によって統治される日本は神国である。
この神国は海外に進出をする。それは神道が、それ自体で国際的な価値を持っているからであり、八紘一宇の精神こそそれである。天皇の親政による皇恩には、他国の人民も浴すべきである。であるから、天皇のために戦う皇軍は、天皇の御心の実行者、国のために戦った死者は神と化す。
ホルトムはさらに、日本は神国、天皇は神、アジアを日本が統治すればアジアの幸福。このような思想が神道的な国家主義、日本国至上主義を構成している、と言う。また、ホルトムによれば、神道の中心的な教義は、日本国の優越性であり、その真理は日本のみならず周囲の国々に及ぶ。こうして近隣の諸国を軍事的に征服し、天皇の領土とするとき、それは成就する。軍部は、国家神道の理想実現の媒体とされている、とも説明している。
国家神道を監督し、また普及させるために手の込んださまざまの施策が行われ、彼の見るところ日本国の全体が神道の教会と化しており、祭祀と政治と教育は1つとされている。ベージル・ホール・チェンバレンによると、これは「新たなる宗教の発明」である。しかし、ホルトムは違う、と考える。彼は、国家神道は新しい宗教ではなく、仏教によって腐蝕される以前の「黄金時代の神道」であり、その復活であると考える。
ホルトムは、主として1935(昭和10)年以後の日本政府の発言や、刊行物などの英訳された物を資料として論じている。それは日本近代の天皇神格化の、最も極まった時期の宣伝文書である。
また、この時期は珍しく、日本政府が自分の外交政策について英語で多くの論文を発表していた時である。太平洋戦争の直前であり、日本が諸外国の理解を取り付けようと躍起になっていた時期でもある。その意味で日本について調べようとする外国人にとって、英語の資料が珍しく豊富な期間なのである。中でも彼は、『国体の本義』を最もよく引用している。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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