英ケンブリッジ大学の研究者らは10月30日、旧約聖書のヨシュア記にある「太陽が止まった」という内容の記述について、紀元前1207年10月30日に起こった日食について記したものである可能性があると発表した(リンク・英語)。事実であれば、ヨシュア記の記述が、日食に関する人類最古の記録になるという。論文は、英王立天文学会の学術誌『A&G』(英語)に掲載された。
ヨシュア記は、イスラエルの指導者ヨシュアが、古代近東の一部であるカナンにイスラエルの民を連れて入り、カナンの王5人と戦う中で祈ったところ、太陽の動きが止まって見えたことを次のように記している。
「日はとどまり/月は動きをやめた/民が敵を打ち破るまで。『ヤシャルの書』にこう記されているように、日はまる一日、中天にとどまり、急いで傾こうとしなかった」(ヨシュア10:13)
この記述について、同大材料科学・金属工学部のコリン・ハンフリーズ教授は、現代の聖書は多くの場合、太陽と月の動きが止まったことを意味すると解釈し、翻訳していると指摘する。しかしハンフリーズ氏によると、この箇所はヘブライ語の原文では「太陽と月が通常行っていることをやめた」という別の意味にも取れる。
「この文脈では、その箇所のヘブライ語が日食を指している可能性があります。月が地球と太陽の間を通過し、日食が起きたことにより、太陽が輝くのをやめたかのように見えたのです。この解釈は、『静止する』と訳されたヘブライ語が、古代の天文学資料で使用された日食を描写するバビロニア語と同じ起源を持っていることによっても支持されます」
歴史家たちはこれまで、この時代に起こった日食を調べる上で、聖書と共に、エジプト王メルエンプタハ時代のエジプト語の資料を使ってきた。この資料は、紀元前1500年〜1050年に、イスラエル人がカナンに存在していた証拠を示している。しかし論文は、歴史家たちが、皆既日食(太陽全体が隠れる日食)だけを調べていたため、ヨシュア記の記述が日食に関するものであることを証明するのに失敗したと指摘している。
「初期の歴史家たちは、その日食が金環日食(太陽の外側が隠れず、細い光輪状に見える日食)だったとは考えなかったのです。金環日食の場合、月は太陽の真向かいを通りますが、太陽を完全に覆うには距離があり過ぎます。それによって、あの特徴的な『炎の輪』のような外観になるわけです。古代社会では、同じ言葉が皆既日食と金環日食の両方に使われていたのです」
ハンフリーズ氏によると、地球の自転時間の変化なども考慮して計算した場合、紀元前1500年〜1050年の間にカナンから見える金環日食は、紀元前1207年10月30日午後に発生したものが唯一だという。
計算が正しい場合、この金環日食が記録に残る最古の日食となり、またエジプトのラムセス大王(ラムセス2世)とその息子メルエンプタハの治世を、1年以内の誤差で特定することが可能になる。
これに先立ち、イスラエルの研究チームは今年1月、ヨシュア記の太陽静止の記述が日食に関するものであることを示す論文を発表していた(リンク・英語)。この論文によると、ヨシュア記で「静止する」の意味で訳されている「ドム」という語が、実際には「暗くなる」ことを意味しているという。これは日食の特徴にまさに合致する。
一方、エルサレムの「園の墓」(キリストが十字架刑後に埋葬されたと考えられている場所の1つ)の責任者である英国人引退牧師のスティーブン・ブリッジ氏は、ヨシュアの戦いやイエスの十字架刑で起きた3時間の暗闇のような聖書の記述は、実際には日食について記述したものではない可能性があると話す。ブリッジ氏は、米本土で皆既日食が観測された今年8月、米キリスト教テレビ局CBN(英語)に次のように語っている。
「その暗闇が何であろうと、それは日食ではなかったのです。それが何であったか、また、それが何を意味したかについての説明はありませんが、その場にいた人々は、何か特別なことが起きているという深淵な感覚にさせられたはずです。そしてそれは、本当に特別な事だったのです」