キリストに従うことは、真のキリスト者であることの証しだ。自分はキリスト者だと告白しておきながら、そのしるしを示さない人は、ただぶらぶらと公園を歩いているような人だ。あなたは本当の意味でキリストに従っているだろうか。
キリストに従う者は、イエス・キリスト以外の誰にも服従することはない。キリストの体の中で、教団の指導者や牧師、その他のさまざまな指導的立場に置かれている人々がいる。もちろん、彼らを敬い、従っていくことは大事だ。しかし、教会のリーダーたちが言っていることと、主の言われていることが異なるということが時にあるかもしれない(もちろん、自分自身のこともよく吟味しなければいけない)。真のキリスト者は、主ご自身に目を向け、主に従い、主の言われたことに従うことができる人である。
主イエス・キリストに真に従う者には、生活の中で以下に挙げる3つの特徴を見て取ることができるはずだ。
1. 神の御言葉に従い、自分に死ぬ
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ16:24)
真にキリストに従う者は、まず最初にすることが自分自身に死ぬことであることを知っている。これは、何も餓死しなければいけないということではない(しかし断食してはいけないということではない)。けちになることでもない(良い管理者になることは良い)。また、世間から離れて引きこもることでもない(しかし1人で静まって祈るのは良いことだ)。
「自分に死ぬ」というのは、聖書にもあるように、御心を分かるために、あなたの願いや夢を自分のもとから完全に手放し、主のもとに持っていくことを意味する。キリストを愛する人は、神の御心が自分の心になり、自分自身をキリストに降伏させることを学ばなければならない。
2. 世の文化ではなく、神の国の文化を求める
マタイによる福音書7章13、14節には、「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」とある。
キリストに従う道は孤独で寂しい。心から神を愛する人はたくさんいるが、私たちがキリストに従い、キリストを喜ばせることを選ぶとき、社会や世とは異なる考え方や行動が必要だという事実がある。私たちは、人ではなく、神に従うのだ。
「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(使徒5:29)
3. 日々の生活の中に聖霊の実りがある
キリストに従う者は、神の御霊の内に歩むことを学ぶ。神の御霊の内に歩む人は、人生の中で聖霊の力により、御霊の実を実らせることができる。
「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう」(ガラテヤ5:22〜26)
聖霊は、私たちの内にキリストの品性をつくり出す。私たちの目指し続けていくところは、キリストのようになることだ。もし私たちがキリストに従うなら、私たちの性質は、ますますキリストを反映したものとなっていくのである。