私が10代の頃、米国にケネディ大統領が登場し、当時、この若き大統領誕生に米国をはじめ世界中で大きな話題になった。大変大きな注目を浴びたケネディはダラスで暗殺され、全世界に衝撃を与えたことを昨日のように思い出す。
そのケネディ大統領について、次のようなエピソードがあったことを、最近初めて知った。それは、ケネディが大統領就任式を数日後に控えていたとき、著名な大衆伝道者ビリー・グラハム氏をフロリダ州のビスケーンに招いたことである。この突然の招待は、ビリー・グラハム氏を非常に驚かせた。なぜならケネディは、大のビリー・グラハム嫌いであり、宗教的に無関心な政治家であるとよく知られていたからである。ゴルフを終えた2人はホテルに向かい、その途中、ケネディは自ら運転をしていた白いリンカーンを停めてこう質問した。
「ビリー、君はキリストがもう一度地上に戻って来ると信じているのかい?」「はい、大統領、そう信じています」「だが、そういう話はほとんど耳にしない。どうしてだろうか」とケネディは問い掛けたという。(『キリスト教信仰の土台(下)』332ページ)
キリスト教信仰において終末論の「キリストの再臨」は、とても重要な内容である。ところがケネディは、キリストの再臨についてほとんど耳にしないと主張している。ケネディのこの質問に対して、ビリー・グラハム氏がどのように具体的に答えたかについて分からない。ただ分かることは、このキリストの再臨について語る人があまりに少ないか、圧倒的多くの場合、沈黙か無視しているかのどちらかであるということだ。
キリストが、祭司長たちとユダヤ全議会の前に引き出されて尋問を受け、最後に大祭司が次の質問をした。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい」と。この質問に対してキリストは、こう明言された。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります」
大祭司は、このキリストの返答を聞いて、自分の衣を引き裂き、「神への冒涜だ。今、神をけがすことばを聞いた」と断罪した。そこにいた律法学者、長老たち、議員たちも「彼は死刑に当たる」と結論付けた。その後、キリストの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、イエスを平手で打って愚弄したとある。(マタイ26:63~68)
キリストが死刑判決を受けた理由は、ご自分の再臨(メシヤ宣言でもある)について明言したからに他ならない。いわば、この命がけで明言したキリストの再臨は、当時のユダヤ宗教指導層から激しい反対、反発があった。その後、ピラトの裁判の結果、キリストは、十字架で死なれたが、死後3日目に復活し、エルサレムのオリーブ山から昇天された(この昇天は、携挙のひな型ともいわれる)。
キリストの昇天後、天使たちが弟子たちに告げた。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」(使徒1:11)と。これは、キリスト昇天直後の再臨の聖書預言として注目される。
初代教会の大きな関心は、いつでも起こり得るキリスト再臨信仰であった。
「また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです」(Ⅰテサロニケ1:10)
実に、初代教会においてキリスト者たちは、キリストの再臨を待望して生きていることを、大胆に言い広めていた。使徒パウロは、キリストの福音を宣教するとき、キリストの十字架による驚くべき救いと共に、やがて再臨されるキリストを伝えていたからである。聖書全体を偏ることなく教え伝える責任が、牧師、伝道者にはある。キリストの再臨こそ、キリスト者各自の、そして世界の真の希望だからである。
1963年、ケネディ大統領が悲劇の死を遂げてから、4年後の1967年、東京でビリー・グラハム国際大会が日本武道館と後楽園球場で開かれた。当時、東京で学生生活をしていた私は、この大会に毎日のように参加した。その最終日、満員の後楽園球場でビリー・グラハム氏は、ノアの洪水から、世界の終末とキリストの再臨について火を吐くような非常に鋭いメッセージをされた。通訳は、昨年96歳で召された羽鳥明牧師だった。素晴らしい通訳だった。あの日、満員の後楽園球場で聞いた再臨のメッセージから、今年51年になる。
「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます」(マタイ24:14)
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