「ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。私は賢い人たちに話すように話します。ですから私の言うことを判断してください。私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです」(Ⅰコリント10:14~17)
聖餐式は、単なる儀式ではなく、救い主イエス・キリストと私たちの絆そのものです。言葉でのコミュニケーションだけでなく、命と命がつながる何よりも強い関わり合いがイエスとの間に与えられていることを感謝したいと思います。聖餐式がイエスの時代から2千年もの間、守り続けられている3つの大切な意味を確認しましょう。
1. まことの神を礼拝する
パウロは「偶像礼拝を避けなさい」と言います。近年日本では、ハロウィンが商売がらみのブームとされて大仮装大会になっています。もともと北ヨーロッパの悪霊崇拝の儀式が起源で、キリスト教とはまったく関係ありません。人の心を支配して、本当の神ではないものを礼拝させるような悪の力には注意しなければなりません。この世にはさまざまな霊の働きがあります。ごまかされてはいけません。私たちを救うまことの神だけが、私たちが礼拝すべきお方であることを意識しましょう。クリスチャンでも、霊的な部分をうやむやにすると、頂けるはずの神の恵みさえうやむやになってしまいます。
2. 神の救いの事実、イエスに結びつく
私たちを救うために十字架にかかって命を捨ててくださった救い主イエス・キリストの体と血潮の事実を通して、私たちは神の愛と恵みと救いに導かれ、はっきりと神をとらえることができるのです。とらえどころのない中途半端なものではなく、空想や物語の世界でもなく、具体的に私たちを救うためにイエスご自身が十字架にかかって命を捨ててくださったのです。この事実と自分自身が結びつきましょう。
3. 神の家族として1つにされる
キリストの体は1つ。聖餐式でパンとぶとう酒を頂くとき、お1人のイエスと結びつきます。そして、聖餐式にあずかる私たちも神の家族として1つになるのです。キリストの体なる教会で、さまざまな個性ある私たちは、体の部位と同じように、その部分だけでは存在できませんが、1つの体として結びついて、誰1人として不要な者はないのです。2千年間にわたって聖餐式を守るたびに、私たちは1つの神の家族であり、主にある兄弟姉妹であり、共に歩むという信仰告白を新たにしてきました。
私たちには神が共におられ、「主よ」と親しく呼べるイエスが共におられ、イエスに結びつくときに1つにされ、私たちの居場所が用意されています。この秋の終わりにも、神はとっておきの祝福を備えてくださっています。
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