兄弟愛をいつも持っていなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。(ヘブル13:1、2)
私は牧師として献身してから、ずっと経済的な窮乏に苦しめられていました。お金が足りなければアルバイトをすればいいのですが、そのような発想がなく、食べるのにも事欠くこともあるような状態でした。
そういう状況にあるときに、米国のチャーチーズ・アライブから特別留学生に選んでいただき、4カ月の研修を受けることになりました。米国の宣教団体が旅費、生活費を応援してくれました。
カリフォルニアの教会を拠点として実地研修を受けながら、各地で開催されるセミナーを受講しました。セミナー参加費、旅費などを一切心配することなく研修に専念できるということは、夢のような体験でした。
お世話になっていたホストファミリーとはとても親しくなることができ、まるで本当の身内のようなお付き合いをずっと続けさせていただいています。ある晩、日本に帰国してからの生活を心配して落ち込んでいる私に気付いて、そこのご主人が「どうしたのですか、何か悩みがあるのですか」と話し掛けてきました。
私が自分の置かれている現状を正直に話したところ、「私たちは主にある兄弟です。あなたの悩みや重荷は私たちの祈りの課題であり、私たちの重荷でもあります。どうしても難しいときは、この家を売ってでもあなたを支えます」と言ってくださいました。そこまで言ってくださる人に出会ったことがありませんでしたので、涙が止まりませんでした。
米国での研修がすべて終了したときに、お世話になった教会の牧師がマネーツリーパーティーをやろうと提案してくれました。教会のホールの中央に枝のついた枯れ木を立てます。食事は持ち寄り式(pot luck)でいろいろな料理が鍋ごと運ばれてきます。ケーキや飲み物も用意されました。
150人ほどの参加者でしたが、楽しく談笑しながら、枯れ木にお札や小切手をくくり付けていきます。パーティーの最後に「日本での生活に生かしなさい」とプレゼントしてくれました。そして、こう付け加えたのです。「日本で困難な状況に直面したら、いつでもマネーツリーパーティーを思い出してください。そして、私たちに支援を呼び掛けてください。いつでも応援します」と言って送り出してくれました。
日本に帰ってから弟子訓練の学びを実践していく中で、1人の若者が主に導かれ、洗礼を受けました。その人のおじいさんは仏教のお坊さんでした。その奥さんがある時教会を訪れ、「孫がお世話になっているからあいさつに来ました。教会を見せてください」とおっしゃいました。
ちょうど祈祷会をしているときでしたので、そのまま参加してくださいました。その時の祈りの課題の1つが教会の屋上に十字架を立てるということでしたので、その費用を与えてくださいと祈りました。
祈り会が終わったとき、その住職の奥さんは手に10万円を持っておられました。「自分の墓を買おうと思って手付金を持っていたのですが、墓はまだ後でいいですから、このお金を十字架建設に用いてください」と差し出されたのです。その行動力に敬服し、その姿勢を学びたいと思いました。
これは私の高校時代の友人から聞いた話です。その人のおじいさんはとても優しい心の持ち主だったようです。りっぱな着物を着て出掛けても、帰りはふんどし一つで帰ってきたそうです。家族が驚いて、「どうしたの」と尋ねますと、「裸の浮浪者かいたから、着せてあげてきた」と笑っていたそうです。
私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。もし、兄弟または姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。(ヤコブ2:14~16)
本来、この日本列島に住む人々は、分かち合いの精神があり、助け合って暮らしてきたと思います。特に縄文時代には、飢えで亡くなるということは少なかったようです。助け合う気持ちがあったから、世界で一番歴史のある国家といわれているのかもしれません。ここに分かち合いの福音信仰が加われば、素晴らしい働きが実現すると信じます。
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