しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1:8)
世界のキリスト教について語るときに、カトリック教会とプロテスタント教会に分けられると多くの人は思っています。しかし、プロテスタント教会は宗教改革の時に起きた分派であり、カトリックの支流と考えることもできます。
キリスト教は東方教会と西方教会に大別してもいいのではないかと思います。原始キリスト教はローマ帝国の文化の影響を受け、ユダヤ教の色彩を薄めながらヨーロッパ経由で伝播するカトリックを主流とする西方教会があります。また、ネストリウス派のようにアジアに伝播していく古代東方教会があります。東方教会は西方教会に比べて原始キリスト教の要素が残り、ユダヤ教の色彩も見られます。ザビエルよりも1千年も前に日本に渡ってきたといわれる景教徒は東方教会に所属しています。
学生時代の歴史の授業では、人類の世界的な交流は中世の大航海時代に始まると習ったように記憶しています。しかし、古代人は私たちの想像を超えた技術と文化を持ち、世界規模で交流していたのではないかと考えられる可能性があります。
米国のオレゴン州の洞窟で1万4500年前の糞石の化石が見つかり、オレゴン大学がDNAの抽出に成功したというニュースを見ました。そして、驚いたことに日本の縄文人のものであることが分かったというのです。また、同じ洞窟から草鞋300足も見つかっています。乾燥した特別の場所だったから保存されていたのだと思います。アメリカ大陸に初めて到達したのは縄文人というから驚きます。海流や季節風などを利用し、時間をかければ決して不可能な移動ではないと海洋学者が分析していました。
縄文土器が南太平洋の島々や南米大陸からも発掘されている事実は、太平洋の還流を利用した移動が大昔から試みられていたことの証明ではないでしょうか。縄文人は優れた航海術を持ち、冒険心に富んでいたのではないかと思います。
そのような航海術を持つ縄文人であれば、インド洋を経て、中東にまで到達していても不思議ではありません。縄文の土偶や勾玉とそっくりなものが中東やヨーロッパで発掘されています。
日本と中東との大きな接点は少なくとも3回はあると私は思います。1回目はメソポタミア文明の前哨といわれるシュメール文明とのつながりです。2回目はイスラエルのアッシリア捕囚の時の10部族の一部との関わりです。3回目はAD70年のエルサレム陥落の時にユダヤ人たちが東に逃れ、秦氏に合流し、日本に大挙してやってきたときです。
壮大な歴史物語に思いを馳せるとき、日本とイスラエルは決して無縁ではないという話のきっかけになります。また、歴史の流れと聖書の物語を並べて語ることで説得力も出てきます。
クリスチャンの中には、仏教は線香臭くて嫌だという人もいらっしゃいますが、逆にキリスト教はバター臭くていやだという日本人もいます。そういう方々には、古代東方教会との関わりを話すと親近感を持たれるかもしれません。
実際、日本の神道とシュメール文明との関わりは大変興味深いですし、また、仏教が景教から受けた影響はとても大きいといえます。福岡に日本で最初に建てられたという神社がありますが、2本の石柱があります。また、秦氏が建てたといわれる宇佐八幡神社の入り口にも2本の石柱がありますが、これはユダヤの神殿と同じつくりです。
聖書の中に「地の果てにまで証人となりなさい」というメッセージがあるのを見て、聖書を学び始めた頃は「地の果て」とは地中海世界全域のことだろうと思っていました。しかし、原始キリスト教徒たちの痕跡は、シリヤ、イラン、インド、中国、日本などシルクロードに沿って残っているのです。
景教の経典「世尊布施論」には「山上の垂訓」も含まれていますが、一見すると仏教のように経典に見受けられます。世尊とは釈迦ではなく、イエス・キリストのことです。この書は日本で読まれ、写本が西本願寺に保存されているともいわれます。また、中国語の聖書も普及していて仏教の経典だと思われていたようです。明治維新の立役者、西郷隆盛も愛読していたといわれます。鹿児島市の西郷南洲顕彰館には当時の中国語の聖書が展示されています。
西方教会ルートの話に抵抗される方々には、古代東方キリスト教徒の活躍やその痕跡を話題にすることでアプローチできるのではないかと思います。景教を学ぶことは日本への宣教のカギになります。神が選び、祝福してくださる地、日本の国に福音を届けるためにあらゆる可能性を試さなければなりません。
私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(Ⅱコリント6:1、2)
※古代日本とユダヤ人との関係に関する本コラムの内容は、あくまでも筆者の個人的な見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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