大人が映画館へ足を運ぶ。その目的は、やはり楽しいエンタテインメントを堪能するとか、または自分の興味関心を刺激する内容に触れてみるとか、いろいろだろう。ここでも、映画会を通して人間関係を構築しようとか、1度でも教会の扉をくぐってもらいたいという現実的なニーズを越えて、伝道集会の一環として映画会を実施する場合に限定して映画を厳選した。
大人の鑑賞に耐え得るものであるためには、どうしても生々しい「人間臭さ」を前面に押し出し、自身の引け目や短所を自ら発見するという流れを促さなければならない。そういった意味で、「こんなのを教会で見せていいの?」という内容もあえて含んでいることをご承知おきいただきたい。
「ダークナイト」(2008)
え?バットマン?と思ったあなた、正解です。アメコミ映画はこの「ダークナイト」以降、シリアス路線に転向する。その記念碑的作品である。人間の「悪」をここまで見事に活劇化したエンタテインメントは他に類を見ない。
2時間半、ジョーカーに翻弄(ほんろう)されながら、人の根源的な「罪性」について考えてみるのはいかがだろうか。そして、最後にバットマンが選択したある行為は、キリスト教的救済をデフォルメしていると言えよう。
「ザ・ウォーカー」(2010)
漫画「北斗の拳」のような世紀末を舞台に、この世の全権を手にする知恵が書かれているという1冊の本をめぐる物語。主演のデンゼル・ワシントンが盲目ながら敵を一瞬でなぎ倒すヒーローを演じている。物語はこの本が何か、それがどういう意味で「全権を手にする」ために有効か、というあたりに、キリスト教的世界観を醸し出している。
ネタバレになるので、これ以上物語に触れるわけにはいかないが、きっとこれを見てから牧師の解説を聞くなら、教会やキリスト教世界に親近感を抱くことになろう。かなりのハード描写があるので、それだけご注意を。
「モンスター」(2003)
シャーリーズ・セロン主演の連続殺人鬼もの(おいおい教会でかい?)。監督は今年「ワンダーウーマン」で一躍ブレイクするパティ・ジェンキンス。しかし、単なる人殺し映画ではない。込められたメッセージは「どうしてこんな人間を生み出してしまったのか」ということ。
性の対象としてしか見られず、貧困とネグレクトによって体を売るしか生きる術を持てなかった女性の逃避行を描いている。社会が悪いのか、それとも本人の自覚がなかったのか。劇中、彼女はキリスト教会の近くに身を寄せることになる。しかし、救いの手は彼女には届かなかった。
私たちは、極悪な犯罪が発生するとそれを社会や本人のせいにして、自分たちは関係ないという姿勢を取りたがる。しかし、この映画はそれを許さない。私たちに「罪とは何か」「私たちの中に彼女と同じ要素はないか」と鋭く問い掛けてくる問題作である。
女性監督がこういう映画を撮ったということも納得できる1本である。ただし、かなりきわどい性的描写とバイオレンスが展開するため、気を付けなければならない。
「チェンジリング」(2009)
クリント・イーストウッド監督、アンジェリーナ・ジョリー主演のサスペンス。1920年代の米国で実際に起きた幼児誘拐事件、その顛末(てんまつ)を当時のいい加減なロス市警の捜査方針を告発しながら描いている。
テーマは「信仰」。わが子がどうなったのか、生きているのか死んでいるのか、宙ぶらりんの状態で生きざるを得ないシングルマザーの苦悩を、観客も体験することになる。
事件が解決するかと思うとその手掛かりを失い、また別の可能性に期待するが、それもすぐに途絶えてしまう。そんな繰り返しの中、この母親を支えたものは何だったのか。決してすっきりと片が付く結末ではないが、あれこれと親や大人の立場から語り合いたくなる1本。
それほど残酷描写もないため、ママ映画クラブのような感じで女性たち向けに上映してもいいかもしれない。
「葛城事件」(2016)
次男が連続通り魔事件を引き起こしてしまったため、「加害者家族」として世間から次第に疎外されていく一家の葛藤と慟哭(どうこく)を描いたビターな家族劇。
長男はリストラされ、母親は精神に異常を来し、父親は「どうして俺が責められなければならないのか」と居直る。それぞれの反応が、愚かしくもそうせざるを得ないやりきれなさで満ちている。そして、ふと思わされるのは「ウチは大丈夫だと言えるか」ということ。
主演の三浦友和が、権威主義的でありながら実は小心者である市井の人物を、時にはコミカルに、時には鬼気迫る雰囲気を醸し出して演じている。この映画にはまったく救いがない。その最悪な状況がリアリティーをもって見る側に迫ってくるのが恐ろしい。
現代に聖書の教えが活(い)かされるとはどういうことか、考えさせられる1本である。
これら以外にも、伝道企画として見ておくことをお薦めする作品を列挙しておく。
- 「ステラ」(1990)・・・ベッド・ミドラー主演の母娘劇。最後の母親の選択に賛否両論。
- 「シークレット・サンシャイン」(2007)・・・韓国でキリスト教の救済をテーマにした大ヒット映画。しかし、決して一筋縄ではいかない展開に、思わず考えさせられる。
- 「ヴェラ・ドレイク」(2005)・・・上述した「モンスター」にも通じるテーマだが、女性が図らずも犯罪に手を染めてしまう状況を、私たちがどう受け止めるか。そこが問われる問題作。
- 「沈黙」(2016)・・・遠藤周作の傑作。信仰を持つとはどういうことか、また真に相手を愛するとはどういうことかについて、真正面から取り組んだ力作。
ただし、牧師や映画会を企画しようとする者たちが理解できなかったり、手に負えない場合は、従来の「キリスト教礼賛映画」を迷うことなく選択したらいいと思う。
これらの映画に共通しているのは、見る側に深く考えさせるということ。さらに、どれも単純なハッピーエンドとは言い難いということ。しかし、予定調和的な展開ではないからこそ、いろいろ言いたくなるし、見に来た方々といろいろと意見交換ができるというものだ。
次回、この連載のまとめとして、映画とキリスト教伝道との関連を総括してみたい。
こういった映画会を開催し、それを導く機会を与えてくださるなら、存外の幸せです。ご連絡は、青木保憲(メール:[email protected])まで。
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