お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦(ゆる)してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ4:32)
今年は明治維新から150年目、西南戦争から140年目になるということで、鹿児島ではいろいろな行事が盛り上がっているようです。昨年の秋、天台宗の僧侶や学識経験者が中心になり、鹿児島市の南洲公園に官軍と薩摩軍を弔う慰霊塔が建立されました。明治政府には鹿児島の出身者も多かったため、親子や兄弟、友人同士が敵と味方に別れて激戦を繰り広げました。地元には深い遺恨が残ったといわれます。
政府側の代表は大久保利通であり、薩摩側の総大将は西郷隆盛ですが、竹馬の友として幼少期を共に過ごした2人です。
この慰霊塔の前で大久保利通の曾孫と西郷隆盛の曾孫が固い握手を交わし、和解のムードを盛り上げました。西郷さんの曾孫の一人、西郷隆夫氏は「敵と味方といっても、元は同志です。共に日本を良くするとの強い思いを抱いていました。西郷は敵を許す大切さを教えてくれました。そんな先人たちに感謝し、命の尊さを訴えていきたいです」と語っておられました。
ところが、「西南之役官軍薩軍恩讐(おんしゅう)を越えての会」が大久保利通公没後140年法楽を命日に近い日に慰霊塔の前で行おうとしていたところ、大久保利通をまだ許せないという一部の人が反対運動を起こします。同じ敷地内で反対派の集会が行われている中で法要の準備は進められていました。
そのような状況下で行われた式典でしたが、出席されていた大久保さんの子孫、大久保洋子さんの言葉に私は感銘を受けました。「羽田空港を出発するときから、鹿児島で反対運動があるのは聞いていました。率直な印象は、鹿児島にはまだパワーがあるということです。歴史的な出来事や気持ちの行き違いのために反感があるのは当然です。憎んだり、恨んだりするよりも、悲しいのは無関心です。関心を持って反対していただいた方がうれしいです」
「赦す」ということは、決して憎しみの対象を忘却のかなたに追いやり、自分の記憶の中から消し去ることではないということです。「愛の反対語は憎しみではなく、無関心」ということを聞いたことがあります。大久保利通公法楽の反対運動をしていた方々は、その存在意義の大きさを認めているのではないかと思います。
薩摩の近代史を研究している原口泉さんから、とても興味深い話を聞きました。「西郷隆盛の人生の中で精神的に一番満たされていたのは島流しされた奄美ではなかったかと思います。愛加那に出会い、結婚し、子どもも与えられ、家も建てています。人に愛される喜びを味わい、平穏な日々を過ごしていました。薩摩から呼び戻しがあったとき1回は断っています。もう二度と政界のトラブルに巻き込まれたくない思いもあったでしょう。あのまま奄美の生活を続けていたら、泉重千代さんみたいに最高齢になったかもしれないのに、51歳で命を落とすことになりました」
人生脚本という言葉がありますが、平穏で何も問題のない一生を送るという方は、ほとんどいないのではないかと思います。社会の変革による影響、取引先の対応による経営悪化、社会的いじめによる苦しみなど、予期せぬ苦難が待ち受けていることがあります。その中でも耐えがたいのは、竹馬の友との決別、親子の断絶、愛し合っていたはずの夫婦の不仲などではないでしょうか。
一番信頼し、心を許していた人との離反というのは、心に大きな傷を残します。行き違いになってしまった人が和解し、関係を回復していくというのは至難の業です。しかし、キリストは「人にはできないことが、神にはできるのです」(ルカ福音書18:27)と教えておられます。
キリストが十字架にかかられたのは、神と人との和解のためでしたが、人と人の和解にも有効なのです。神に赦された者に与えられている使命は、和解の使者として、社会のあらゆる場面において和解を勧めていくことです。
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。(2コリント5:18、19)
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