説教塾開設30周年記念公開プログラム「日本の伝道を切り拓(ひら)く説教」が23日、キリスト品川教会(東京都品川区)で開催された。会場には信徒も多く集い、遠くから飛行機で駆けつけた参加者も何人かいた。
1時間のミサの中で聖体拝領や説教が全体の典礼の流れとして整えられたカトリックと違い、プロテスタントは礼拝の中で説教が大きな比重を持つ。そのため牧師に求められるものも大きく、説教によって礼拝が失望に終わるリスクも大きい。だからこそ、自分の説教を他の牧師に批評してもらうことで少しでもレベルを向上させようとする真摯(しんし)さが、この説教塾にはある。
まず午前に持たれた公開シンポジウムでは、安井聖(きよし)氏(日本ホーリネス教団西落合キリスト教会牧師)が司会を務め、「伝道できる説教とは」というテーマで4人のパネリストが意見を交わした。信徒代表として吉崎恵子氏(日本FEBCメインパーソナリティー)とデビット・ゾペティ氏(小説家)、神学生の森本玄洋(としひろ)氏(東京神学大学)、そして牧師として瀬谷寛(せや・ひろし)氏(日本基督教団仙台東一番丁教会)が壇上に並んだ。
吉崎氏は、自身のラジオ番組のリスナーから届けられる毎月300通もの手紙やメールを48年間にわたって読み続けてきた中から、ある男性の1年にわたる求道の様子を紹介した。その人は失意の中で勇気を出して教会に行ったが、説教を聴いてがっかりしたと綴(つづ)っていた。ただ吉崎氏には、2千年前の主イエスが今、共にいて私を愛してくださっていると迫ってくる経験が何度もあったという。それは、説教の語り手の中に主イエスが生き生きと生きていると感じられる時だ。だからこそ、その語り手を通して主イエスが私たちに語り掛けてくださるような説教を、毎回、待ち望んでいると話した。
ゾペティ氏は『いちげんさん』で1996年にすばる文学賞を受賞した、日本語で小説を書くスイス出身の作家。約10年前から、説教塾全国委員長である平野克己氏の牧会する日本基督教団代田教会の礼拝に通う。
これまでさまざまな教会で多くの牧師の説教を聴いてきて、「上から目線」の説教が多いと感じたと語る。逆に、共に罪ある人間として神様の前にひざまずいていることがその態度や言葉遣いから伝わってくると、非常に親しみが湧き、説教に感情移入しやすくなる。それだけでなく、言葉を超えた聖なる、豊かな、美しい空間に巻き込まれ、愛のシャワーを浴びている感覚を味わうこともある。理屈抜きに神様の恵み、キリストの愛を新鮮に体感でき、心の不安と混乱が収まり、魂が癒やされて大きく勇気づけられる空間。何かが起ころうとしている気配が感じられる空間。そういう空気の震えのない説教は、信徒の自分にとっては味気ない、無味乾燥なものと感じられる。その空間を求めて毎週、教会に集っているという。
森本氏は、ドストエフスキーなどキリスト教文学を通して、その作品の書かれた背景にある精神性や情熱を受け止めたと話した。これらの作者が、信仰や神様、キリストを大事にし、慕わしいものと思っているという精神性だ。それはまさに聖書自体がそうであり、例えば「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます」(1ヨハネ1:1)というのは、神様を非常に近くに感じている言葉。その後、森本氏は自身に解決できない問題が起こった時、こういう優れた精神性を生み出せる神様が一番信用できると思って祈り始め、教会に通うようになり、洗礼を受けた。こういう精神性や喜びを持った説教こそ、人に伝わり、その心を動かすのではないかと訴え掛けた。
瀬谷氏は、伝道するとは、礼拝の中でイエス様との出会いを一緒に体験していくことではないかと言う。どれだけ主イエスのお姿を鮮やかに描き出すか、それはすなわち、聖書の言葉を通して主御自身が人々と出会おうとされているのを邪魔しないようにすること。イエス様に出会いたいと思っている人は大勢いるはずだが、現実には、イエス様を伝え切れていない、出会い損ねてしまうような説教をしている不甲斐(ふがい)ない自分がいる。それでも愚直にイエス様のお姿を、今ある自分の言葉や姿をもって少しでも鮮やかに描き出せるように努力したいと語った。
その後、会場からも、説教に期待する強い思いが語られた。「説教者が、聴く側の疑問点をどれだけ深く共有できるかに尽きる」。「説教を聴く信徒も説教塾に参加できるようにしてほしい」。「さまざまな人生経験の中にある人が説教を聴いているが、実社会の経験のない牧師の言葉には非常に距離や落差を感じる」。「牧師が1週間、どれだけの信仰の戦いをしてきたかがにじみ出た説教を聴いた時、御言葉が立って自分に働き掛けてくる経験をした」。
「初めて来た人にも主の受難を分かるように伝えられるのか」という問いに対して、説教塾主宰の加藤常昭氏(88)は自身の経験を語った。
「ある学生が、『説教の前半は、自分のことをなんてよく知っているんだと思って聴いていたが、後半、十字架と復活の話になると分からなくなる』と言われ、『君にも分かるように話をする』と答えた。これが説教者の戦いだと思う。それからは、初めて聞く人でも、十字架と復活が自分と関わりがあると悟らせる説教を心掛けてきた」
最後に平野氏が次のように語って公開シンポジウムは閉じられた。
「説教は共同のわざだから、もっと信徒にも参加してもらいたい。もし頭でっかちで抽象的な説教をする牧師がいたら、『自分の生活を見てくれ』と家に呼んだらいい。失望せずに、『私の罪の告白を聴いてくれ』と求めれば、その時、説教は変わる。伝道とは、牧師の言葉を聴いて、それを生き生きと生きること。何を聴いたのか分からなかったら、伝道はできない。これほどひどい時代はないのに、教会が内輪で固まっていてはいけないのではないか」
この公開プログラムは、オリンピック記念青少年センター(渋谷区代々木)で20日から持たれた3泊4日の説教塾シンポジウムの最後を飾るもの。そこには日本全国から96人の牧師が参加し、4人の講演が行われた。平野氏、小泉健氏(東京神学大学教授)、郷家一二三(ごうや・ひふみ)氏(日本ホーリネス教団坂戸教会牧師、説教塾全国副委員長)、吉村和雄氏(キリスト品川教会牧師、説教塾事務局長)だ。その後、全国の塾生による研究発表が行われ、最終日の23日、朝食後に会場を移ってこの公開プログラムが行われた。
説教塾の始まりは1987年。その前年、ハイデルベルク大学創立600年記念の国際説教学シンポジウムに出席した加藤氏が、日本でも説教の力が強められる働きを始めるため、説教者の自主研修組織である説教塾を創設。その後30年の間に、北海道から沖縄まで17地域で説教塾が設立され、現在では登録メンバー280人以上、所属教派は30以上、これまで登録したことのある牧師は千人を超えるという。説教塾は、年会費を払って登録すれば、塾生として1年間登録され、各地での説教セミナーや泊まりがけのリトリートに参加したり、メールでの討論や情報交換をしたりできる。