世界的な名説教者、故スティーブン・オルフォード氏の説教に学ぼうと開催されている「オルフォード講解説教セミナー」が12日から15日まで、大阪府八尾市のグレース宣教会GMセンターで開催された。「講解説教と霊的成長」をテーマにした今回は8回目の開催で、教職者約60人が参加。オルフォード氏の息子で、米スティーブン・オルフォード説教研究センター総裁のデビッド・オルフォード博士と、同センター教授のテッド・レンドル博士が来日講演した。
以下に、セミナーに参加した新川代利子氏(ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会副牧師)によるレポートを掲載する。
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「私たちはこのキリストを宣(の)べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています。すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです」(コロサイ1:28)
講解説教によって、教会とキリスト者個々人、また説教者自身が霊的に成熟することは、神に仕える者の基本的な関心事です。これを学び、成長しようという熱心さが自分にどれくらい燃えているかを聖霊に探っていただいたのが、今回のセミナーでした。主イエスを信じて真に生まれ変わった者は、霊的に成長します。信仰が成熟し、キリスト者の性質が聖なるものに育っていくための聖書的知識に成熟していくと、キリストを分かち合うことが最高の喜びとなります。説教に応答せざるを得なくなり、具体的に信仰の実が結ばれていきます。
「成熟した者」は、「成人」「完全な者」とも訳されています。教会が成熟すると、社会にインパクトを与えることができ、社会に変革が起こります。キリストを信じる一人一人が成熟すると、霊の実が結ばれ、世にあってキリストの良き証人になります。しかし教会が、そしてキリスト者が成熟するには、そのための力が必要です。その力は神の力です。その力は、説教者を通して聴く者たちに及びます。ですから、説教者自らが取り次ぐメッセージを備えていく過程において、まずその聖書のテキストを生きること、聖霊にその御言葉を自分の生涯の中で用いていただくことで、聴く者たちへのモデルとならなければなりません。
実際にメッセージを語る前に少なくとも1週間あれば、説教者は備えてきたそのメッセージを生きることができます。自ら説教を生きた者として、すなわち御言葉の実証済みの者として語れます。聖霊の油注ぎを受けた者として講壇に立つとは、そのことを意味します。
デビッド・オルフォード師は「霊的成長を励ます:聖書的モデル」と題して講義され、キリスト者の真の成長の可能性と成長の追求、およびその成長の展望を語りました。「霊的成長、または成熟への関心は、説教者自身のためでもあるのです」との結論が印象的でした。
続いて「教会のダイナミックス:生活とミニストリーの刷新」の講義では、神がその教会のために持っている目的は、神を完全に経験することであると示し、説教者自らが神に満たされてクリスチャン生活を送り、それを人々に手渡していくことこそ、神の計画であると語りました。どれほど真剣に、神に満たしていただきたいと願っているかと、受講者は深く心の内を探られました。
「人生の変革をもたらす説教」においては、変革のゴールはキリストの似姿であることを確認し、変革を妨げるものへの注意を促し、特に説教者自身が御言葉に応答する必要があると迫りました。
続いて説教準備の実際的な手順が語られ、ハガイ書2章1〜9節をテキストとして取り上げ、ワークシートに基づいて実習がなされました。さらに、説教を批判するときの質問が紹介され、あらためて自分が取り次ぐ説教の見直しの必要を感じさせられました。それと同時に、神の恵みは、キリスト者の生涯とキリスト者の共同体を通して現されていくものであることを学び、謙遜であることがいかに成熟に向かう上で重要であるかを、心に新しく留めました。
テッド・レンドル師は、「霊的成熟のためのミニストリー」「聖なる道を歩む」「霊的成長における聖霊の役割」「信頼して従いなさい」「リバイバル:あなたはリバイバルのどこにいますか?」「今日の世界におけるクリスチャンの証し」の7回にわたる講義をしてくださいました。3番目のセッションは会場教会の水曜日の祈祷会と合流になり、多くの兄弟姉妹たちも恵みに共にあずかり、心篤(あつ)く祈りました。
成熟に関しては、神の真理を理解する点において、霊的固い食物を食べる能力において、モラルの感覚を働かせる点において、自分の舌をコントロールする点において、神の御心に従うことにおいて、召命を求めることにおいて、そして忍耐を働かせた結果として成熟していなければならないことを心に留めました。特に、レンドル師が長く勤められたカナダのプレーリー聖書学院において起こったリバイバルの話は、受講者一同を、リバイバルをひたすら求める篤い祈りに駆り立てていきました。
故スティーブン・オルフォード師の力強い講義は、DVDを通してなされました。最初の講義において、「私たちは自分が家で実践していること以外を講壇から語ることは許されていない」との言葉に、説教者の日々の生き方が問われ、襟を正す思いにさせられました。聖霊の油注ぎをいただく説教をしたいならば、主イエスがなさったように、聖なる生活をすること、明け渡した生活をすること、祈りにあふれた生活をすることを強調していました。説教原稿が出来上がったら、神の御前でその説教を見直し、その説教に向き合い、説教のリハーサルをすることを勧めていました。説教者自らの生活に関連付けること、すなわち説教が説教者に受肉することなしに、その説教を会衆に語ることはできないと教えられ、厳かな思いになりました。
ある大きなクルセードで、オルフォード師が説教の御用に当たる直前に電話が入り、お父様が危篤の中から「御言葉を宣べ伝えなさい。御言葉を宣べ伝えなさい。御言葉を宣べ伝えなさい」と、最後の力を振り絞って3度励ましの言葉を送った話をされました。オルフォード師はこの励ましの言葉で御用に立つことができ、翌日お父様の葬儀のために帰国したと聞き、深い感動を覚えました。説教者の務めは何と厳かであり、喜びでありましょう!
最後には「聖霊に満たされた説教が、神の栄光のために、魂の救いのために、また聖徒たちを立て上げるためにインパクトを持っているのだということを、人々が感じることができますように」という祈りで締めくくられ、参加者全員が心からアーメンと応答。このようなセミナーに集えたことを神に感謝するとともに、次回のセミナーへの期待があふれました。