子どもたちに、大きくなったら何になりたいかを尋ねると、医者や、科学者、体操選手、バレリーナ、プロのバスケットボール選手など、実にさまざまな答えが返ってくることに驚く。子どもが夢を持つ。それはごく自然なことだ。もし夢見ることをしない子どもがいたら、何か問題があるかもしれない。
あなたは幼い頃、いつか空の星に手が届くことを夢見ていたのを覚えているだろうか? あるいは、いつか国のリーダーになりたいと思っていたことはあっただろうか? 神は私たちに、神の創造性の断片をくださっている。結局のところ、計りしれない創造性に富む私たちの創造主が、私たちを見てお喜びになられることは、私たちが何が良いことで、正しいことであるかを想像したり、夢見たりする能力を十分に活用するのをご覧になる時だ。また神は、私たちが主に向かい、大きな高みに行こうとするのを喜んで助けてくださるのだ。
もしあなたが、すでに夢見ることをやめてしまっているなら、喜びにあふれた人生を生きる気力を失っている可能性がある。聖書では、主からの幻・ビジョン、主からの明確な方向性がそこにないとき、人々は滅びると言われている(箴言29:18)。私たちは人生が「風を追うような」ものになるとき、生きる情熱を失うのだ(コヘレト1:14)。
あなたはもう、夢を見る力がどこかに行ってしまっただろうか? ここでは、子どもの時のように、再び夢を見ることの助けとなる、5つの聖書箇所を紹介しよう。
<エレミヤ29章11節>
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
<エフェソの信徒への手紙2章10節>
なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
<コリントの信徒への手紙一2章9、10節>
しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。
<マタイによる福音書19章13、14節>
そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
<創世記15章5~6節>
主は彼(アブラム)を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。