長崎に滞在中、朝日新聞の投稿欄記者から電話がありました。長崎に出掛ける前に投稿した原稿を掲載したいということでした。その内容は、私の初孫(小学1年生)が学校で「ミサイルの避難訓練をした」という出来事から、現在の米国トランプ大統領や日本の安倍首相のように北朝鮮への圧力一辺倒では危険なのではという趣旨でした。
「・・・圧力が極点に至った時、先の大戦のような先制攻撃で大規模な戦争が起きるのではと危惧する。トランプ大統領と同じ共和党の議員が『大統領が今の言動を続ければ<第3次世界大戦>へと向かいかねない』と警鐘を鳴らした。孫や若者たちの将来のため、政治家たちには戦争が起きない政治のあり方を模索してほしい」(「孫のために戦争が起きぬ政治を」投稿文、朝日新聞2017年10月19日掲載より)。
原爆投下されて戦後すぐ1945年、アメリカ海兵隊の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が日本に派遣されました。原爆投下後の広島、長崎をはじめ各地を巡り、廃墟となった街々や日本人の暮らしぶりを撮影しました。公務で撮影された写真はすべて軍に回収されましたが、私用のカメラで個人的に撮影されたものが手元に残され、それらの写真を用いて1989年から2007年に亡くなるまで、写真展開催による反戦、反核活動を続けました。
ジョー・オダネル氏は、長崎での体験を次のように記しています。「長崎での孤独な数か月の中で、荒廃した浦上天主堂を見た時は心が痛みました。原爆投下時には、ちょうど告解が行われていたため数十人の信者が天主堂にいたそうです。この教会のある丘を私は『カリバリの丘』と呼んでいます。クリスチャンである私には、イエス・キリストが十字架にかかった丘を思い起こさせるからです」と。
さらに日本での写真展を開くに当たって出した声明があります。「アメリカ国民の一人として、私の考えを述べます。必要のなかった世にも残酷な原子爆弾の投下によって引き起こされた痛みに、後悔と悲しみの念を覚えます。あれは間違いでした。人道に反していました。ナチスのホロコーストと同じほどの、犯罪と言ってよい過ちでした。歴史に対してだけでなく、人類に対する犯罪でした。私は1945年に広島と長崎の灰と瓦礫の中を歩き、これまで存在しなかったであろうほどに変わり果てた姿になって死んだり、苦しんだりしていた子ども、女性、老人たちを写真に撮りました。50年たった今、みなさんの前で宣言します。私は、かつて見たことを決して忘れません。死んでいった人々に対して、覚えておく義務があるのです。彼らの死を無駄にしてはいけません。覚えていることによって、彼らの死を悼みましょう。命の尊厳を彼らから学びましょう」(坂井貴美子著『神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産』いのちのことば社)。本書は、全国民必読書と言えます。
2017年11月29日早朝、北朝鮮が約2カ月半の沈黙を破り弾道ミサイルを発射、青森沖の日本海に落下したことが大きく報道されました。ちょうど同日の朝日新聞朝刊オピニオン欄に「どうする北朝鮮問題」というテーマで、元米国国防長官ウィリアム・ペリーさん(1927年生まれ、数学者、62年のキューバ危機には技術者として対応、幕末に来航したペリー提督の末裔)の見解が掲載されてありました。
その要旨は、「現在の北朝鮮危機は、1994年よりはるかに深刻で、いまや北朝鮮は核兵器を保有し、その核を使用するかもしれない。マティス国防長官に、悲惨な軍事オプションになだれ込まず、北朝鮮と議論や交渉する考えを持ってほしいと助言した。今、対話の時でないのかどうかは議論があるところだ。議論の余地がないのは『いまは核戦争をする時ではない』という点だ。私には軍事衝突に代わる手段が、外交以外にあるとは思えない。外交の不在や見境のない発言は、戦争に、非常に破壊的な核戦争に突入する条件を醸成してしまう。私が驚くのは、実に多くの人が戦争のもたらす甚大な結果に目を向けていないことだ。戦争は日本にも波及し、核(戦争)になれば、その被害は(韓国にとって)朝鮮戦争の10倍に、(日本にとって)第2次世界大戦での犠牲者に匹敵する大きさになる」と。
今、極東アジアは、核戦争の現実的危機に直面しています。平和の君、イエス・キリストによる恒久平和の到来を確信し、平和を祈り、平和をつくる者でありたいと切願します。
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