ゴスペル歌手の亀渕友香(かめぶち・ゆか、本名・捷子=かつこ)さんが22日午前2時、肝細胞がんのため、川崎市の病院で召天した。72歳。葬儀は近親者のみで行い、後日「お別れ会」を開く予定。兄は、ラジオDJで元ニッポン放送社長の亀渕昭信さん。
亀渕さんは軽井沢高原教会で兼瀬清志牧師(現在は引退)から洗礼を受けたクリスチャン。葬儀では兼瀬牧師が「栄光の旅立ち」と題してメッセージを行う。亀渕さんは自身のオフィシャルブログ「発声力。」に次のように書いている(2015年6月30日)。
「兼瀬牧師先生は私に洗礼を授けて下さった兄の様な存在だ。先生の言われる言葉の一つに、正しい人間は居ない。強い人間もいない。許しをもてる人間も少ない。ヤハリ、神を感じる事が一番心が休まる事で有る、と言われる。この一言に安らぎを感じている。感謝」
兼瀬牧師と以前から語り合っていた願いは、ゴスペルとメッセージを抱えて2人で全国行脚することだったという。兼瀬牧師は自身のブログで亀渕さんの言葉を紹介している(2017年10月12日)。「先生、私に足りないものが1つありました。それは先生です。私のお仕事に1つ足りないものがありました。それは先生です。私たちには明日という日はもうないのよ。夢の実現のために立ち上がりましょう」
亀渕さんは、子どもの頃から神に対する憧れがあったことをブログにつづっている(2013年7月20日)。
「私は子供の頃、時折、軽井沢に家があった親戚を訪ねる度(たび)に、柔らかい丘の上に立つ教会に、ある憧れを持った。子供心に、いつも神の存在を感じていた私には、そこがどこにも無い安らぎと憩いの場所である事を微(かす)かに知っていた。・・・自分は『嫌な賎(いや)しい人間だ』と思っていた時さえあり、人知れず悲しみを感じる人間でもあったものだから、神への憧れがとても強かった。ましてやクリスチャンの教えを持つ幼稚園、小学校と通ったから、そこに救いも求めた感もあった。私の心の支えは、祈りと歌と母の愛が沢山だった」
軽井沢高原教会は1921年に開かれた「芸術自由教育講習会」を原点に誕生した。質素な材木小屋に、内村鑑三をはじめ北原白秋や島崎藤村らが集い、自由に討論したという。内村はこの会場を「星野遊学堂」と命名し、その後、41年に「軽井沢高原教会」と改名された。74年に軽井沢で初めてキリスト教信者以外の挙式を受け入れ、また毎週日曜日の午後1時30分から2時までゴスペル礼拝が持たれる他、亀渕さんらを招いての「ゴスペルコンサート」が行われてきた。
亀渕さんは1944年、北海道札幌市生まれ、東京銀座育ち。小学校の時、マヘリア・ジャクソン出演映画「真夏の夜のジャズ」を観て彼女の歌声に衝撃を受けて以来、アレサ・フランクリンなどゴスペルミュージシャンに憧れ、黒人音楽を聴きながら成長した。バーバラ・コブに専門ゴスペルを、ウィリアム・バッキンハイムに発声学、カーマイン・カルーソにジャズ理論や演奏形態を学んだ。
68年にR&Bグループ「リッキー&960ポンド」のボーカリストでデビュー。その後、「BIG MAMA YUKA」と呼ばれる、日本を代表するゴスペルシンガーとして活躍した。93年にはコーラスグループ「亀渕友香&VOJA」を結成し、観客を圧倒するパワフルな歌声と、全身でリズムをとって賛美するスタイルが人気を呼んだ。07年にゴスペルを中心としたコーラス学校を開くなど、多くの後進を育てた。またボイストレーナーとして、久保田利伸、ゴスペラーズ、Misia、倖田來未、和田アキ子、平井堅など、数多くのミュージシャンや俳優・声優を指導してきた。
「ゴスペルは何処(どこ)か原始的で有り、素朴な、人々の祈りの歌だ。ゴスペルは歴史そのもので有り、それは私達そのものでも有る。生きとし生けるものが、有るべき姿で、生きる事を考える音楽だ、と言う事を知って欲しい。ゴスペルはファッションでもなく、格好をつけるものでもない。ただただ真っ直ぐ、心のまま、しっかり声を出し、言葉を届けるのだ。ゴスペルを唄うと言う事は、私達弱い人間の祈りと、全てを許して下さる神様を繋(つな)ぐ大事な大事なひとときなのだ」(亀渕さんのブログ、2015年6月30日)
2008年には「第1回野口英世アフリカ賞」の授賞式および記念晩餐会で、天皇皇后夫妻や歴代総理大臣、アフリカ各国の大統領や国王などの前で歌声を披露。近年も精力的に活動し、今年5月には本場の米ニューヨーク・カーネギーホールで公演を開いたばかり。
大和カルバリーチャペル(大川従道牧師)やウェスレアン・ホーリネス淀橋教会(峯野龍弘牧師)などでもたびたびゴスペルコンサートが行われた。フォースクエア秋津福音教会の宣教牧師でゴスペルシンガーの小坂忠さんと親交があり、亀渕さんのアルバム「古稀 modernism」(2014年)には小坂さんがゲスト参加している。
亀渕さんは3年前に肝細胞がんを発病して以来、治療と再発を繰り返しながら、その間も腰椎や胸椎の骨折などを負う中で闘病生活を送ってきた。
「私は恐る恐る、神への感謝を唄い始め、身を持って福音を伝え、唄う事を良しとしている今、私の洗礼を受けおって頂いた兼瀬牧師先生、合子奥様は私の心の父、母と慕っている、と言っても良いと思う。先生のお言葉に励まされ、こうして夏の軽井沢高原教会、夏のコンサートに今年も向かう。奇跡は起こる。奇跡は毎日、誰の身の上にもおこる。だからこそ祈り、そして唄う」(亀渕さんのブログ、2013年7月20日)