雲仙・長崎キリシタンの旅は島原城、日野江城跡、原城跡と巡ってきて、いよいよ島原半島最南端の港、口之津(くちのつ)に来ました。ここは、時の領主、有馬義直(大村純忠の兄)が1562(永禄5)年にポルトガルとの交易を開始する目的で開港した貿易港でありました。
義直は1563(永禄6)年にポルトガル人のルイス・デ・アルメイダ修道士を招いて教会を建てさせ、口之津で布教活動を始める許可を与えました。義直自らがキリシタンに改宗したため、領民も皆これにならってキリシタンになりました。ルイス・デ・アルメイダ修道士は、同年、口之津で250人に洗礼を授けました。その後、キリスト教は島原半島全体に広がり、口之津は布教の中心となったといわれています。
1567(永禄10)年、口之津港にポルトガル船3隻が入港します。1568(永禄11)年、口之津港に上陸したポルトガル人たちは、ちょうどその時に行われていた葬儀で、100人ほどの日本の少年少女が、道をはさんでラテン語で聖歌を歌いながら行列する情景を目撃して驚嘆したといいます。口之津は島原半島全体にキリシタン文化を広めるきっかけとなった要所であります。
ルイス・デ・アルメイダ宣教師が建てた日本で最初の教会が、ここ口之津であって、一説によると現在、禅宗の寺院となっている太月山玉峯寺のある場所だといわれています。私たち一行はこの玉峯寺を訪問しました。そこは小高い丘の上にあって、口之津の港を見下ろすことのできる景観の良い場所にありました。その境内に寺の由来が書かれてあって、その説明文の中に、「天正7年(1579年)口之津で全国宣教師大会が開かれ、西洋文化の窓口として栄えた」という文言がありました。
すでにキリスト教はこの時点で日本各地に広まっていて、宣教師たちを集めて霊性のため、また布教のために全国大会を開いていた事実が見えてきました。この時点ではのちに恐ろしい迫害が待っているであろうことは誰も想像できなかったと思われますが、日本の最初の教会がこの港町に建てられたことを知り、感慨深いものがありました。
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