さて、3回に分けてイスラエルと米国の関係を整理してきた。そもそもトランプ大統領の「首都はエルサレム」発言から今回のシリーズは始まっているため、ここに至るまでにかなり遠回りした感がある。やっと今回のメインテーマと向き合うことになる。
7. 「イスラエル支援」という観点から見たトランプ大統領
まず押さえておかなければならないのは、トランプ大統領の今回の決断を、決して彼のみに帰してはいけないということだ。トランプ氏が選挙公約として掲げたから、それ以外の公約がなかなか実現しないから、だから今回の決断に踏み切ったと捉えるのは、あまりにも短絡的で歴史を無視した判断となる。また、オバマ前大統領との違いをアピールするために、オバマケアと同列にこの問題を並べ、オバマ氏が中東問題でイスラエルに冷淡だったからトランプ大統領が手厚くイスラエルに向き合っている、とするのもいかがなものかと思わされる。
しかし怖いのは、トランプ大統領自身が上記のような思考で「エルサレム」を扱っている可能性である。これを「大統領としてあり得ない」とは言えないことが悲しい。彼なら「あり得る」と言わざるを得ない。しかし、これはいくら議論したところで不毛である。誰も彼の内面を知ることはできないからである。だから、彼が下した「決断」という事実に基づいて考察していかなければならない。
この原稿を書いている12月9日現在、すでにパレスチナ自治国家からは反発の声が上がり、ガザ地区ではイスラエル軍とパレスチナ人との衝突が発生している。これからさらにこれは拡大されるだろうと識者は予想している。
ご存じの通り、トランプ大統領は選挙人制度でヒラリー陣営に勝利し、大統領になった。しかし、投票者の獲得数ではヒラリー・クリントン氏が上回っていた。「米国大統領選挙」という観点からするなら、これはよくあることで、大したことではないだろう。しかし「イスラエル支援」という観点からこれを見るなら、異なった見え方が透けてくる。
8. 揺れるユダヤ人社会とイスラエル・ロビー
立山良司氏によると、イスラエル・ロビーはもはや一枚岩ではない。イスラエル支援を共にうたいながら、AIPACのような主流派集団とは異なる立場で政治家に働き掛けるロビイストが近年力をつけてきているという。その代表格が「Jストリート」という集団である。彼らは2008年4月に発足している。
彼らは、現行のイスラエルがあまりにも横暴で、隣国に対して迷惑をかけ続けていることに懸念を表明し、スローガンを「プロ・イスラエル(イスラエル支持)、そしてプロ・ピース(平和支持)」としている。従来は、イスラエル政府のやり方を公然と批判することはイスラエルの敵を利することになるという考えが主流であったため、本国の姿勢に追従することがロビイストの方向性であった。しかし、彼らはこの方向性に否を突きつけている。そして、旧泰然とイスラエル政府を「よいしょ」する米国政権の在り方にも否定的である。
事実、若い世代の在米ユダヤ人たちは、2014年にガザ地区で勃発した軍事衝突に関して、強者であるイスラエルが弱者であるガザ住民に対し、なぜあれほど激しい攻撃を加えるのかと強く憤っていたという。アンケート結果によると30代以下の世代では、35パーセント以上がイスラエル政府のガザ攻撃を批判している。米国ユダヤ社会とイスラエルのユダヤ社会との間にすきま風が吹き始めていることが分かる。
イスラエル・ロビーが割れるなら、当然政府への圧力も弱くなる。オバマ政権が8年間の在任期間中たった1回しかイスラエル入りしなかったのも分かる気がする。彼はノーベル平和賞を受賞した。そのこともあってか、中東というと単にイスラエルだけではない。そして、パレスチナ諸国とイスラエル、どちらが「ゴリアテ」であるかの価値観も以前とはかなり変化してきていたであろう。
9. リベラル化する米国、ユダヤ人社会
この流れと関連するかどうか定かではないが、2008年に製作されたイスラエル映画に「戦場でワルツを」というアニメーションがある。これは監督のアリ・フォルマンの自伝的アニメで、1982年に発生したレバノン内戦でイスラエル側として従軍した彼の体験が元になっている。
映画は、アニメーションという手法を用いながらも悲惨な戦争の情景を生々しく描き、特にイスラエル政府がホロコーストにも似た仕打ちをパレスチナ難民にしてきたことを糾弾する内容となっている。ラストのある仕掛けは、どうしてこれがアニメという手法で語られなければならなかったのか、その真の理由を明らかにしている。そして、見る者を深淵な絶望へと誘っていく。
この映画は全世界で絶賛され、ゴールデン・グローブ賞、米国アカデミー賞にノミネートされ、評価されている。イスラエル国内から(もちろん監督は国外で映画を学び、資金調達した)このような映画が作られたということは意味深いことである。
2015年夏、イランでの核開発疑惑をめぐって、国連常任理事国+ドイツとイランとの間で合意が成立した。イランが武器使用目的で核を開発しているのではないか、という疑惑を払拭するために結ばれた国際協定であった。イスラエルはこれに反対する。なぜならイランはこの協定を傘にして、「平和利用」の名目で核兵器を秘密裏に開発することが可能になるからである。当然その攻撃目標にイスラエルも含まれることが想定される。
イスラエル・ロビーは米国議会に働き掛け、米国がいつものように常任理事国として拒否権を発動するよう求めた。しかし、オバマ政権下でこの合意は黙認されたのである。
米国では、国際社会における自身の立場を確立しようとするリベラル的思考が浸透しつつある。一方、自分たちがオスロ合意をなし崩し的に無力化しておきながら、なかなか自分たちの主張が通らないことにいら立つイスラエル国内では、さらなる右傾化が進んでいる。
「パレスチナ側との交渉は和平をもたらすか」という問いに対して、2000年の第二次インフィファーダ以降、「そうは思わない」という国民の割合は増え続け、2015年には80パーセントに迫る勢いである。彼らの合言葉は「パレスチナ自治政府との交渉は終わった」である。積み上げては崩し、崩しては積み上げ・・・そんな虚無感すら漂うことになる。
くしくも12月8日朝日新聞朝刊のエルサレム首都問題に関する記事の見出しは、パレスチナ人「交渉は終わり」であった。双方が「交渉終結宣言」を突きつけている。パレスチナ問題は新たな危機、そして局面に突入したのだろう。
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