「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです」(Ⅰコリント4:5)
歴史(history)とはヒズ・ストーリー、すなわち神の物語だという話を聞いたことがあります。歴史を通して、人生の教訓や神が与えてくださる励ましのメッセージを受け取ることができます。
紀元前597年に、南王国ユダはバビロニアに滅ぼされ、バビロン捕囚が始まります。捕虜の身となったユダヤ人たちは、ほとんどの私物を持つことは許されませんでしたが、トーラースクロール(律法の巻物)だけは身に付けて持っていきます。
バビロニアの地で奴隷として生きていかなければならないとき、彼らが頼るべきは天におられる父なる神しかありませんでした。安息日が来ても、今までのように神殿に行くこともできず、宗教施設もありませんので、集まれる所で1つになり、ひたすら律法の書を読み、祈っていました。
バビロニアには、ハンムラビ法典があり、ギルガメシュ叙事詩のような資料もありました。図書館も充実していたといわれる環境の中で彼らは刺激を受け、旧約聖書の編さんに取り組むようになります。
今日の社会で宣教に取り組む私たちにも大きな示唆が与えられます。会堂がないとか、集会場所を確定できないとか、置かれている状況が厳しいというような言い訳は必要ないのです。とにかく集まれる所で1つになり、聖書を読み、祈り、パンを割き、ブドウの実から作ったものに共にあずかるだけで十分なのです。
エルサレムとその周辺地域では、考古学の発掘が続けられていますが、最近とても興味深いものが発見されました。紀元前600年ごろの民家が複数発掘されたのです。王族や神官のものではなく、一般民衆の住居跡は珍しいといわれます。その住居跡に家庭祭壇らしきものがあったといわれます。ところが、その祭壇からカナンの土着宗教で用いられていた指先ほどの小さな豊穣の女神像が出てきたそうです。
南王国ユダは、エルサレムの神殿を中心に栄えた宗教国家でした。ユダヤ教の年中行事はもちろんのこと、安息日も厳格に守られていました。そして、家庭の中でも家庭祭壇を守り、ユダヤ教徒としての規律を守っていました。申し分のない正統派のユダヤ教徒のはずでした。しかし、家庭祭壇の片隅にカナンの偶像を隠し、密かに拝んでいたのです。
主なる神は、約束の国に入ろうとするユダヤ人に土着の宗教を聖絶し、一切の関わりを断つように命じられました。カナンの豊穣の女神は、宗教行為の中で姦淫をはびこらせ、道徳を麻痺させ、人々を堕落させていました。主なる神はこの偶像礼拝を憎み、このような宗教行為を嫌われたのです。
「主は聖なる神であり、ねたむ神である。あなたがたのそむきも、罪も赦(ゆる)さないからである。もしあなたがたが主を捨てて、外国の神々に仕えるなら、あなたがたをしあわせにして後も、主はもう一度あなたがたにわざわいを下し、あなたがたを滅ぼし尽くす」(ヨシュア記24:19、20)
南王国ユダの人々の中にあった隠れた罪を、主なる神は見逃がされませんでした。たとえ人目につかない小さな偶像であっても、神は赦されないのです。しかし、すべてを失ったユダヤ人は、異国の地で魂が清められ、霊的に覚醒します。彼らはこの試練を経て旧約聖書の編さん事業や神殿の再建に取り組んでいくのです。
たとえ火のような試練が押し寄せ、いわれなき誹謗中傷に苦しめられることがあったとしても、主なる神は私たちを清め、さらなる高みに導こうとしておられるのです。どんな時にも、主なる神は私たちを愛し、大切に取り扱い、守り支えてくださるのです。
「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」(Ⅰペテロ5:6、7)
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