昨年10月22日に肝細胞がんのため、72歳で亡くなったゴスペルシンガーの亀渕友香(ゆか、本名・捷子=かつこ)さんの「お別れの会」(主催:タートル・ミュージック・プラント)が17日、ホテルニューオータニ(東京都千代田区)で行われた。亀渕さんの親族をはじめ、業界関係者や亀渕さんの教え子、友人ら約500人が集まり、故人との思い出を分かち合った。
「ビック・ママ」の愛称を持ち、魂を揺さぶるパワフルな歌声で、日本にゴスペル音楽を広める先駆けとなった亀渕さん。1968年にR&Bグループ「リッキー&960ポンド」のボーカリストとしてデビューした後、日本を代表するゴスペル歌手として活躍した。93年にはゴスペルを中心とするクワイア「亀渕友香&The Voices of Japan」(VOJA)を結成し、後世の育成にも力を注いできた。昨年5月には、本場・米ニューヨークのカーネギーホールで演奏を行い、大成功を収めたことも記憶に新しい。
お別れの会では、亀渕さんに洗礼を授けた軽井沢高原教会の兼瀬清志牧師(現在は引退)が、「祝福」と題してメッセージを伝えた。
兼瀬牧師と亀渕さんの出会いは2000年夏。その数年前に米国から帰国し、VOJAを結成して活動していた亀渕さんは、「帰国したら必ずホームチャーチをつくるように」という、米国の黒人教会の長老から言われた言葉が常に胸にあった。そうした中、行き着いたのが、軽井沢高原教会だった。一方の兼瀬牧師は当時、同教会の再生を任されたばかりで、その原動力はゴスペルしかないと確信していたという。
「当時亀渕さんは、『ゴスペルを日本人の魂で歌ったら何かが起こらないかしら。きっと起こるはず。いや起こらないはずがない』と話していました。これは、米国でゴスペルに浸り、癒やされ、救われ、そしてゴスペルを通して神様の愛を知り、神様から特別に愛されるという体験をしたからだと思います」
00年秋には同教会で、VOJAのコンサートが開かれた。大盛況で翌年以降は予約制にしたが、毎年募集枠に対して7、8倍の応募があった。やがて、同教会独自のクワイアが立ち上がり、VOJAの助けを得て、日本では初となるゴスペル音楽を本格的に取り入れたキリスト教の礼拝が行われるようになった。
「00年から始まったVOJAとの活動は、今年で18年目に入ります。友香さんは、軽井沢高原教会とその周りの自然豊かな環境をこよなく愛し、『先生、ここはゴスペルの聖地、サンクチュアリね』と言っていました。教会との関わり、クワイア立ち上げで模索した10年間、軽井沢での出来事が、友香さんに大きなインスピレーションを与えたようでした」
昨年7月18日、兼瀬牧師は亀渕さんから一本の電話を受け取った。「先生、私たちには明日という日がないのよね。今年中に私たちの夢をかなえましょう」。新作を披露するVOJAのステージに、兼瀬牧師も共に立ってほしいという依頼だった。
「先生、今度のステージのために新曲『ハレルヤ』を作りました。先生がこの曲を紹介してくださいね。その時、私がどんな状態であっても必ず一緒にステージに立ちたいのです」
病院に行って言われたこの言葉が、兼瀬牧師が聞いた亀渕さんの最後の言葉になった。
「『ハレルヤ』とは、「神様、万歳」という意味です。友香さんは『私たちに足りないものが1つあった。それは先生です』と言いました。しかし、それは私ではなくて、神様を強く求め、神様と一緒に歌いたい、神様の祝福こそ最も必要なエネルギーだと思っていたことではないでしょうか。神様にすがること、偉大な力を敬うことは、人として美しい生き方です。神様は私たちに勇気と力を与えてくださり、私たちが困難に立ち向かうとき、大きな御手を持ってお救いくださる。だから神様に祈るのです。
『栄光なるイエス・キリスト。ハレルヤ、ジーザス。人生を大切に生きたいと思う私たちを今日も助けてください』。これは、友香さんが大好きなゴスペルの日本語訳です。ゴスペルは、どこを切り取っても神への賛美で、そこには争いはなく、ねたみや憎しみはありません。神様の祝福にあふれたゴスペルは、私たちを祝福の世界に導いてくれるのではないでしょうか。
争いのない真の平和がここに存在するということを歌う『オー・ハッピー・ディ』。それを歌う友香さんを思い出してください。友香さんが私たちに伝えたかったことをもう一度かみしめ、思い起こすならば、彼女はどんなに喜んでくれるでしょうか」
兼瀬牧師のメッセージの後、VOJAが遺作となった「ハレルヤ」を披露。そして、音楽出版社ジュンアンドケイ代表取締役の小澤賢太郎さん、亀渕さんが絶対的な信頼を寄せていたという演出家の高平哲郎さん、VOJAの日本語ゴスペル曲「きずな」を作詞した湯川れい子さんの3人が、弔辞を読み上げた。
また、日本ゴスペル音楽協会は、亀渕さんをゴスペル音楽の殿堂第1号として認定し、記念の盾がVOJAのメンバーに贈られた。
最後は親族代表として、亀渕さんの娘と、兄である元ニッポン放送社長でラジオDJの亀渕昭信さんがあいさつし、これまで支えてくれた一人一人に感謝の言葉を伝えた。そして、会を締めくくるラストソングとして、亀渕さんが歌った「帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・パロディ・ギャング作詞)が流された。
「おらは死んじまっただ 天国に行っただ 長い階段を 雲の階段をのぼっただ、天国いいとこ一度はおいで・・・」
2時間にわたったお別れの会は、笑い声に包まれて幕を閉じた。