第二次世界大戦中の連合軍元捕虜と日本人の和解を支援する「アガペワールド」代表のホームズ恵子さんらと共に英国から来日中のルツ・ダブソンさん。英国で生まれ、2歳の時に日本に移住して育ち、自分は日本人だと思って過ごしていたという。
ルツさんと恵子さんの出会いは、恵子さんの息子ダニエルさんとルツさんの弟デイビッドさんがイスラエルに旅行した時のこと。2人はツアー中、同じバスで移動することになった。何気ない雑談の中で、ダニエルさんが自分の母親の活動について話すと、デイビッドさんが「実は私の父は日本軍の捕虜だった」と告白。その後、ルツさんと恵子さんは、家族ぐるみで親しく交流するようになった。
ルツさんの父親は、ジャワ島で日本軍と捕虜の通訳をしていた。そのため、虐待にあったり食事を与えられなかったりといったことはなかったという。むしろ、「父は日本軍の給仕からは特別扱いをしてもらっていたようだ」とルツさんは言う。
しかし、収容所で見聞きしたこと、経験したことの多くを語ることはなかった。「お父さん、何があったの。教えて」と聞いても、「ルツには刺激が強すぎるストーリーだ。聞かせたくない」と言って断られた。
教えてくれたことと言えば、収容所でクリスチャンの韓国人看守に会ったことだった。父は彼から「あなたはクリスチャンか」と聞かれて、「もちろん。私は英国から来たのだから。私たちは皆、クリスチャンだよ」と答えながら、「これが私のバイブルだ」と言って日英の辞書を差し出した。韓国人看守はすぐにそれが冗談だったことに気付き、とても悲しそうな顔をしたという。しかし、父親は英国に帰国後、キリストに出会い、洗礼を受けた。
戦後、一般企業に就職すると、東南アジアへ転勤する機会が訪れた。父親はすぐに志願して、日本で働くことになった。日本滞在中、ルツさんの姉と兄が生まれた。一度、英国に帰国したが、父親は高給だったその職を辞し、神様に示されて、宣教師として再び日本に来る道を選んだ。
1950年代に群馬県沼田市で教会を開拓。さまざまな方法でその土地に住む人々に向けて伝道を開始した。経済的な困難が何度もあったが、そのたびに家族で祈り、不思議な方法で必要が与えられたという。
ルツさんは、5人きょうだいの中でも特に日本を愛し、このまま友達と一緒に日本の学校に通い続けるものと思っていた。しかし、父の示した道は、英国でルツさんに教育を受けさせることだった。
「私は日本の学校に行きたいの」。何度もそう訴えたが、父が首をたてに振ることはなかった。収容所で見た光景が頭から離れなかったのだ。
「日本人との結婚は絶対に許さない。日本人の男性は、女性を奴隷のように扱う。ルツが幸せになるとは思えない」
また、天皇を敬ったり、偶像を礼拝したりする日本の文化にも嫌悪感を示していた。
ルツさんは結局、米国の寄宿学校に入れられたが、自分の願いがかなえられなかったことで、徐々に両親に対して不信感と反抗心を抱くようになった。ヒッチハイクをしたり、悪い仲間と付き合ったりするようになり、家に帰らなくなった。
しかし、ある日、付き合っていた男性に首を絞められ、殺されかけたとき、神様に立ち返り、必死に祈った。九死に一生を得た経験から、神様の守りを感じ、それからルツさんはイエス様についていく人生を選んだのだという。
晩年、ルツさんの父親は徐々に体も弱り、ベッドに寝たきりになっても、時折、うわごとのように「日本に戻らなきゃ。私は英国にいるべき人間ではない。日本でやるべきことがあるのに」と言っていた。
「なぜ、それほどまで日本を愛し、日本宣教のために尽くしたお父様が、ルツさんには日本の教育を受けさせず、日本人男性との結婚も許さなかったのでしょうか」と尋ねると、「人は誰しも弱いところがあります。私の父に関して言うなら、それは『恐れ』だったのではないでしょうか。苦しい経験によるトラウマ(心的外傷)から恐れが生じたのではないかと思います。ですから、日本を愛していましたが、恐れのあまり、娘である私を完全に日本人にすることを拒んだのでしょう」
間もなく迎える終戦記念日。しかし、72年たってもなお、戦争が遺(のこ)した爪痕に苦しむ人がいることを、涙を流しながら話すルツさんが教えてくれた。あらためて、世界の平和を心から祈りたい。