児童精神科医の佐々木正美(ささき・まさみ)さんが6月28日、骨髄線維症で召天した。81歳だった。
1935年、群馬県前橋市に生まれ、東京や滋賀で少年時代を過ごした。高校卒業後、上京し、信用金庫に6年間務めた後、武蔵大学に入学し、62年、新潟大学医学部に編入学。66年に卒業後、東京大学医学部精神科の研修医を務め、数年間、国立国府台病院精神科に勤務、68年、青山学院初等部音楽教師をしていた洋子さんと結婚した。
義父の岩島公(いわしま・とおる、1906~2002)は内村鑑三晩年の弟子の1人で、内村没後、金澤常雄や塚本虎二、矢内原忠雄に信仰を学んだ。戦時中は内村にならって非戦を主張したため、教師の職を失い、各地を転々としたという。その後、八王子の高校で国語教師をしながら『永遠の日本』誌を発行し、自宅で聖書研究会を開き、また八王子内村鑑三先生記念キリスト教講演会を行った。『岩島公著作選集』全3巻(キリスト教図書出版社)などの著作がある。佐々木さんもこの集会で義父に導かれて無教会のキリスト者となった。
70年、カナダのブリティッシュコロンビア大学医学部児童精神科に1年間留学し、臨床訓練を受けた。72~77年、国立秩父学園(重度知的障害児居住施設)厚生技官、そして77~95年、神奈川県児童医療福祉財団・小児療育相談センター(横浜市)の所長を務めた。この間、東京大学医学部精神神経科の助手や東京女子医大小児科の非常勤講師をしながら、全国各地の子育て中の母親や幼児保育に関わる人たちと勉強会、講演会を重ねてきた。97年から、川崎医療福祉大学(岡山市)医療福祉学部医療福祉学科学科長・教授(15年から客員教授)。
子育てに悩む親たちから絶大な支持を受け、累計80万部のロングセラーとなった『子どもへのまなざし』全3巻(福音館書店)など多くの著書があり、また自閉症の療育プログラムを米国から導入して、発達障害に対する理解を広める働きに尽力した。
著書『育てたように子は育つ』(小学館)では、相田みつをの言葉「そのままでいいがな」を取り上げ、「これこそ、子どもへの最高の愛情表現である。すなわち無条件の承認である。条件をつけない愛情である。こういう愛情が与えられれば、子どもは必ず生まれもったものを豊かに開花する」と述べている(51ページ)。
このように佐々木さんは、子どもの内に「根拠のない自信」をはぐくむことの大切さを繰り返し語った。能力など「根拠のある自信」は、その根拠が何かによって失われるとすぐに揺らいでしまうが、親から無条件に愛されることを通して培われた「根拠のない自信」は揺らぐことがない。それは、すべてを赦(ゆる)し、私たちのために死ぬほど愛してくださったキリストへの信頼から出てきた持論だったのではないだろうか。
私は問われない限り、自分がキリスト者であることを語ることはほとんどありませんが、多くの人から、キリスト教をもって生きていることを指摘されました。・・・義父(岩島公)からは、それだけ大きな贈り物を与えられてきたのだ、とその都度思ってきました。
父は本当に敬虔なキリスト者であるから、自分が利己的で罪深い人間だということを熟知している。だからこそ、イエス・キリストの十字架の罪の贖(あがな)いによって、自分の罪が許され、生かされていることを固く信じて、感謝して日々生きている。・・・神様を頼りにして生きているから、楽に、そして強く生きられるのだということを、私はずっと教えられた。人間は本当に頼ることのできる人やものに恵まれた時こそ、安心して強く生きることができるのだということを、私は父から教えられてきた。・・・だから私たち夫婦は・・・いつも神の愛に恵まれて、罪を許されて生かされているということを意識している。(『出会いでつむぐ私の半生』ぶどうの木、6、75~77ページ)
佐々木さんの講演には子育てに悩む母親や父親がたくさん参加していたが、そこで佐々木さんの言葉に勇気をもらったというクリスチャン女性はこう話す。
「佐々木先生に掛けていただいた言葉の中で一番心に残っているのは、『私が産んだ子だから、いい子に違いない。そうではないですか、お母さん』というものでした。夜泣きがひどいわが子に手を焼き、すっかり育児に自信を失いかけている時に、佐々木先生からこの言葉が書かれたカードをいただき、とても勇気をもらいました。先生がクリスチャンだと知り、ますます先生の本を読むようになりましたが、6月に召天の報を受け、大変残念に思っています」