今年はもっと聖書を読もう。新年にそのような抱負を決めるクリスチャンは多いだろう。米国の神学者ジョン・パイパー氏が、そんなクリスチャンに勧める聖書の読み方がある。毎日、聖書の4カ所を読み、1年間で聖書全巻を読み切る方法だ。しかし一方で、読む方法よりも、読む理由の方が重要だとパイパー氏は言う。
パイパー氏は、自身が設立した宣教団体「デザイアリング・ゴッド」のウェブサイトのコーナー「ジョン牧師に聞いてみよう」で年頭の投稿(英語)をし、自身が昨年、「ディサイプルシップ・ジャーナル聖書通読プラン」(英語)を用いた理由を述べている。このプランは無料で利用できるため、今年もこれを使うという。
「この方法がうまくいく理由は、毎日、聖書の4カ所を読むことにあります。私がこのプランを使う理由、また皆さんにもお勧めする理由はそこにあるのです」
毎日読む4カ所のうち、2カ所は旧約からで、もう2カ所は新約から。旧約の箇所はある程度の分量があるものの、新約の2カ所は短く、短時間で読める。「多読と精読を組み合わせられるというメリットがあります」とパイパー氏は言う。このプランでは1カ月が25日で組まれており、遅れがあれば、余った日で取り戻すこともできる。
しかし、より大切なのは通読法やプランではなく、聖書を毎日読む理由とその結果にあるという。
「クリスチャンの究極の目標は、日々の生活の中で神に栄光を帰すことにあると思っています。フィリピの信徒への手紙1章20節の言葉を使うなら、『生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるように』ということです。私たちがこの星に存在している究極の理由は、神の偉大さを現すことです。神が尊く、大切な存在で、最高の宝物であることを示すためです。神を宝物のように見せること、それが人生の目的です」
そのためには、聖書の定期的黙想が欠かせないとパイパー氏は強調する。なぜなら、神の偉大さを示すには、日々神を求める必要があるからだ。
「キリストの栄光が最も大きく現れるのは、私たちが主にあって最も満足しているときです。しかしキリストとまみえ、キリストを味わうことなしに、魂の深い部分で主にある満足を得ることはできません。ポイントは、聖書の言葉を常に黙想することなしにはそうならないということです」
「私は、自分自身のうちに何もないことを知っています。私は空っぽで、深みがなく、人を感動させるものを持ち合わせていません。私には情熱も美しさもなく、尊いものや素敵なもの、見事なものもありません。空っぽで、無感動で、次から次へとこの世的な思い込みに突き進むだけです。ですから今年、このジョン・パイパーにある唯一の希望は次のことです。すべてのことにおいて神の偉大さが現され、神に満足していただくのを目の当たりにすること。つまり、私の聖書通読を通して神に喜んでいただき、そこに現される神の栄光を見させていただくことです」